巴川には可動橋が架かっていて、船が通る時に鉄道の橋が垂直に上がる仕掛けになっていた。元々貨物用なのだから、人の利便性はあまり考えれて内容だった。しかし、三保にある高校に通う生徒で、毎朝満員になっていた事は、知っている。
三保街道に路線バスが走りっていたので、国鉄 清水港線(三保線)を利用する事は殆ど無かったのだが、三保に行く時に乗ったことがあったような気がする。駅が遠くて不便だったので、乗らないでいたら昭和59年に廃線になったしまった。
巴川口駅と折戸駅の真ん中ぐらい(宮加三)に住んでいたので、列車は、見るだけだった。
巴川口駅と折戸駅の真ん中ぐらい(宮加三)に住んでいたので、列車は、見るだけだった。
静岡市清水区清開にある「静清流域下水道 静清浄化センター」の中庭に、三保線の駅が保存されていると聞き見に行く事にした。
「関係者以外 立入禁止」の看板を見ながら、清水区民として関係者である事を再確認し、中庭はどこかと、キョロキョロしながら歩く姿は、正に挙動不審の怪しい人物だったが、暫く奥に向って歩いて行くと、管理棟の東側にそれはあった。誰にも呼び止められずに、目的地に着けて良かった(笑)
追記。朝市は、明日です。
「関係者以外 立入禁止」の看板を見ながら、清水区民として関係者である事を再確認し、中庭はどこかと、キョロキョロしながら歩く姿は、正に挙動不審の怪しい人物だったが、暫く奥に向って歩いて行くと、管理棟の東側にそれはあった。誰にも呼び止められずに、目的地に着けて良かった(笑)
追記。朝市は、明日です。