僕の寄り道――駒込バラ散歩

僕の寄り道――駒込バラ散歩
(2016年5月10日)

通りに面した玄関脇に花を植えるのは誰かに見せたい、見て喜んでもらいたいという欲求を含むもので、それはインターネットの SNS(ソーシャルネットワークサービス) での自己顕示に似ているかもしれない。毎日、水やりをし、施肥や草むしりをし、病害虫駆除をして見頃を迎えた花を、道行く人が立ち止まって眺めてくれるのは嬉しいに違いない。

他界した義父の納骨のため富山に向かい、帰りに寄り道して途中下車した直江津だったと思うが、海岸方向に歩いていたら見事に花をつけた花壇があり、立ち止まって写真を撮っていたら若い奥さんが出てきて
「どうもありがとうございます!」
と笑顔で声をかけられたことがある。まさに SNS で「いいね!」と言われた気がしたのだろう。

駒込界隈は昔から園芸が盛んだった土地柄のせいか、玄関脇に植えた草花や樹木を丹精されている方が多い。見事なので写真を撮りながら、これは何の花だろうとブツブツ言っていたら、突然植え込み越しに怖い顔をしたお婆さんが顔を出し、
「それは×××××××××!」
と大声で怒鳴られ、腰を抜かしそうになったことがある。最近の若いもんは植物の名前もろくにわからないのか、という怒気を含んでいたようでもあるし、加齢のせいで精神が険しくなられていたのかもしれない。

バラの季節になるとご近所の玄関先を幾つか思い出す。夜来の雨が上がってすっきりしたので、昼休みの散歩がてらカメラをぶら下げて巡回してみた。まさにタイミングが良かったようでどの家も見頃になっていた。住んでいるのは文京区本駒込だけれど、近所で思い浮かぶバラ好きの家はみんな豊島区駒込であるのが面白い。

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僕の寄り道――モチ坂近くの不動明王

僕の寄り道――モチ坂近くの不動明王

冒険小説ではないけれど、読まずに死ねるか(内藤陳風)と思う本の買い置きばかりが増えてきて、「読んでもらえるあてのないひとり言をぶつぶつ書いてなんかいる場合じゃない、いつ病気になって本が読めなくなるかわからない、そうなる前に読んでおこう」そう思うようになって放置していたこのブログ。ただ放置しておくのも気持ちが悪いので、そろそろサイトとともに整理してネット上から消そうと思っていると言ったら、「いま少しずつ読んでいるから消さないで」と言ってくださる人がいた。ただネット上から「消してもいいよ」と言われるのを待っているのも手持ち無沙汰なので、メモしておきたいことを追記しておくことにした。ここから先はほんとうの寄り道である。ネット上からは消してもパソコン内には資料として保存しておくつもりなので。

   ***

駒込駅からほど近い北区中里の聖学院。門前から北東に進むと道は高台の果てにぶつかり、崖下を京浜東北線などの列車が走っている。崖に沿って上中里方向に下っていく寂しい道があり、北区教育委員会が立てた案内板には「モチ坂」の名がある。

ここは坂の坂上に位置し、崕雪頽(がけなだれ)という急斜面を蛇行して下る坂道の跡がわずかに残されている場所です。坂は上駒込村から上尾久村方面へと向かう上尾久村道の途中に位置していました。鉄道が通るようになると坂下には踏切が造られ、大正時代の末から昭和の初期には跨線橋がつくられるにいたりました。モチの木が坂上にあったといわれ、明治10年代の『東京府誌・村誌』にはモチ坂とありますが、この名称は後にはあまり使われなくなっていったようです。

[関東大震災直前のモチ坂あたり。跨線橋が見える。]


その道を上中里方面に向かうと左手にミヤリサン製薬株式会社がある。その手前、真新しい集合住宅の隣に黒い火山岩を積んだ石垣と生い茂る草木があり、間に挟まれて小さなコンクリートの石段がある。数メートル登った行き止まりに一本の木があり、不動明王を刻んだ古びた石たちが祀られ、花が供えられている。

