私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

平日休業

2007-12-18 20:43:52 | 気儘に散策
羽衣の松に来ると、密かな楽しみがここの味噌おでんだった。蒟蒻が竹串に刺してあり、味噌タレを付けて食べるのだ。これが寒い時には、体の芯から暖まって、美味しいのだが、今日は休みで、誠に残念で仕方が無い。日頃の行いが悪いのか、単に景気が悪いのか、休日に出直して来ようか、と思いながら、もしかしたら店を閉めちゃったかも知れないなあと、思ったりもした。でも、初日の出を拝む時は、やってそうな気がするけれど、元旦に、ここまで来る気力は無かった。

子供の頃、駄菓子屋で食べていたおでんは、味噌タレでおでん鍋の真ん中に味噌タレの小さな瓶が入っていて、そこに付けてから、だし粉と青海苔の粉を掛けて食べた。でも、いつの頃からか味噌タレは、無くなりだし粉だけになっていた。大人になって、酒の肴に昇格したおでんは、甘いタレが合わなくなってしまったのかも知れない。
子供の頃によく行った駄菓子屋の何件かは、店を辞めていて、もう食べる事が出来なくなってしまった。それも、また残念な話ですね。

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二世松

2007-12-18 14:23:41 | 手当たり史跡
羽衣の松から、接木をして育てている「二世松」。この松が羽衣の松になる頃までは、生きていないと思うけれど、世代交代は、こんな所でも進んでいた。



噂では、櫻珈琲さんも出るらしい↑
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羽衣の松

2007-12-18 14:18:12 | 手当たり史跡
静岡市清水区三保。久しぶりに羽衣の松を見てみると、かなり痛んでいた。よく覚えていないが太い枝が、両手を広げるように広がっていたと思う。
両手を広げる形から、横綱の土俵入りの「不知火型」を連想し、そこから「短命」と言うジンクスを思い浮かべていた。この松も「短命」だったのだろうか。

羽衣の松の前で、しばらく眺めていると、平日なのに団体の観光客が来るのだったが、よく見ると年寄りばかりで、観光地自身が高齢者向けになっている事を、思い知らされた。ここから富士山を見ようとすると、砂地の浜を波打ち際付近まで歩かなければならず、年寄りには難儀に思え、羽衣の松で折り返す人が殆どだった。折角の富士山を見ていって欲しいなあと、思うのだったが、彼らには、その情熱も無いようだった。ただ、この日の富士山は、少し霞んでいて、あまりいい状態ではなかったけれど。(汗)

それにしても、羽衣を掛けるにはお手ごろの枝は枯れ、切り落とされた松はすっかりスリムになっていた。この松から、両手を広げた形は、想像もできないし、羽衣伝説も枯れているようだった。
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御穂神社 神の道

2007-12-18 10:17:37 | 手当たり史跡
御穂神社の前から「神の道」と書かれた松並木がある。
ネット検索してみると、

 日本武尊が東征のおり立ち寄ったと伝える古社で、羽衣の松と神社をまっすぐにつなぐ松並木は、常世の神を迎える神の道としてデザインされている。羽衣の松は海上遥かかなたからやってくる神々の目印という理解もある。毎年2月15日に筒粥の神事がある。

神々がこの松並木を歩いたとされているらしい。恐れ多くて、其処を歩くのをやめ、車道を行く事にした。この松並木がそんな意味があったとは知らず、何処の神?などと新しく出来た看板を、おちょくっていた。

この道を羽衣の松に向って行くと「まつぼっくり」と言う喫茶店があった。友達がアルバイトをしていたので、社会人になってからもよく遊びに来ていた。仲間の集合もここを使う事があって、懐かしく思って店前まで行くと現在も営業していた。当時の友達とは音信不通で全く分らないのだが、店が30年も続いているのは、なんだか嬉しく思いました。「まつぼっくり」また次回気が向いた時にして、今日は羽衣の松に集中する事にする。
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御穂神社

2007-12-18 09:23:15 | 手当たり史跡
「三保ふれあい広場」から三保街道を右折し、三保の松原口の交差点を左折すると、突き当りが御穂神社だ。突き当りを右折し参拝口に回る。

子供の頃、初詣は「御穂神社」だった。自家用車で行ったと思うのだけれど、酷い人混みに、あまり積極的には行かなかったのだが、父親は、率先して出かけていた。
紅白歌合戦が終わった頃から、出かけるのだが、「寒いから嫌だ、家で待ってる」と嫌がる私も渋々付いて行くのだった。参道に入り、賽銭箱近くまで行くのだが、其処から先がなかなか進まない。帰る人と、行く人がぶつかって、丁度おしくら饅頭になっているのだった。そうなると、賽銭を、遠くから投げ始める輩が居て、頭に賽銭が何回も当たるのだった。階段途中で鈴を鳴らすのを諦め、其処から賽銭を投げ込んだ事を覚えている。

お願いをしたと言うより、儀式を実施したといった感じで、家に帰ってくると、防寒に着ていったパーカーの帽子の中に、賽銭が入っていた。この人たちの分は、御穂神社に届かなかった事を、申し訳ないように思いながら、ちょっと得した気分で居た。

それ以来、ここを参拝する事も無く、現在の初詣は「美濃輪稲荷神社」と決めている。


次回はいつでしょう?
一月六日ですね、了解です。
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