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よっぱらい.2

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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そんなこんなでね、引き続き「アルコール依存症」をテーマにお送りするワケですが…

ここで一度整理しておきたいと思います。

あ、お母さん! お赤飯を炊くのは早とちりです。そっちの「せいr…

しつこいですかそーですか。



まず、話のベースとしましては、

1.私たち人間は、物心ついた時から「酔っぱらい」。

2.ずーっと酔っぱらい続けているため、自分が酔っていることに気付いていない。

3.「酔っぱらい」ですむ程度ではなく、「幻覚」が見えるほどの泥酔状態である。

4.酔っぱらっているせいで見えている「幻覚」や「妄想」を「現実」だと誤認している。

5.「この世」は、いわば「アルコール依存症更正施設」。

6.不幸(トラブル)の原因は「アルコール摂取」。

7.凡夫は「アルコール依存症患者」、仏陀・覚者は「依存症が完治した諸先輩」。

8.守護霊は、病気の改善を手助けするドクター・サポーター。(主護霊:ドクター、補助霊:看護師・リハビリテーションスタッフ)


こんな感じ。


「この世」は「アルコール依存症更正施設」ですから、お酒好きの方・やめる気のない方から見たら、「何かと思い通りにいかない不自由な場所」です。

逆に、「自分はアルコール依存症である」という自覚があり、完治に向けて努力する方にとっては「心身を改善するための、ありがたい場所」となります。

同じ「この世」でも、その人の立ち位置によって、その意味合いが大きく異なってしまいます。


これが、ここ最近「アセンションによって世界は二極化していく。」と言われる所以です。


自分の「症状」に気付く人と、気付かずに「お酒を求め続ける」人。

「更正施設」が「無法地帯の酒場」状態から「健全な更正施設」へと変貌を遂げた時、「症状の改善」を選択した者には「より自由な」、「受診拒否(現状維持)」を選択した者には「より不自由な」世界へと変わるのです。

※環境がどうであれ、自分がアルコール依存症だと認めずにお酒を飲み続ける人がいたとしたら、その末路は…言うまでもないですよね。


次、「アルコール」について。


この比喩での「アルコール」は、「煩悩(ぼんのう)」のことを指しています。


ぼんのう【煩悩】
仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ、智慧をさまたげる心のはたらきを言う。

※ね。この説明、まさに「アルコール」と同じでしょ? →「身心を乱し悩ませ、思考・理性・健康をさまたげる」


聞いたことありますよね? 「煩悩」って。

《私たち人間は、この「煩悩(アルコール)」を摂取することで、自ら「苦」を創り出している。》というのが、仏教の基本教義です。


ちなみに…

げだつ【解脱】
《(梵)vimukti,vimokaなどの訳。縛るものを離れて自由になる意》悩みや迷いなど煩悩の束縛から解き放たれて、自由の境地に到達すること。悟ること。涅槃(ねはん)。輪廻転生の迷いの境界から脱すること。「--の境地」「煩悩を--する」


これ、「アルコール依存症患者の身体からアルコールが綺麗サッパリ抜けた状態」と捉えると分かりやすいですね。

(『解脱』という字面も、心なしか「体内のアルコールが分解され、体外へ排出され、しっかりとアルコールが抜けた」みたいなイメージで見えてきません?)

泥酔状態(私たちの通常認識)から見たら、シラフ(悟り)状態は、なんと清々しいことか。

身体も頭もスッキリサッパリ。まさに、「アルコールから解き放たれた、自由の境地」「厚生施設・病院から退院すること」です。





どう? こんな感じで伝わってる?



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