現在の田端駅の場所にも鉄道敷設前には崖上から滝が流れ落ちていたといい、浅間信仰や不動信仰の祠があったという。上中里駅前にも王子駅近くにも滝があったそうで不動明王が祀られている場所がある。そんなわけで、この場所にもかつて上駒込村から上尾久村方向へ流れ落ちる滝があり、信仰の場所になっていたのではないか。

手元の本を見てもこの小さなお不動さんに関する資料は見つからないので想像に過ぎない。ただ、こうして小さな不動明王が憤怒の表情を浮かべて鎮座しているだけで、人ひとりが登って参って引き返せるだけの「場所」が遺されていくということが妙に清々しい。たとえ小さな遺構でも、清々しいというだけで霊験あらたかに感じてしまう日本人でよかったと思う。

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iPhone のそれから

iPhone のそれから

 電話としては引退させた iPhone 5 を写真機として使うことにしたのだけれど、使わずに放置しているだけでぐんぐんバッテリを消耗している。それでは困るのでので、電話機状態から一旦完全リセットした。
 そうしておいて、写真機として必要最小限のアプリだけインストールし、電話ではないので通信に関して不要と思われる設定をすべて OFF にした。
 その状態で放置しておいたら、期待した通り未使用時のバッテリ消耗が止まったので嬉しい。こうやって日記も書ける小型で超多機能な単焦点写真機として、解約した iPhone のそれからが始まった。
 電話機としては引退したけれど、写真機として新たに再出発させてみると、それはそれで新たな欲というものが出てくる。新たな土地に新たなものが芽生えて生命が生まれたら、生まれた生命が増殖していくことは抑えきれない。ただの写真機でいいと思ったものの、枕元に置いた写真機で未明に本が読めたら便利ではないか、そう思って kindle の電子書籍リーダーをインストールした。
 電子書籍リーダーにもなった写真機で漱石の『三四郎』を読んでいたら、「ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて 、団子坂の上から 、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た」とあり、三四郎の散歩コースを知りたいので古地図アプリをインストールした。写真機に地図帳が付いていて、しかもそれがタイムマシンになっているのは重宝なものだ。
 三四郎は本郷追分あたりに下宿して帝大に通っていた。団子坂上までどう歩いたのだろうかと思うに、団子坂上を左折して大通りに出るなら、藪下通りを日医大方面から歩いて、団子坂上を左折して大観音通りに出る、もしくは動坂方面から駒込保健所や特養ホーム千駄木の郷がある通りを進んで団子坂へ左折ということになる。
 三四郎が上京した当時、路面電車は帝大前の本郷通りルートが大学側から拒否され、本郷三丁目からは直角に迂回して春日を経由していた。『三四郎』に出てくる野々宮は寺田寅彦がモデルだが、野々宮が理科大に所属して研究をしていた穴ぐらは、第一高校脇から弥生門を入ってすぐだという。ということは理科大が帝大内に間借りしていたことになるので調べたらそういう時期があり、路面電車の路線とあわせて推測した、明治終わりころの地図を確認してみた。

 そうしたら白山上から団子坂上に向かう大観音通りはともかくとして、団子坂より、本郷保健所前を通って動坂上へと向かう道の方が広かったように見える。三四郎は白山上方向から大観音通りを歩き、団子坂上から団子坂を下らず、左折して動坂方向に向かったのだった。
 そんなことまで調べ、こうやって文字として記録できる写真機という余生が、わが iPhone のそれからである。


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旅とゴミ

旅とゴミ

未明の読書の寄り道で、夏目漱石の『三四郎』を読んでいたら、ふと幼い頃の汽車旅を思い出した。

「ただ三四郎の横を通って、自分の座へ帰るべきところを、すぐと前へ来て、からだを横へ向けて、窓から首を出して、静かに外をながめだした。風が強くあたって、鬢がふわふわするところが三四郎の目にはいった。この時三四郎はからになった弁当の折を力いっぱいに窓からほうり出した。女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。風に逆らってなげた折の蓋が白く舞いもどったように見えた時、三四郎はとんだことをしたのかと気がついて、ふと女の顔を見た。」

