私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

近所の外国

2013-05-30 21:06:50 | ご飯ですね
(写真:揚げ春巻き)

近所にテレビでも紹介されたベトナム料理の店が有り、そろそろ出掛けても良い頃(空き始めた)かと思って家人を誘って行ってみるとデーブル席は満席で小さなカウンターのみが空いているという盛況ぶりに驚いた。

ベトナム料理は葵区の伝馬町辺りでも食べた事が有り(ベトナムに行った事は無い)意外と嫌いじゃない。初めての店ではメニューの隅から隅まで読むのだけどこれと言って面白そうな料理が見当たらない。
「生春巻き」に「ポー」。パクチーの苦手な家人はチャーハンを注文。ベトナムのチャーハンに興味津々。

狭いカウンター席は4人が精一杯なんだけど知らない間に予約席の札が置かれていた。
その間にも何組かのお客は断られていた。
そんなに人気店とは知りませんでした。



テーブル席のお客が頼んだ料理はどうやらつけ麺の様な物でスープが小鉢に入って来ていた。そのお客は食べ方に迷った様で店主に食べ方を聞いていた。多分厨房は大忙しでそれどころじゃ無い事が伺えるくらい店主は不機嫌だった。

店主の答えはスープを掛けても良いし麺を浸けて食べても良いなどと聞き取りにくい日本語で言う。(席が遠いから当たり前)
それじゃあ普通じゃん。ベトナム独特の食べ方を期待したのだけど違ってた。そんなものは無かったのだ。
好きなように食べればいいって事は万国共通なのだ。



多分ベトナムの方々は気にしないだろう。こんなに辛い物を開封したからと言ってそんなに早く消費出来るもんじゃない。日本人は責任転嫁をこんな所でもする。
綺麗にしてからキャップを閉じろなんて無理。

皿に取って味見をする。「ポー」にはパクチーが入っているのでこれを入れた方が味が締まる。



さっぱりしたスープが美味しい。
これに白いご飯を入れて食べたくなる。




ベトナムのチャーハンって「タイ米」で作るんだ。納得。
パクチーを入れないといつものチャーハンによく似ている。

この後デザートが出てきたのだけど、不思議なものだった。「チェー」と言うらしい。
小豆の様な豆にココナッツミルクを掛けた物で日本のぜんざいに似ている。

豆の食感が面白くて冷やして有ったので口の中が意外とさっぱりした。
ぜんざいではお茶が飲みたくなりますからね。



閑静な住宅街ではちょっと散歩の序にランチを食べるにはちょうどいい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランチ

2013-05-27 05:01:21 | ご飯ですね
静岡駅近くの博物館で行われていた陶芸展に出かける。
もっと早い時期に行く手筈だったのだけど行きそびれ、彼是しているうちに会期が迫っていた。まあ、平日に観覧するのも自営の良い所なのだと納得し作品を鑑賞。

今回の作品展は借り物が殆どだそうで、夭折の陶芸家の宿命なんだろう。
有閑マダムに交じって彼の作品で実家のお茶を頂く。彼の実家はお茶農家だった。
菓子皿を丹念に眺め回していると「陶芸を作るんですか」と声を掛けられた。少しだけと返事をし脚の出来上がりを丹念に観察する。いつかは、こんな作品を作ってみたいと思うのだった。

外に出ると、丁度ランチタイムと重なった。
ふっと、昔この辺りでランチをしていたサラリーマン時代を思い出す。

新しくできた飲食店街を眺めてみてもピンっと来る物が無い。思い付く店は改装中だった。
そうだあの「とんかつや」へ行こう。

入り口まで行き中を見るとカウンターは満席だった。やっぱりと思っていると「奥が空いてます。さあどうぞ」と間髪を入れず声が掛かり足は蟹歩きでカウンターの後ろを通る。
奥は階段下の席だったのでカウンターの端っこに座る。

確か年寄りがやっていた店だったはずと思いカウンターの中を見ると、以前よりも年を取った爺さんが三人と皿洗い専門のご婦人が一人カウンター内にいる。擦れ違う事は出来ない狭さなのでその場を動かず持ち場を担当する。

入り口付近の爺さんは揚げ専門。真ん中の爺さんは全体を仕切りながらナイフとフォークを用意する。一番奥の爺さんは会計とご飯出し。全てが流れるように行われる。

目の前の真ん中の爺さんはご婦人が洗ったナイフとフォークをさっきから無意味に湧いているやかんの中にさっと浸けた。無意味じゃ無かった、熱湯消毒だ。なるほど。

とんかつが揚がった。
まずキャベツを一口。野菜から食べると太らないなどと言う迷信を信じている。
そしてとんかつの真ん中から食べる。ここを食べると全体が分かるのだ。

最後は余熱で芯まで火を通すなどと言うとんかつと違ってしっかりと中まで火が通っている。昔ながらのとんかつって事で美味しく頂く。ケチャップが掛かったとんかつは興津でも食べた事が有り、料理が完成した時代が同じなんだなあと無理やり結びつける。

すると突然カウンター内から手が伸びてキャベツが追加された。客の意向は無視。
「絶対食べろ。残すなよ」と言われている様で笑える。
入店前に声を掛けた人もこの人だ。この声に客を納得させる力が有る。



ゆっくり食べていたのでランチタイムはそろそろ終わりだ。
人は皆速足で歩く。

新しくなった「デンビル」の前を素通り。小生には必要ない店と認識。でも昔ここで和菓子を買った事が有ったと思った。その店が現在も有るかどうかさえ分からなかった。



セノバ(旧新静岡センター)の交差点まで来るといつものCBカレーが閉まっている。



この店も高齢の方がやっていたのだけど、どうしちゃったんだろうか。
心配です。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しみず道 完結編

