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※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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*ちょっとつぶやき*(まいなすいおんさん風に)

早いもので、竹彩さんもこの春幼稚園に入園しましてね。

連休前までは肩ならし的に午前で帰って来てたんですけど、今日からいよいよ午後授業開始だそうです。

そんなこんなで、今日は初めてお弁当持参で登園した竹彩なのですが…

皆さん、「キャラ弁」なるものをご存じですか?

説明しよう!キャラ弁とは、我が子の為に世の母親が作る、アニメや漫画のキャラクターや芸能人の顔などを模したデザイン弁当なのだ!。(声:山寺宏一)

こんなんだとか、こんなんだとか、まぁーまぁー、世のお母様方ステキすぎ。

今時のお弁当かわいすぎ。黒斎のおじちゃんもびっくりだよ。うん。

まー、そんなこんなで、こういったキャラ弁なるものがあるらしくてですね、竹彩さんも初めてのお弁当はキャラ弁がいいと、そうリクエストがあったらしいのですよ。

「ママ、こんなお弁当作って!」って感じで。

可愛い我が子のリクエストですからね、黒妻さんも、せっせと頑張って作っておりました。

そんなこんなで、竹彩さんがママにリクエストした、初めてのキャラ弁がこちら!






























ゲゲゲって…

初めてのお弁当が妖怪って…



さすが我が子_| ̄|○


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グッドイブニング・エブリワン!

今日もいい感じで凹んでるかい?

でも、そんなハートブレイカーな君でも、般若心経の教えがあれば、こころ晴々、気分爽快さ☆(Take2)



ってなわけでね、今日もいつもの感じで続けていきますよぉ。


『舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不増不減。』


(  ̄Д ̄) 『舍利子、続けていい?』

( ̄д ̄ ) 「勿論ですとも。」

(  ̄Д ̄) 『まぁ、そういうワケでね、「氷」ばかり見ていた視点を、「H2O」という一歩ひいた目線で捉えるとね、「あ、自分ってのは宇宙そのものなんだ!」と、そういう事に気付くワケです。「私」も「あなた」も無く、単に宇宙なのだと、そうなるワケです。つまり、あらゆるものの境界線を取り除き、宇宙の視点に立った時、目に見えるものも、見えないものも、存在するすべてものは「0」である、ということですね。』

( ̄д ̄ ) 「ふむふむ。」

(  ̄Д ̄) 『「0」はいつでも「0」でしかありませんから、「生じる」ということも、「無くなる」という事もありません。「汚れている」ということも、「キレイである」ということもありません。「増える」こともないし、「減る」こともありません。』


『是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。』


(  ̄Д ̄) 『「実体がない」という「0哲学」の立場に立つならば、形のあるもの(色)もなく、形の無いもの(受・想・行・識)もありません。ですから、眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もないんです。眼・耳・鼻・舌・身体・心がないのですから、当然、形も、声も、香りも、味も、感覚も、思い煩うこともありません。物質界というものも、意識界というものもないんです。』


『無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。』


( ̄д ̄;) 「すごいっすね…」

(  ̄ー ̄) 『「すごい」ということも、「すごくない」ということもありません。』

Σ( ̄д ̄;) 「あ…。いや…、ははは。これまた失礼いたしました。いかんせん無知なものですから。」

(  ̄ー ̄) 『「無知」ということもないですし、「無知」が尽きるということもありません。』

Σ( ̄д ̄;) 「…なんすかそれ。トンチみたいですね。」

(  ̄ー ̄) 『そうだなぁ、じゃあ、かりに「無知」を「苦しみ」として考えてみましょう。そうすると、「苦しみ」もなく、「苦しみ」が尽きるということもない、となります。「0哲学」を理解した人は、「苦しみ」の中にいても、「苦しみ」を「楽しむ」事が出来るようになります。「苦悩」を「テスト」と置き換える術を知っているのです。その理解に至ると、「老い」や「死」についても恐れる事がなくなります。人が「氷」が見えなくなることを怖がっていても、自分は単に「水」に変化するだけだと理解できているからです。』


『無智亦無得。』


(  ̄ー ̄) 『舎利子、ここで今一度考えてみませんか。』

( ̄д ̄ ) 「なにをです?」

(  ̄ー ̄) 『あなたの実体はどこにあるのでしょう?』

( ̄д ̄;) 「実体ですか…」

(  ̄ー ̄) 『眼があなた?』

( ̄д ̄;) 「いいえ…」

(  ̄ー ̄) 『耳が、鼻が、舌が、あなた?』

( ̄д ̄;) 「いいえ…」

(  ̄ー ̄) 『身体があなた?』

( ̄д ̄;) 「いいえ…」

(  ̄ー ̄) 『じゃあ、心があなた?』

( ̄д ̄;) 「う~ん…どうだろう…」

(  ̄ー ̄) 『その心は、いつ何時も揺るがない?』

( ̄д ̄;) 「いいえ…そんなことはないです…」

(  ̄ー ̄) 『じゃあ、その心=あなたではなく、あなたの心、つまり、心はあなたの本質の所有物となりますね。』

( ̄д ̄;) 「そうすると…心が僕って事でもなくなりますね。」

(  ̄ー ̄) 『じゃあ、知識はあなただろうか?』

( ̄д ̄;) 「いや、それもやっぱり違いますね。“知識が僕”というより“僕の知識”となった方が自然です。」

(  ̄ー ̄) 『ね。その本質を突き詰めれば突き詰めるほど、「0」になっていくんですよ。全てが「0」だから、あなた自身の存在と同じように、「苦しみ」も、その実体を探そうと思っても見つからない。「苦しみの原因」も本当は「0」なんです。全てが「0」だから「知らなければいけないこと」もないし、「得なければならないこと」もないんだね。』



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