東京へ向かう車内風景の中にはこんな描写も出てきた。

「三四郎は吹き出した。けれども相手は存外静かである。「じっさいあぶない。レオナルド・ダ・ヴィンチという人は桃の幹に砒石を注射してね、その実へも毒が回るものだろうか、どうだろうかという試験をしたことがある。ところがその桃を食って死んだ人がある。あぶない。気をつけないとあぶない」と言いながら、さんざん食い散らした水蜜桃の核子やら皮やらを、ひとまとめに新聞にくるんで、窓の外へなげ出した。」

幼い頃、昭和三十年代前半の汽車旅では、窓からゴミを捨てる光景をよく見た。弁当の食べかすや、読み散らした新聞などは足元の座席下に突っ込んでおけと教えられたが、まだ窓から捨てる人も多かった。飲み残したお茶をじょろじょろとこぼしたり、窓から腕を突き出して灰を風に散らし火のついたままの煙草を投げ捨てる男たちもいた。そうだったそうだったと遠ざかる風景の一コマを不意に思い出した。

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鳥居耀蔵と清水と本駒込3

鳥居耀蔵と清水と本駒込3

父である林述斎は町奉行に就任した鳥居耀蔵に

「小善は大悪に似て、大善は非情に似たり」

と言って励ましたという。(童門冬二『妖怪と言われた男鳥居耀蔵』)

 

で、この言葉はどこに出典があるのだろうとネット検索したら、ビジネスマンたちが書くブログに山ほど転載されており、どうやら稲盛和夫の書いたビジネス本に書かれていたらしく、さらにそれを読んだブロガーが自分のブログに転載し、稲盛和夫の言葉として紹介しているものが多い。また、キルケゴールの言葉であると紹介している人もいて、そっくりな文章でキルケゴールの言葉であると書かれているブログもあってうんざりした。

 

林大学頭述斎は江戸時代後期の儒学者であり、朱子学の本に出てくるんじゃなかろうかと思ったけれどよくわからない。

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居眠り

居眠り

 友人が、電車の中で居眠りする少年少女を見て、背筋をほぼ垂直に伸ばしたままの姿勢で眠れる子は健康であり、左右に激しく傾いたり、くずおれそうにくにゃくにゃしている子は、どこか身体に悪いところがあるかもしれないという。ほんとうかどうかは知らない。

 まいにち特養ホームへ食事介助に向かう妻に付き添って、週末だけ1時間半ほど電車やバスに揺られている。行き帰りの楽しみのひとつが、電車やバスの座席に腰掛けたまま居眠りすることで、寝具の上で横になっての眠りとは違う、一種独特の爽快感がある。

 腰掛けたままの居眠り癖がついてしまい、最近は仕事中に眠くなり、注意力散漫で効率が悪いと感じた時は、腕組みして姿勢を正し、目を閉じてこっくりこっくりしている。何回目かのこっくりでパッと目が醒める瞬間があり、気分爽快になってその後の仕事がはかどる。

 ただし、こっくりこっくりの際に身体が傾き、椅子から転げ落ちそうでビクッとすることがあり、そういう日は体調が良くない気もして早めに切り上げることにしている。たしかに居眠り時の身体の傾きは、なんらかのバロメーターになっているかもしれない。

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旅の表紙もしくはポケットの旅支度

旅の表紙もしくはポケットの旅支度

 docomo にキャンプ地を変え、画面の広い新しいスマートフォンに引っ越したので、掃除をしながら調度を整えている。今年もまた出張や帰省や週末の老人ホーム訪問があるので、そういう外出時を想定して、最初の起動画面にアプリを並べてみた。

 カレンダーと地図二枚、方位磁石に天気図、バスと電車の乗り換え補助、そして Suica と TOICA の残高確認、急な宿泊の予約と食事の店探しとアプリを並べ、設定とメモリ管理。最低限の通信関連は最下部の引き出しに並べ、液晶画面が側面に回り込んでいる機種なので、右脇を引っ張ると隙間家具の整理棚が出てくるという、いかにもアジアの辺境的仕掛けになっている。

