私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

秋が来て

2010-09-27 22:35:28 | ひとり独り言
猛暑日が続き、これが逆手に取れないかと思っていた。
ふと、ヨーグルト作りを思い付いた。冬に作ろうとした時は、温度を保つ事に苦労して、湯銭をする事が面倒になって挫折した。

ところが、この気温(35度)は最適で、牛乳に市販のヨーグルト入れて放置しておけば翌朝には大体出来上がるのだった。
これはいいなあと、ヨーグルト三昧の日々を過ごしていたのだけど、ここ数日の気温低下で、上手に出来なくなってしまった。

緊急処置的に湯銭をし、出来上がったヨーグルトを食べると、何とクリーミーなヨーグルトでうまい。市販のそれと訳が違う。これで少しは胃腸も鍛えられただろうかと思っているのだけれど、そうでもない様だ。

柔らかめのヨーグルトは旨い。
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桜ケ丘

2010-09-27 16:41:00 | ひとり独り言
先週金曜日に救急車で運ばれた義父が先ほど亡くなりました。冥福を祈ります。

人工呼吸器が付けられ、無理やり呼吸をしている様で可哀想だったけれど、それも終わりました。先週見舞いに行った時、既に意識がなかったけれど、血圧が少し上がって話声が聞こえているみたいだった。

もしかしたら奇跡が起こるかもと思ったのだけど、今日になって「薬を投与して血圧を上げる事も出来るけれど…」とDrの話に、付き添いの家族は薬を投与してくれとは言えなかったそうだ。


呉(広島県)で戦艦大和を見て、これで日本は負けないと思ったと言う話や、戦争中の極秘事項の話を聞こうと思っていた矢先だったので、びっくりしている。

心臓に水が溜まる病気で、薬で少し良好に向かっていると聞いていたのに、残念で仕方がない。
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町歩き

2010-09-20 05:26:20 | 手当たり史跡
9/19清水ふるさと塾の主活動、ガイドウォークが行われた。
スタートは、毎回「あ!朝市」が行われているドリームプラザの駐車場からで、出発時間が近くなると参加者が集まり20人程度になった。

詳しい事は、清水ふるさと塾で。

毎回思うのだけど、朝市に集まってもこれから歩くと思うと、朝市の産物を買う訳には行かない。朝市も楽しんでその後のウォーキングも楽しめる方法は無いだろうか。
例えば、コインロッカーが近くにあるとか。



今回のウォーキングで壮士の墓に行くのだけど、その隣の資料館を見せてもらう為に
隊長が奔走した。彼の熱意が資料館を管理している地元自治会長を動かし、拝観出来る事になったのだ。

資料館の中の写真、清水次郎長一家。
隊長によると「28人衆と有るものは大体嘘で、追分三五郎(次郎長の右となり、次郎長は前列左から三番目)は、実在しない人物だから写真に映るはずがない」と言う。

では、次郎長の葬儀を仕切った当目の岩吉はと言うと全く違う人物を指すのだった。
これは、早いうちに正しておかないと、間違った情報が後世に残りそうだ。

「人間清水次郎長 戸田書店刊」によるとこの写真は荒神山の喧嘩手打式と有り、
写真の人物名も書き込まれていた。
荒神山の喧嘩は慶応2年4月8日に始まったらしい。

奇しくも、大河の坂本龍馬はお龍と、日当山温泉に宿泊。慶応2年4月8日(西暦1866.5.22)
今は何でも、龍馬伝にくっ付けたがる。



清水区村松。鉄舟寺内の芝野栄七胸像前。
日曜日だと言うのに、植木屋が作業をしていて歩き難い。
どうして今日なのか、寺の責任の無さにがっかりする。



知らない間に「山岡鉄舟像」が出来ていた。
鉄舟の墓の周りが綺麗に成っていてびっくりした。
地元の観光地も、時々行って見ないと、オイテケボリになりそうだ。

追記:反省会を「かっぱ」で開き、これからの「清水ふるさと塾」の方向性と次回のガイドうォークの計画を立案しながら、介護の話に成る。
「清水ふるさと塾」って何をする団体なんだろうかと、もう一度再考して見る。
隊長のガイドを聞きながら町歩きをするのだけど、それは最後の結果で、自分の知りたい又は知らなかった所を肉眼で見る。此処が大事なんだ。
そして、それを自分でやり始める。「清水ふるさと塾」はそのトリガーにすぎないと思う。

