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※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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*ちょっとつぶやき*(まいなすいおんさん風に)

今朝起きたら、リビングにあった積木がこんなことに…






さすが我が子_| ̄|○


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グッドイブニング・エブリワン!

今日もいい感じで凹んでるかい?

でも、そんなハートブレイカーな君でも、般若心経の教えがあれば、こころ晴々、気分爽快さ☆



ってなわけでね、今日も軽い感じで続けていきますよぉ。


まずはこのお経のタイトルから見ていきましょう。


『般若波羅蜜多心經(はんにやはらみつたしんぎやう)』


「般若」って言っても、桃太郎侍がつけてるあの能面の事ではありませんからね。

「般若」は仏語で「悟りを得る智慧・真理を把握する智慧」と言う意味です。

で、「波羅蜜多」は「腹痛」の親戚、…ではありません。

これは、「完成」という意味。

砕けていうと、このタイトルは『どうやったら悟れるの?~究極の智慧を完成させる、その心~』てな感じです。


では、本文に入っていきましょう。


『觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。』


<(_ _;)> 舎利子 「觀自在さま、どーかひとつ、ご教授のほどを。」

(; ̄Д ̄)觀自在 『え? 僕でいいの? それじゃ、お言葉に甘えて…僭越ながらわたくし觀自在が、お釈迦様に代わってお話させていただきます。』

( ̄▽ ̄ ) 「ぜひぜひ!」

(  ̄Д ̄) 『いやね、真理を見極める認識力を完成させようと修行してた時の話なんですけど、フッと「あっ!宇宙に存在する全てのものは5つの要素で成り立ってるんだ!」って事に気付いちゃったんですよ。あ、ちなみにその5つの要素の事を「五蘊(ごうん)」って言うんだけどね、その五蘊って、じつは全部「0(ゼロ)」なんです。で、「あ、なーんだ、そうかそうか、宇宙のすべては全部0だったのね。」って気付くと、人は一切の苦悩や災難から救われちゃうんですよ。』


『舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。』


(  ̄Д ̄) 『ねぇ、ちょっと、舍利子! ちゃんと聞いてる?』

( ̄д ̄;) 「え? あ、はい…勿論きいておりますですよ。はい。 ただ、やっぱりちょっと分かりづらくて…」

(; ̄Д ̄) 『あ、そう?分かりづらい? じゃあ、もうちょっとお話してみようかな。』

<(_ _;)> 舎利子 「おねがいします。」

(  ̄Д ̄) 『この世に存在するあらゆるものはね、私たちが勝手に「実体がある」と思い込んじゃってるだけで、本当は実体を持っていないんです。「0」なんです。』

( ̄д ̄ ) 「ほほう。」

(  ̄Д ̄) 『でもね、逆に、実体がないからこそ、物質であることが出来るとも言えるの。と、いうのもね、宇宙ってのは、絶えず変化しつづけているものなんですよ。「止まる」ということができないんです。宇宙だと分かりづらいかな?そうそう、舍利子さん、あなただってそうですよ。ほんの一瞬でも、止まることって出来ないでしょ?昨日の舍利子さんと、今日の舍利子さん、同じように見えても、若干変わってるよね?』

( ̄д ̄; )エェッ!? 「僕、昨日の僕と違うんですか?」

(  ̄Д ̄) 『だってそうでしょ? 今朝ご飯も食べたし、さっきウンコもしてたよね?』

Σ( ̄д ̄;) 「たしかに…」

(  ̄Д ̄) 『周りのみんなも舍利子さん自身も、普段「舍利子さん」を「舍利子さん」として認識しているけど、刻一刻と舍利子さんは変わっていっているよね。だから、厳密に考えれば、「舍利子」と固定されているものってのは実在しないんです。だからね、「0」は「無い」って事じゃなくて、どちらかと言えば「宇宙全て」ってニュアンスなのね。「0」を仮に「粘土」だと考えてみてください。その粘土を、ある時は豚の形、ある時は鳥の形に変化させたとしても、それはそう見えても、やっぱり「粘土」は「粘土」なんですよ。』

( ̄д ̄;) 「なんか、ちょっとだけ分かってきたような気がします。」

(  ̄Д ̄) 『それでね…何かを感じる事だとか、思い浮かべる事だとか、意志だとか、認識・理解だとか、そういったことも、これと同じように実体がないんですよ。』



あ、言っときますけど、このあともこんなノリですよ。

なんせ、このブログですから…


←絶えず変化しつづけているんです。

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