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※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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さて、今度はちょっと別な角度から「0」を見てみましょう。


「西遊記」で有名なお坊さん、玄奘三蔵(通称「三蔵法師」)が香取慎吾・堺正章とともにガンダーラから持ち帰った、ありがたーい教典の数々。

その膨大な情報を、せっせと漢訳しまとめあげたのが「般若波羅蜜多心經」というお経。それをさらに噛み砕き、僅か300字足らずの本文に整理したとされるのが有名なあのお経、「般若心経」です。

※般若心経には他にもいくつかの訳があり、玄奘三蔵が漢訳したものは、その中でも旧訳(くやく)という分類に区分されるものです。

では、このお経を見てみましょうか。


唐三藏法師玄奘譯 (たうさんざうほふしげんじやううやく)『般若波羅蜜多心經』

觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不増不減。
是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。
無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。
以無所得故。菩提薩?。依般若波羅蜜多故。心無?礙。無?礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。
三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。眞實不處故。説般若波羅蜜多咒。
即説咒曰
掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎
般若波羅蜜多心經


うん。さっぱり読めないし、わけわかんないね☆


で、結局のところ、このお経って何が書かれているの?と言いますと、

『あのな、「0」を知ると、人生の苦厄がなくなっちゃうんだぞ☆』ってな事を、観自在菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)が弟子の舍利子(シャーリプトラ)さんにお話している様子なんですね。


で、このお経のお話を進めていきたいと思うのですが、本文に入るその前に。

この「般若心経」は『省略されたお経』なものですから、上記には記載されていない、お話の背景が、元のお経にはあるんですね。

まずは、そんな般若心経のプロローグからご紹介してみたいと思います。


お話の舞台となっているのは、霊鷲山(りょうじゅせん)という山の頂。

ここ、お釈迦様が好んで説法をしていた実在する山だそうです。

そこに、今日もありがたい説法を受けようと集まった聴衆は、じっとお釈迦さまの説法を待っていますが、お釈迦さまは、この日に限って、いつまでも静かに瞑想を続けたまま、いっこうに口を開いてくれる様子はありません。

しかしそんな中…

なんということでしょう!(声:加藤みどり)

しーんと静まりかえったその会場で、ふっとお釈迦様の瞑想に感化されて聴衆の一人である“観自在”という名の菩薩(悟りを目指す求道者)が悟りを開くのです。

そんな“観自在”の劇的ビフォア・アフターを目の当たりにした出家修行者の一人“舎利子”は驚愕し、サッと“観自在”の元へと近寄り

<(_ _;)>「観自在菩薩様、どうか後学の者のために、その境地と修行法を教示して下さい!」とお願いするのです。


そして“観自在”は、「よろしい。では、お話しましょう。」と、お釈迦様に代わって説法を始めます。


その説法の内容が、上記の「般若波羅蜜多心經」なのですが…長くなりそうだしね…



続きは次回の講釈で。(声:芥川隆行)



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