私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

中央図書館

2018-02-23 19:40:24 | Weblog
今年に成ってから何度目かの図書館。

入口に「閲覧室のご利用は出来ません」と赤文字で掲げて有り、一体何が出来る様に成ったのか首を傾げる。

落ち着いて要旨を読んでいくと事前予約による資料の個人貸出業務を再開したとある。
閲覧室は(老朽化のため)安全対策実施中と有るが、大規模にやって居る様子は無い。

閲覧室を使う人はヘルメットと安全靴を着用すれば良しにするとか出来ない物かと呟いて見たくなる。

さて、予約をしなければ本が借りられない事を初めて知ったので、諦めかけていると青く小さな文字で
「お時間は頂きますが、予約なしでも提供できるようになりました。(1月26日から)」とあり館内に入る事にした。

目的の書名を総合受付に告げると係りの人に案内される。
直ぐに書庫に行って持って来てくれた。ものの数分。(暇なんじゃん)

借りる本は復刻版で少し小さく成って居る事は何と無く分かって居た。ただ、どのくらい小さく成って居るのか知りたくて質問してみた。
「それは、原本と比べてみるしかないね」なんて話に成った。(内容を要約)

「重要文献だから事前申請が必要ですが、見たいですよね~」と見せてくれそうな雰囲気に成るのが嬉しい。

見る事が出来るなら嬉しいとこちらの意向をアピールすると、今日は人(職員)も多いので出してあげましょう。って事に成って今日は付いているかもしれないと思った。

「今日は特別で普段は予約をして下さい」と念を押されたけれど、見れる事に変わりはない様だ。




左が原本。右が今回借りられた復刻版。
例え原本が借りられたところで、筆で書かれた流れる様な文字は、ちょっと読めません。
復刻版は活字に編纂されているので何とか読めますが。





原本で見たかったのは先日街歩きで見た清水御殿の地図。
重要文献なので出して貰うための申請書を書きました。

また、コピーを取る事も出来ないけれど、デジカメなどの写真はOKと言うのでその申請書も提出。
どのページを写真に写すのか分かるように記入と言うけど、原本にページなど書かれて居ないのだ。

勿論フラッシュもダメ。受付横のテーブルで閲覧していたのだけど混んできたので写真撮影は下階の事務所内会議室に通された。
なるべく明るい窓際で何枚も写す。
係りの人が退室していたので、終わったらどうするのかと思って部屋を出ようとしたら遠くからこちらの様子を見て居た様でドキッとした。重要文献でした。

今思うと階下の事務室って閲覧室の真下の様な気がするのだけど、そこで働いていて大丈夫なんでしょうか。ヘルメットなしで。

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ムスカリ

2018-02-22 11:22:22 | 園芸部の四器
今年の一番乗りのムスカリが咲いた。
他のムスカリはまだ蕾も小さいのに、トップ引きとは偉い。
ご褒美に肥料水を少し多めにあげて、日当りの良い一番の場所(個人の感想です)に移動して楽しんでいる。

ムスカリを毎年咲かせるのには意味がある。残された自分の使命の様な物ですね。


今朝起きて一番びっくりしたのは女子スピードスケートパシュートの金メダルよりも大杉連さんの訃報でした。

66歳。

突然死と言っても良い。死ぬ時ってそうなのかな。
66歳まであと6年だなと、引き算をしていた。
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テレビ観戦

2018-02-20 07:28:18 | ひとり独り言
平昌オリンピックをテレビとネットで観戦している。
ネット観戦は解説が無いので全画面にして食い入るように見ていないと、スタートさえ見逃す事が有って面白い。

小平奈緒のお父さんって安彦て言うんだ。奈緒はお母さんと同じ顔をしていて(同じようなメガネを掛けていた)間違いなく親子だなと思った。

父親が子供の頃からスピードスケートを指導していて、それが現在に繋がったのか。本当に良かったね。


女子カーリングも積極的に見ている。
国内予選でLS(Loco Solare)北見が中部電力と最終決戦をした試合も見ている。その前の年の試合も見ている。

何故なら藤沢五月は中部電力でスキップをしていて、LS北見に移籍したのだ。
中部電力に居た頃の藤沢は気が強くて、自分で全てを仕切って居る様なそんな試合をしていた。

国内最終試合の中部電力のスキップは以前の藤沢を思い出させるような人だった。

LS北見も本橋が出産から復帰した時サードをやって居たけれど、上手く行かず今のリザーブに成ってから調子が良く成って居る。
試合前日の夜に本橋はアイスの状態と石の癖を分析する事を知って居る。
それが本橋の試合なのだ。
そしてチームが勝つ。