2013-05-23 20:56:29 | しみず縦横断こころ游
前回、肉屋の所(次郎長通り商店街の北端)からしみず道を外れてしまったので、今回はしみず道を旧東海道まで完走します。




次は何処を走ろうか思案中。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人の伯母

2013-05-20 17:19:03 | お出掛け日記
母の実姉(92歳)。
足が悪く歩行が困難になり自然と寝ている事が多くなってしまったそうだ。認知症も始まり在宅看護は苦労する。

小生の顔を見ても誰だか分からなかったのだが家族の応援を得て名前を叫んだ。全員で拍手。まだ繋がっている。

次に出てきた言葉が「お前の十八番(おはこ)を歌え~(もちろん山形弁)」
十八番と言われても子供の頃に歌っていた歌って何だろう。こっちの方が全く思い出せない。

ところがこれを山形に住む従兄が覚えており一節歌ってくれた。
「お前がいつも歌うから覚えてしまった」と言う。「へ~」と感心しながら記憶の何処にもない。


1 富士のお山はお洒落者 前に五つの鏡をおいて
  朝な夕なの薄化粧
  皆さん来るのを待ってます ネーおいでおいで

2 本栖、精進、西の湖(うみ) 樹海過ぎればちょいと河口湖 
  キャンプ賑わう山中湖
  ここは世界のパラダイス ネーおいでおいで

ネット検索の結果、トンコ節 の替え歌と判明。

歌っていたと言われている本人はすっかり忘れているのに、ジグソーパズルの様にピースが繋がっていくのは嬉しい。

*-*-*

もう一人の伯母(母の義姉96歳)
認知症が進んでいて何度名前を言っても思い出してもらえない。
そのうちに母の事を若い人だと言い始めた。

それは特に問題ではないのだけど、小生の方が母より老けて見えると言われてしまった。親より老けて見られるとは、ちょっと凹む。



裏の畑に蕨が出ていると言うので従姉と蕨取りに出かけた。歩いて50m位の所なので家庭菜園的に便利なのだ。
何処に出ているのか全く見えなかったのだけど「目の前だよ」と言われやっと見えてきた。



一度見えると次々に見えてくるのが不思議だ。両手いっぱいくらい収獲。

この話には後日談が有った。


(子供の頃此坂道でそり遊びをした)

山形を発つ日の朝近所の方が蕨を持って来てくれた。

前日母と従姉が蕨取りに同じ畑に行ったのだけど余り伸びていなくて片手くらいの収穫だった。まあ、その前の分と合わせればちょうど良い。

近所の方はその様子を見ており、母を知っていたので帰省していた事が分かったらしい。その方が言うには
「見慣れない夫婦者がお宅の畑の蕨を取ってい行ったんだけど、注意しようと思いつつしなかった…(そんな内容の山形弁)。蕨を土産にするには少なかっただろうから自分の畑の蕨を持って来たんだ…」と。なんて親切なんでしょう。

でもその見慣れない夫婦者って従姉と小生の事ではないだろうか。(笑)

このやり取りを障子一枚挟んだ居間で聞いて居た小生は吹き出しそうになった。
蕨を持って来てくれた人も蕨を渡すことで自分の不作為を取り繕っているのだ。
田舎の親切はどっちに転んでも有り難い。

毎日の山菜料理の生活に解毒作用が進む。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

峠越え

2013-05-18 14:13:32 | お出掛け日記
子供の頃母の実家(山形)に預けられた事が有り、その時随分お世話に成った伯母が認知症を発症し施設に入らなければならなくなってしまった事は知っていた。その伯母が骨折をし寝たきりに成ってしまいそうな話を母から聞いたのだけれど、本当の所はどうなのか良く分からない。伯母が元気なうちに見舞いに行きたいと思っていたので、高齢になった母(82歳)を連れて車で行く事にしていた。

この時期仕事が暇になるので行くなら「今でしょ」って感じです。

子供の頃は母の帰省に連れていかれたので色々な思い出が有る。
特に福島から奥羽本線に乗り換え途中の峠駅に停まる事を覚えている。

此処で汽車はスイッチバックをしながら山を越えるのだが登る前の停車時間が長い。子供にとって停車中の汽車ほど面白味のない物は無いのだった。


(峠駅 左が古い駅舎、右は現在の駅舎。ここを「つばさ」が通過する。)

当時「力餅」と称する大福の様な物を駅売り(四角い箱に入れてホームで売り歩く)していたのだった。発車までの間それを食べて待つのが慣例でもあった。母の実家の前は急な坂道で其処を歩いて登らなければならないのでこの餅で力を付けておけって事らしい。

山形新幹線が開通してからは峠駅に停まる事もなくなり駅売りも見る事は無くなった。今回車で行くので寄り道をする事にしたのだった。
現在は奥羽本線の本数も減っている(現在一日6本)。YouTubeで駅売りの映像を見つけた時はちょっと嬉しかった。


(昔のホーム後を見つけた)



峠の茶で一服。これが「力餅」
日本語に不慣れな女性(多分中国人)が運んで来てくれた。
自分の中ではもう少し平べったい気がしたので昔と同じかどうか尋ねてみた。
当然彼女が知るはずもなく奥に居る日本人に聞きに行くのだが想像通りの「昔と同じ」と言う答えに「だろうね」と納得する。
もしかしたら、昔の事を知っている人も居なくなって居るのかも知れない。



此処を越えれば米沢。米沢と言えば牛肉。
どんな昼食にしようか連れの二人(母と従姉)には内緒で密かに算段していた。
すると其処に山菜雑煮が運ばれて来てこれが昼食に成ってしまった。

心遣いは嬉しいのですが無いかが違う。(笑)



力餅を食べてからは、アクセルも軽やかだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする