静岡市清水区三保。久しぶりに羽衣の松を見てみると、かなり痛んでいた。よく覚えていないが太い枝が、両手を広げるように広がっていたと思う。
両手を広げる形から、横綱の土俵入りの「不知火型」を連想し、そこから「短命」と言うジンクスを思い浮かべていた。この松も「短命」だったのだろうか。
羽衣の松の前で、しばらく眺めていると、平日なのに団体の観光客が来るのだったが、よく見ると年寄りばかりで、観光地自身が高齢者向けになっている事を、思い知らされた。ここから富士山を見ようとすると、砂地の浜を波打ち際付近まで歩かなければならず、年寄りには難儀に思え、羽衣の松で折り返す人が殆どだった。折角の富士山を見ていって欲しいなあと、思うのだったが、彼らには、その情熱も無いようだった。ただ、この日の富士山は、少し霞んでいて、あまりいい状態ではなかったけれど。(汗)
それにしても、羽衣を掛けるにはお手ごろの枝は枯れ、切り落とされた松はすっかりスリムになっていた。この松から、両手を広げた形は、想像もできないし、羽衣伝説も枯れているようだった。
両手を広げる形から、横綱の土俵入りの「不知火型」を連想し、そこから「短命」と言うジンクスを思い浮かべていた。この松も「短命」だったのだろうか。
羽衣の松の前で、しばらく眺めていると、平日なのに団体の観光客が来るのだったが、よく見ると年寄りばかりで、観光地自身が高齢者向けになっている事を、思い知らされた。ここから富士山を見ようとすると、砂地の浜を波打ち際付近まで歩かなければならず、年寄りには難儀に思え、羽衣の松で折り返す人が殆どだった。折角の富士山を見ていって欲しいなあと、思うのだったが、彼らには、その情熱も無いようだった。ただ、この日の富士山は、少し霞んでいて、あまりいい状態ではなかったけれど。(汗)
それにしても、羽衣を掛けるにはお手ごろの枝は枯れ、切り落とされた松はすっかりスリムになっていた。この松から、両手を広げた形は、想像もできないし、羽衣伝説も枯れているようだった。
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