清水8時50分着

2017年2月28日
僕の寄り道――清水8時50分着

編集委員をしている雑誌『季刊清水』の本年度第0回編集会議、別名反省会があったので清水に日帰り帰省した。特集「清水と宗教の関わりを探る」の巻頭で全体を牽引していただいた舞鶴高専教授吉永進一先生を囲んでのランチパーティ形式となった。

いつも通り早起きし、小田原まで小田急を使って帰省した。通勤だけでなく通学客もいる東海道線に乗り越え、朝日に映える海を見ているとあれこれ湧き起こる感慨がある。一緒に海を見ていた児童にも児童なりの感慨があるのだろう。

小田原駅を出て根府川あたりを通過中

●駒込

|  5:20発
|    JR山手線(内回り)[池袋方面行]17分
|  5:37着
○新宿
|  5:46発
|    小田急小田原線(急行)[小田原行]1時間27分
|  7:13着
○小田原
|  7:18発
|    JR東海道本線(普通)[沼津行]47分
|  8:05着
○沼津
|  8:08発
|    JR東海道本線(普通)[浜松行]42分
|  8:50着
■清水(静岡)

 

エスパルス通りの床屋さんに教えてもらった、意外にウッディな桜橋橋梁裏

8時50分に清水駅に着き、改札を出たら桜橋「櫻珈琲」の神戸秀雄氏が迎えにきてくれていたので喜んで拉致され、「櫻珈琲」店舗裏の談話室で正午近くまでビールを飲みながら歓談した。あれこれ前年度のできごとをまとめ、明日から始まる新年度に向けて心のネジを巻いた。

 

桜橋駅ホーム

昭和六年竣工の桜橋橋梁下がたしかに板張りであるのを確認し、桜橋駅から静岡鉄道に乗って新静岡まで出た。


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老人ホームの雛飾り

2017年2月27日
僕の寄り道――老人ホームの雛飾り

2017年2月26日は老人ホーム訪問日。義母の居室前の廊下に折り紙のお雛様が飾られていた。お年寄りみんなで折ったのかと思ったら入所中のおばあさんが一人で折られたという。

よく見ると1センチくらいの幅しかない極小の折り鶴まで添えられており、折り鶴が得意な自分でも折ったことのない大きさなので驚嘆した。人間には年齢と体力による優劣を超越した集中力と器用さがあることを再認識した。

食堂に行ったら毎年飾られる、利用者家族から寄贈されたと思われる雛壇が設(しつら)えられていた。数日前に若いケアワーカーの男女が、説明書を読みながら仲睦まじく組み立てていたという。

五段目にいる三人組は仕丁で、台傘(だいがさ)・沓台(くつだい)・立傘(たてがさ)という。台傘はかぶりもの、立傘はさしものの傘を持っているはずなのだけれど、部品がなくなってしまったのか、適当にめでたい飾り物を持たされていて笑える。真ん中の沓台は手ぶらで手持ち無沙汰に見える。

雛壇手前にある元の所有者の名前はまりちゃんで、昭和 48 年 12 月 20 日生まれとあるので、もう40代半ばになっているはずだ。その両脇に白酒がわりのコーヒーフレッシュが置かれており、営業中ののぼり旗と合わせて元気の良い雛飾りになっていた。


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「あの夏」

2017年2月26日
僕の寄り道――「あの夏」

ニュースの見出しに「あの夏」とあって、「あの夏ってどの夏?」と思う。

記事を読んでみたら若者世代、そのごく一部の人々によってのみ共有され得る「あの夏」についての記事だった。おじさんは当然知らない。そういう記事が全国紙に出ている。

人にはそれぞれ他人とは違う「あの夏」がある。昭和の時代に「あの夏」といえば被曝や敗戦という出来事のあった「あの夏」が多くの人々に共有されていた。戦後生まれの自分たちでも、親たちが「あの夏」と言えば「あの夏」のことだろうと思えた。

国民的に共有される「あの夏」は遠ざかり、いまはひとりひとり個別に「あの夏」がある。

「あの夏」の文字を見て自分にとって忘れがたい「あの夏」を思い出したけれど、「あの夏」でわかりあえる人はもう誰もいない。新聞に「あの夏」の文字を見て「あの夏」と刻まれた墓標があったら手を合わせてみたくなった。人それぞれに黙祷したい「あの夏」があるだろう。


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花とおじさん

2017年2月25日
僕の寄り道――花とおじさん

高齢の男性がよたよたと腰を屈め、歩道脇にしゃがみこんで土をいじっているのを横目で見た。買い物帰りに、あの人はさっき何をしていたのだろうと気になり、見に行ったら多肉植物であるジュウニノマキを三株ほど移植していたのだった。無事に移植を終えて水をかけた跡があった。

マンション住まいのベランダで育てていたものが増えてしまい、始末に困って捨てるよりはましだろうと、人に踏まれそうな歩道脇に植えたと見た。真相はわからない。踏まれずに育てばいいなと思う。

実は見知らぬ人でもないので「どうしたんですか」と聞いてみることもできたけれど、背中がちょっと寂しげに見えて声をかけそこねた。歳をとった男性が黙って小さな植物の世話をしていると寂しげに見えるというのは、根拠のない妙な固定観念なのだけれど。

こちらはチューリップ


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見ている

2017年2月25日
僕の寄り道――見ている

昨年の夏、静岡での編集会議前に登呂遺跡へ寄り道したら、若い女性がしゃがみこんで熱心に稲作遺構を観察していた。いいなぁと思い、考古学女子のいる風景を写真に撮ったが、帰郷して拡大して見たら、復元された竪穴住居裏でスマホをいじっていたのだった。

土曜日の昼下がり、枯れ木ばかりになって寂しい六義園内にもかなり入園者がある。正門入り口付近の様子を写真に撮り、拡大して見たらほとんどの入園者がスマホの画面を見ていた。奇妙な時代になった。


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好き

2017年2月24日
僕の寄り道――好き

人造物と自然はせめぎ合う。遊歩道をつくっても草木の侵攻を食い止めないと、人間の作ったものなどすぐ自然に還ってしまう。ここでは半透明の塀を設置することで、かろうじて防御線としている。

秋になって植物の勢いも衰え、木枯らしに耐えた蔓と枯葉が向こう側で冬の陽を受け、こちら側に透けて影絵模様を作っている。ウィリアム・モリスの壁紙のようだ。それが何十メートルも線路づたいに続いている。

なんて綺麗なんだろうと思い、昔からそういう写真を夢中で撮っている。親のすねをかじる学生の頃は、こういう写真をフィルムがなくなるまで撮り続けると、
「くだらない写真をとるな、お金がもったいない!」
と母親に叱られた。

結婚してからは、こういう写真を見せると妻は《映像のゴミ拾い》と言い、いったい何を写しているのかと聞くので
「心象」
と答えると大笑いされた。

友だちにこういう写真を見せると
「ゲイジュツ写真は見たくない」
と言い、漢字でなくカタカナで《ゲイジュツ》と聞こえるところに、女性の嫌悪感が現れている。女性というのは概して5W1H 的に説明できない写真は《くだらない》や《ゴミ》や《ゲイジュツ》になるらしい。

線路づたいにエンドレスで続くモリス・バターンがあまりに綺麗なので、夢中で写真を撮っていたら通りかかった高齢の女性が立ち止まり、
「何を撮られているんですか」
と聞くので、来たなと思い
「塀に透けて見える蔓植物がとても綺麗なので」
とわかりやすく答えたら
「お好きなんですね」
とにっこり笑った。


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独奏と独唱と独習

2017年2月23日
僕の寄り道――独奏と独唱と独習

2 月 22 日は金子みすゞゆかりの出版社の女性ふたりに誘われ、小石川「学下コーヒー」まで歌とリュートの演奏を聴きにいった。演奏者は横山沙由子さんというソプラノの美しい声楽家で、リュートやオルファリオンをつまびきながら唄う。おじさんなので「サウンド・オブ・ミュージック」のジュリー・アンドリュースを思い出してうっとりした。

十数名が座れるだけの小さな空間である。いままで大きなホールで、弾いてるんだか弾いてるフリをしてるんだかわからないような状態でしか聴けなかったリュートを、ちょっとしたミスタッチがわかるくらいの近さで聴いた。こういうのを室内楽の愉しみというように思うけれど、厳密に言えば独奏(Solo)は室内楽に入れないらしい。

学下コーヒーにて

「近くていいけど真正面に若い女性がいるので眼のやり場に困る、なるべく視線を合わせないようにしている」
と小声で耳打ちしたら
「わかる、同性でもそうだもの」
と妻が笑う。

学生時代は眼が悪いので教室の一番前に座るのが好きだったが、教師と眼が合うとたいがい指されるので、視線の投げかけ方に注意していたのを思い出した。おかげで手帳にたくさんメモを取ったので勉強になった。


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蕎麦屋の中華そば

2017年2月22日
僕の寄り道――蕎麦屋の中華そば

昭和の時代の大衆的蕎麦屋は食べ物なら何でもありで、蕎麦、うどん、丼もの以外に中華そば、さらにカレーやオムライスやハムエッグなどの日本的洋食もメニューに並べていた。

西池袋の編集事務所で打ち合わせを終え、西武池袋線椎名町駅めざして歩いていたら看板に《生蕎麦中華》と大書された蕎麦屋があったので入ってみた。

昭和の時代の蕎麦屋はオリジナリティあふれる中華そばを出す店が多く、同じ時代に子どもだった友人たちと会うと、
「あー昔ながらの蕎麦屋の中華そばが食べたいなー」
などという話になる。わが世代の《昔ながらの中華そば》といえば《蕎麦屋の中華そば》なのである。

生蕎麦と中華を併記しているような蕎麦屋なので、期待を込めて注文してみたら期待通りのチャーシューメンが出てきた。薄味で透き通ったスーブ、縮れてややこしのある麺、品の良い味付けのチャーシュー、昔懐かしいナルト、色味づけにゆがいたインゲン、そしてこれでもかというくらいに惜しげなく刻みネギが添えられている。存分にユニークである。

そして驚いたことに食べていたら昔懐かしいゼリーとオレンヂが出てきて、珈琲はホットとアイスどちらにしますかなどという。じゅうぶんすぎるくらい親切である。

ちょっと感動したので店名・住所・写真付きで日記に書いておく。

生蕎麦中華「可祢井そば (カネイソバ) 」
東京都豊島区千早1-25-1


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「まんめんじ」のひみつ

2017年2月22日
僕の寄り道――「まんめんじ」のひみつ

子どもの頃はいろいろなはやし言葉があった。昭和四年生まれの精神科医が書かれた本にはこんなはやし言葉が回想されていた。
「まねっこ、まめすり、みそやの小僧」
「まねっこまんざい、まめやのむすめ」
人のまねをするという行為にけがれを感じ、まねっことはやされることに屈辱を感じた時代なのだろう。けがれと屈辱の感じ方は時代によって変わる。

小学生時代、男子児童と女子児童が仲良くしていると
「おとことおんながまんめんじ」
とよく囃された。まんめんじの語源がわからなかったのだけれど、こんなことを書かれている人がいた。

「男と女とまァめいり、いってもいってもいりきれない」と。仮名書きだから断定しにくいが、「まァめいり」とは「豆煎いり」のことだろう。うまいことを言ったものである。
http://www.izbooks.co.jp/kodomo41.html

男と女が向き合って仲睦まじくしていることを「いちゃいちゃ」とか「いちゃつく」とか「ちちくりあう」とか「ててくりあう」とかいう。

この「くりあう」すなわち繰り返されて果てしもない喜びのとき、まさに男女が向き合って真ん中に置いた素焼きの焙烙(ほうろく)を見つめ、手と手をさしのばして豆を煎っている姿が思い浮かぶ。

なるほどと感心したので、引用元で参考文献としてあげられていた大田才次郎編『日本児童遊戯集』東洋文庫 122(1968/9)の古書をAmazon で注文した。


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東京オリンビックとトラ箱

2017年2月21日
僕の寄り道――東京オリンビックとトラ箱

本を読んでいたら懐かしいトラ箱という言葉が出てきて、インドネシアのスラウェシ島トラジャ地方で産出されるコーヒー豆トアルコ・トラジャを思い出した。父親も母方の兄弟たちも酔うとトラになったので、トラ箱の世話になったことがあるのではないだろうか。

1964 年の東京オリンピック前、街をふらふら歩いている泥酔者たちを外国人観光客に見せては恥ずかしいというので、酔っ払いのための軽犯罪取締法が保革一致で成立した。泥酔者の酔いが冷めるまで警察署の特別留置所に収容して隠そうというわけだ。その場所をトラ箱と呼んだ。

で、泥酔してトラ箱に入れられても懲りずに飲酒を繰り返してしまい、家族や知人から勧められて断酒を決意しなくてはならなくなった人たちのため、法整備と並行して日本最初の収容施設が作られた。国立久里浜病院東六病棟、通称アルコールセンターがそれで、最初の担当医として若き日のなだいなだが着任したのが 1964 年 10 月だった。東京オリンビックは様々なものを社会の表層から見えないよう隠蔽した。

今朝は静岡県清水、自家焙煎工房櫻珈琲のイタリアンブレンド

アルコール摂取は国の収入源として公認ですすめられている薬物的トリップである。小さなトリップをして元気になり、他人に「やめろ」と言われない範囲で病気とされないことになっている。コーヒーもまたカフェインを喫する合法的トリップである。コーヒー豆トアルコ・トラジャを調べたら点々付きで「ドリップしよう」というバナーがはられていた


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