防災訓練以来、不用品を処分している。昨年一年で使って居ない物は、今年も多分不要なのだ。我が家に4台ある自転車のうち1台は全く使われていない。この自転車が避難通路を塞いでいる事に気が付き、処分対象になった。
捨てるにはちょっともったいなく、でも見てくれが悪く他人には譲れない。
そこで家人の勤め先で使ってもらう事にして陸送する事にしたのだった。事務所に3時までに着ければ帰りは家人の車で帰って来れるので、時間調整しながら家人の勤め先(興津)へ出発。
いつも車で走り慣れている港湾道路を行く事にし、自転車じゃなければ見れない風景を見ながらのんびりと港湾道路を走って居ると海の高さが気になる。直ぐそこに海が有るのだ。ちょっと津波で盛り上がっただけで、水没しそうな危うい地域なのだ。
庵原川を渡って居ると此処を津波が遡上するのだろうと想像して見る。上流に古いコンクリート橋を見つけ進路を変えた。
一葉橋。松が有るって事は古い街道だったのだろうか。それともただの防風林か。
自分と同じ年に竣工していた橋を見ながら、橋に例えるとこんな感じかと思う。
随分疲れている様に見えるが、時間の経過をこんな形で認識するのだった。
津波が来たらイチコロですね。多分橋桁だけ残る。いやいや、意外としつっこく川の中に立っていて流木を引っ掛けているかも知れないと思い直す。
港湾道路に沿った公園が避難地に指定されており、ちょっと気になるが当然見直しがされたはずだ。少なくとも、地震の時はそこには行かない。
近道をしようとしたら、水路を渡れず結構遠回りをさせられた。自動車専用道に出てしまって、危うい思いをしつつ興津宿に入った。
以前公民館だった所が公園になって居た。生涯学習センターは海岸近くに建設され防波堤に役目を担っている。(?)
宗像神社が名前の由来とある。調べれば調べるほど諸説あり、まあ、それはそれとして置く。
後日、テレビを見ていたら宗像市の宗像大社が映し出され、此処が由来かと、ちょっと驚いただけなのだ。
鯛焼き屋の前を通りかかったら意外に空いており、しかも焼いている最中だった。ラッキーと思いつつ店内に入ると香ばしい匂いがした。焼き上がって居た鯛焼きがあり、買い求める。すると店主が「あなたは運が良い」と言う。
今店先でそう思ったばかりなのだが、更に「さっきまで大勢で混んでいて待ってもらって焼いて居たんだよ~」と言うのだった。
丁度焼き上がりだったので写真を撮らせてもらった。
店主は「ちょっと濃いけどお持ちになりますか」と言う。初めは何の事か分からなかったのだが、ちょっと焼き過ぎた鯛焼きを持って行く?って事の様だった。商品としてはB級品の様なので有難く頂く事にした。
長年使っている窯の温度調節が微妙で、ちょっと気を許すと直ぐに焼き過ぎてしまうそうだ。何でも年を取ると融通が利かない。
でも、焼立てが食べられるって事はこの上ない幸せです。決して保温箱には入れないでください。
店を出て振り返りと、軽トラで来たおっちゃんが店の中に入って行った。
おっちゃん、あんたもラッキーですよ。
人気の鯛焼き屋は夏も焼いている。
身延山道入口。石塔が乱立していて色々祭ってあるようだ。
戦国時代には武田軍が道路整備をし…などと立て看板に書いてあった。
しかし、この道も新幹線のガード下までで、そこから先は国道52号線になってしまうい面影も無い。この道も当時の面影なんて無いと言えば無いんだけど、それでも、少しは違う。狭い道をゆっくり走る。
清水で始めた見たホッピーの幟。
興津育ちの家人に写真を見せると、この店は昔肉屋だったと言う。そうなると此処のもつ焼きは期待できる。近所だったら常連になっていたかも。
自転車の片手運転は思ったよりもフラ付いた。以後気を付けます。
捨てるにはちょっともったいなく、でも見てくれが悪く他人には譲れない。
そこで家人の勤め先で使ってもらう事にして陸送する事にしたのだった。事務所に3時までに着ければ帰りは家人の車で帰って来れるので、時間調整しながら家人の勤め先(興津)へ出発。
いつも車で走り慣れている港湾道路を行く事にし、自転車じゃなければ見れない風景を見ながらのんびりと港湾道路を走って居ると海の高さが気になる。直ぐそこに海が有るのだ。ちょっと津波で盛り上がっただけで、水没しそうな危うい地域なのだ。
庵原川を渡って居ると此処を津波が遡上するのだろうと想像して見る。上流に古いコンクリート橋を見つけ進路を変えた。
一葉橋。松が有るって事は古い街道だったのだろうか。それともただの防風林か。
自分と同じ年に竣工していた橋を見ながら、橋に例えるとこんな感じかと思う。
随分疲れている様に見えるが、時間の経過をこんな形で認識するのだった。
津波が来たらイチコロですね。多分橋桁だけ残る。いやいや、意外としつっこく川の中に立っていて流木を引っ掛けているかも知れないと思い直す。
港湾道路に沿った公園が避難地に指定されており、ちょっと気になるが当然見直しがされたはずだ。少なくとも、地震の時はそこには行かない。
近道をしようとしたら、水路を渡れず結構遠回りをさせられた。自動車専用道に出てしまって、危うい思いをしつつ興津宿に入った。
以前公民館だった所が公園になって居た。生涯学習センターは海岸近くに建設され防波堤に役目を担っている。(?)
宗像神社が名前の由来とある。調べれば調べるほど諸説あり、まあ、それはそれとして置く。
後日、テレビを見ていたら宗像市の宗像大社が映し出され、此処が由来かと、ちょっと驚いただけなのだ。
鯛焼き屋の前を通りかかったら意外に空いており、しかも焼いている最中だった。ラッキーと思いつつ店内に入ると香ばしい匂いがした。焼き上がって居た鯛焼きがあり、買い求める。すると店主が「あなたは運が良い」と言う。
今店先でそう思ったばかりなのだが、更に「さっきまで大勢で混んでいて待ってもらって焼いて居たんだよ~」と言うのだった。
丁度焼き上がりだったので写真を撮らせてもらった。
店主は「ちょっと濃いけどお持ちになりますか」と言う。初めは何の事か分からなかったのだが、ちょっと焼き過ぎた鯛焼きを持って行く?って事の様だった。商品としてはB級品の様なので有難く頂く事にした。
長年使っている窯の温度調節が微妙で、ちょっと気を許すと直ぐに焼き過ぎてしまうそうだ。何でも年を取ると融通が利かない。
でも、焼立てが食べられるって事はこの上ない幸せです。決して保温箱には入れないでください。
店を出て振り返りと、軽トラで来たおっちゃんが店の中に入って行った。
おっちゃん、あんたもラッキーですよ。
人気の鯛焼き屋は夏も焼いている。
身延山道入口。石塔が乱立していて色々祭ってあるようだ。
戦国時代には武田軍が道路整備をし…などと立て看板に書いてあった。
しかし、この道も新幹線のガード下までで、そこから先は国道52号線になってしまうい面影も無い。この道も当時の面影なんて無いと言えば無いんだけど、それでも、少しは違う。狭い道をゆっくり走る。
清水で始めた見たホッピーの幟。
興津育ちの家人に写真を見せると、この店は昔肉屋だったと言う。そうなると此処のもつ焼きは期待できる。近所だったら常連になっていたかも。
自転車の片手運転は思ったよりもフラ付いた。以後気を付けます。