カーリングの試合を全部見て居る訳では無いけれど、日本代表はよく笑う。(試合をリードしていたから)
そして藤沢も一緒に笑う。中部電力ではそんな姿は無かった。

全員北見市の出身で4人は常呂町、藤沢は美山町。
地元に帰って来るって人を素直にするんでしょうか。

Loco Solareのホームページを見たら、試合結果が出て居て

ロコ・ソラーレ5-スェーデン4と表示されていて町と国の試合だった事を知る。(笑)
郷土の誇りは日本代表を超越している。





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朝市

2018-02-19 17:56:25 | 気儘に散策
日頃の運動不足を、自転車で行けば少しは解消するんじゃないかと思って起き上がって見ると、今日は冷え込んでいてとても自転車で行く気には成らず車でドリームプラザの朝市まで来てみた。

冷え込んだと言っても0度程度で、雪国の寒さとは比較に成らないくらい暖かいらしい。

一か月くらい前は点灯していた街灯も今は点いていない。





1/4の白菜が100円は安いのか高いのか。ひと玉に換算すると400円はやっぱり高い。
それでも久しぶりに白菜を食べる事にして買い求める。
農家の方が中でも良い物を取ってくれてありがたい。

八宝菜でも作るか?生のキクラゲも買ったし。


*-*-*

追記(2/21)

ここまで書いたところで、なんだか体調が可笑しく成って来た。2/19の午後の事だ。
くしゃみ、鼻水が出るし、外出用の防寒を着て居ても寒いのだ。部屋は勿論、暖房しているのに。

これはまずい。休養を取るしかないと思って布団にもぐりこんだ。
ちっとも暖かく成らなかったのだが、いつの間にか眠ったらしい。

そんな時に限って電話が鳴る夕方の6時頃だ。
少しも良く成って居ないので、そのまま眠る事にした。

翌2/20日も絶不調。何かを食べたくても自分で作るしかないので食べない事を選択。
もう少し休養を取る。
午後に成って、簡単に食べられるインスタント食品を食べ体を温めまた寝る。

2/21少し良く成った様な気がしているので珈琲を飲む。
寒い時は鍋焼きうどんさ。と思い付近所のスーパーに買い物に行き作って食べた。
大分よく成って来た気がする。
後は体力が戻れば、完治ですね。

一人で生きて行くのはこんな時苦労する。
コメント (8)
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街歩き

2018-02-18 15:18:15 | 手当たり史跡
清水郷土史研究会のフィールドワークで清水御殿の広さを実地検証すると聞き会員でもないのにこっそり参加する事にした。
正しくは、中田氏に誘われた。

清水御殿とは家康の休養所にするために子供の頼宜が1609年(慶長14年)に建築されたと言い、実際には駿河の海を警備するためだったと考えられている。

渡された資料の「なをりその記(中巻)」のコピーを見ると「御殿跡」と記載され四角で囲われ廻りは御堀跡と記載されている。
解説の中田氏がいい加減な地図の様で意外と正確だったりすると言う。

それは「牛道」と書かれた道と御殿を挟むように上から下に続く道が現存するからでその道を辿りつつ当時の風景(田んぼ又は沼地)を想像して楽しむのだ。




(写真:この道路は御殿跡地を突っ切っている)

清水聖母保育園と隣のカトリック清水教会(写真左手)に石積みが有るのでその辺りと思われがちだけど実際にはこの道路の半分ぐらいまで(又は道路全部)は御殿敷地が有ったと考えれれるそうだ。

そして、この場所は蓮池が有り写真背中には江川が流れていた事に成る。

元々御殿跡地には実相寺が建っており、御殿を建てる為に現在の場所に移転したそうだ。

この道路(水神さんがら記念塔まで:今を騒がせる桜が丘病院当たり)を作る為清水御殿の敷地を切り通し道路整備をしたそうで、どんな経緯で御殿跡に教会が建ったのか郷土史研究の方も分からないと言っており、寺だったら何と無く分かるんだけどと呟いていた。



(写真は現在の牛道)
左側は岡八幡神社で右側が清水御殿跡に成ります。
牛道は急な崖のような道だったので牛が歩きやすい様に緩やかな坂道に削ったそうで、道幅が広い所が工事個所。
よく見ると写真奥の方は道幅が狭い。

言われてから道を見返してみるとちょっと面白い。

郷土史会の興味の一つに清水御殿の石積みの石は何処に行ったのだろうかって事が有るらしい。






聞き耳を立てていると清水御殿跡地に住宅を建てて住んでいる方の庭先の此の石。
ひょっとしたら、そうかも。と歴史浪漫の花が咲く。






八幡神社から南下。
月見里(月見里と書いてやまなしと読む)笠森 稲荷神社。
この境内を囲み石積みがもしかしたら、清水御殿の石積みじゃないかと思っている方が有るのだけど、こんなに小さいはずがないととバッサリ切られ終了。

でも、元は実相寺だから、その石だったとしてもおかしくは無いと思うのだけど、根拠は無し。

歴史は過去に作られたようで、案外現在作り直されているのかも知れないと思ったら右の頬が引き上がった。
コメント (3)
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