今回、不二見小学校の正門から東に進む狭い道が、大正十二年一月に皇太子(後の昭和天皇)が久能街道を馬車で来て、馬に乗り換えて鉄舟寺に向かった道だったと、初めて知った。
旧久能街道と不二見小学校までの約150mが現存していて、そう、歩道橋があるあそこの道です。でも、不二見小学校から鉄舟寺までは全く残っていない。残念ではあるけれど、人が住むには仕方のない事だったかもしれない。

反省会の帰り隊長と巴町辺りを歩いていた時に、「昔この辺にコマ屋がありましたね」と振ってみる。
「あった。あった。小野田産業の辺りでベアリングを買って「ぼく」(コマの木の所)を入れてもらう店があった。ベアリングによってコマの大きさも様々あって…」
みんなでコマ回しをする時に、友達のコマの上に自分のコマをぶつけて相手のコマに傷を付けるのだった。それを「ボク(↓↑発音)を入れ」ると言っていた。

それを思い出した時に、二人は子供の顔で笑った。
そんな町歩きも、楽しいと思うんだけど、楽しい事をやりたいですね。
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運動会

2010-09-19 05:26:11 | ひとり独り言
9/18愚息の運動会が無事に行われた。

6年生になって学校行事がまた一つ終わって行く。嬉しい様な寂しようなちょっと複雑な気分だ。「戦おう 仲間を信じて 最後まで」今年のスローガンが体育館に貼られ、いよいよ始まる。

実は既に始まっている。お昼のお弁当を食べる場所取りなのだ。
前日から場所取りをした人もあり、父兄もこの時ばかりは必死に成る。
中庭の校舎の日陰が涼しい事を昨年知り、今年も同じ場所を確保。
まずは一安心。



1、2年生の演武が始まり、可愛く見える。
愚息もこんな年があったと思うと、泣けてけ来る。
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町を小走り

2010-09-14 06:22:34 | 気儘に散策
静岡市清水区巴町。千歳橋から巴川見ると湖の様に流れが無い。
何気なく鉄橋を見ていると、静鉄電車が通り、JRの客車も通った。

自転車通学していた頃、あの鉄橋の下で、ちょっとした度胸試しをしていた事を思い出す。



鉄橋の下は普通に通り抜けられるのだけれど、高さ制限がある。



静鉄の下は1.80mと有り、よっぽどの長身じゃ無い限り普通に通れる。
だけど、自転車に乗って行くとつい首をすくめたくなる。
それを我慢して通っても、全く問題ないし、意外と余裕があるのだ。

「佐渡」の看板がどちらも隠れています。
佐渡ファンの方ごめんなさい。



振り返ると、丁度自転車の方が通り、やはり何の気兼ねも無く通り抜ける。
頭が当らない事を知っている様だった。



しかし、この方も次のJRの鉄橋下では首をすくめる。
1.60mでは普通に歩いてもぶつかってしまうのだった。

ところが、ここも首をすくめなくても通れる事を知っている。
車で通る時も、思わず大丈夫かと思うのだけど、タクシーも通っているので、
行灯の無い車は充分通れるのだ。

ただ、気を付けなければならないのは、大正橋側から(反対側)入ると
急な下り坂で体が伸びるので、どうしても頭をすくめないといられない。
毎回、根性無しで通り過ぎる。

ここを抜けて、やっと池田カバン店に着く。



家人と愚息が9月生まれで一日違い。
勿論、誕生ケーキは一つで済ませるのだけれど、プレゼントはそうはいかない。

家人に贈り物は何が良いか打診をしていたら、調子に乗って高価なバックと言い始めたので、返事をしなかった。ただ、ポイントカードで肥満になっている財布が余りにも哀れに思え、財布を新しくしたらどうかと提案した。
結構本人も乗り気で、早速「池田カバン店」に行く事になった。

家人と愚息は来週に迫った小学校の運動会のお誘いに実家(清水区庵原)に行くので車で行き、小生は一人自転車で行ったのだけど、到着時間はほぼ同じだった。
自転車は意外と速かったのだけど、汗はドッと出た。

婦人物の財布をいろいろ物色3点ほど選び、本人の希望を聞く。
結局、後十年は使えそうな渋い印伝の札入れにした。
家人も気に入ってくれて良かったのだけど、数枚のカード入れが付いていたので、
肥満になるのも時間の問題だと思う。

「池田カバン店」→「池田屋」



振り返ると戸田書店があった。
葵タワーの戸田書店に比べると随分小さいけど、
欲しい本を探すには、まっこと便利で直ぐに見つかる。

書籍検索端末が無くても充分なのだ。
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