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道具と人間

道具と人間

 同じマンションで暮らす年上のご夫婦が遊びに来られたので、明るいうちからいっぱい飲んで歓談したら、奥さんが赤いフリップケースに入れた iPhone を持っていた。
「iPhone にしたんですね、どうですか?」
と言ったら、
「使いづらくて私のしたいことがうまくできないの」
という。

 思うところあって docomo に MNP し iPhone ユーザーからも転出したのだけれど、長年使い慣れた iPhone なので
「どんなことがしたいんですか、アドバイスしますよ」
と言ったら、
「みんなでこうして楽しくやっているところを自撮りして LINE に投稿したいの」
などという。フロントカメラも、セルフタイマーも、自撮り棒がわりの長い腕も、LINE アプリも使ったことがないのでびっくりした。同じ道具でも、人それぞれ、全く違う使い方をしているんだなぁと再認識した。それにしても docomo の iPhone には見慣れない docomo アプリが並んでいて驚いた。

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病は気より

病は気より

 ストレスが有害だと信じている人の死亡率はは、ストレスをあまり受けていない人より高くなるのだそうだ。さらに、ストレスが有害だと思っていなかった人の死亡率はは、ストレスを感じていない人と変わらないという。人の思い込みこそが結果を決定しているということはよくあるのだと思う。

 ごく身近にある限られた例だけれど、外科的治療法のない段階の病気でも、それが自然な老化の一過程に過ぎないと達観しているように見える人たちは、周りの者が驚くほど余命を延ばしつつ普通の暮らしをされている。老化を受け入れられる程度に、みな運よく高齢になっているということなのだけれど。
 高齢になるほど病気の進行が遅いという話を聞くのは、そういう心の持ち方が影響するということもあるかもしれない。

 

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鳥居耀蔵と本駒込と清水2

鳥居耀蔵と本駒込と清水2

 野口武彦 『江戸人の精神絵図』 講談社学術文庫を電子書籍版で読み始めた(2015年8月21日)。鳥居耀蔵のことがもっと知りたくて 『幕末気分』講談社を紙の書籍で注文し、届くのが待てなくて著者名で検索し、すぐに読める Kindle 版でこの本を見つけたのだった。

 『 三人称の発見まで』 筑摩書房 1994、 『安政江戸地震 災害と政治権力』 ちくま新書、1997 のち同学芸文庫、 『幕末不戦派軍記』 講談社 2008 のち草思社文庫など、この人の著作は書名をみただけでなんとなく意図がわかって惹かれるものが多い。

  『三人称の発見まで』は古書で見つけたけれど高価なので中身を見てからでないと手がでない。『安政江戸地震 災害と政治権力』 は 「地震後の社会の 『ラディカルな能天気、支配層への期待感ゼロ状態、とことん徹底的な政治無関心』」 と同書解説にあるように、東日本大震災以降の日本で起きていることと酷似しているのではないか、というタイトルへの興味と中身が合致していそうなので注文した。 『幕末不戦派軍記』 も、まさに求めていた「地べたから観た幕末明治維新」 が読みたいという期待にぴったりそうなので注文した。

  で、『江戸人の精神絵図』 だけれど、徂徠学の詩文制作を重んじる一派を 「 「詩酒徴逐(ししゅちょうちく)」(詩を作ると称してしょっちゅう酒を飲んでむらがっている)」 と世間では言っていたと前書きにある。なんだかいまの日本人には頭の痛い批判だけれど、そういう思潮への反作用として江戸時代の改革はあった。

  非合理主義的開放の時代とその反動としての合理主義的粛清の時代。解放と統制、呼気と吸気、海退と海進、弛緩と緊張のような振り子運動として、日本の歴史は繰り返されているだけはないか。そういう中で妖怪じじい鳥居耀蔵はどう生きたか、どう生かされたか、どう生きなくてはならなかったか、とか。そんなことが知りたくてたまらない。

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