私のなべ四器(規矩準縄)

今、自分の周りで起きていること。ご近所のトマソンもそんなに、気にしてない。深めにかぶった帽子で、年内不定休営業中。

燃す

2009-06-30 08:44:04 | ご飯ですね
母の友人の快気祝いだからと、娘さんが赤飯をお持ちになり頂戴した。家族四人でこの赤飯の量は一回の食事では食べきれない。快気祝いとはそれくらい嬉しいものなのだ。

以前、父が快気祝いをしたいと言出だし、田舎に連れて帰ったことを思い出した。父の病気は快気どころか原因さえ分からない病気で、治療方法さえもなかった。一体、どういう理由で快気祝いなのか全く理解できないでいる。(未だに不明)


私は、赤飯が嫌いだ。「嫌いだった」と言ってもいい位にはなったけれど、食べないで済むなら食べたくない。しかし、子供の手前、それは許されない事だったし、食べないで済むなどとは言っていられないのだった。
でも、それとは裏腹に、快気祝いを喜ぶ人達の気持を、受け止めたいと思った。これを食べることで「よかったね」と言いたいのだった。

久しぶりに食べた赤飯はほのかに温かく、もっちりしていた。相変わらず小豆の皮が喉に引っかかるけれど、以前ほどいやじゃない。何かが鈍くなったのだろうか。
そういえば、あんななに嫌いだった豆ごはんも、今年食べた。塩味が豆の香りと絡まって以外と美味しかった。あくまでも以外とで、好きになった訳ではない。


熱血!清水みなと(村松友視著)が欲しくて、古本屋を検索しているけれど、まだ見つからない。どうしても手にとって読みたくて、図書館から借りてきたりした。
その、村松友視の清水絡みの本が刊行されて、新聞広告も出ていた。こうなるとすぐに読みたくなり、いつもの手順をやめて本屋へ出かける。



本屋へ行くと、一番目立つ所に山積みされていて、流石地元本の扱いは違うなあと感心した。本屋に行ってやることは、地元でしか買えない本を探すのだけれど、レストランガイドばかりが目立つ。それなら、蕎麦屋の本は?と思うとこれがない。置いてないだけなのか出版されてないのか、それさえ分からない。欲しいものには、なかなか手が届かない。出版界の孫の手が欲しくなる。


「sizoka」に静岡県はない色?の記事があった。静岡の色を考える。
少なくとも川(富士川、大井川)で分断されている地域を一色で決めるのは難しい。ただ、富士川から大井川までは「茶色」って感じです。
自分の中では、茶摘みを終えて、下枝刈りをした茶畑の色です。華やかな黄緑じゃなくて、もっと泥臭い。田植えをした田んぼの泥の色。流れのない巴川の色。まとめて「茶色」ですね。少し緑掛かった「茶色」って感じでしょうか。


風呂を燃す。
子供の頃住んでいた借家は、薪の風呂だった。だから「風呂燃す」は普通に風呂を沸かすことだった。近所に製材所があったので、時々、リヤカーを借りて木片を買いに行ったことを思い出す。それは一家総出の年中行事のような仕事だった。
リヤカーは父が引き、空の荷台に子供二人が乗り、製材所に行く。
そこで、捨ててある木片をリヤカーに積む。隙間なく山盛り一杯積む。今なら警察に呼び止められそうだ。

当時、リヤカー一杯で100円だった事を覚えている。高かったのか、安かったのか分からないけれど、今思うと廃材なんだからタダでいいような気がする。
現在、住んでいる近所にも製材所(現在は移転した)があり、廃材は自由にもらってきていたし、町内の建具屋でも木片をタダでくれるのだから、やっぱり高かったように思う。

帰りのリヤカーは重い。みんなで押しながら家に帰り、ここから薪割りが始まる。、子供たちは、手伝いのつもりで割った薪の片付けをする。一ヶ月くらいは、薪が持ったような気がするけれど、はっきり覚えていない。薪割りの後、風呂燃す。

父の勤めていた会社に風呂があり、仕事終わりに風呂に入ってから帰宅していたので、父と風呂に入った記憶があまりない。いつも弟と二人で入っていた様な気がする。木製の風呂桶は、底に木の栓があり、触らないように気をつけていた。うっかり触るとお湯が抜け出し、子供にはどうしようもない事になるのだった。しかも、浴槽内に焚きつけの窯がむき出しになっていて、お湯の中とは言っても沸かしたては熱かった。
当時の風呂桶は深くて、肩まで浸かるのに中腰で、急いで50まで数えて飛び出していた。烏の行水はこの頃からだったのだ。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暫定

2009-06-26 14:02:20 | 旧東海道を走る



静岡市清水区 秋葉山付近から巴川に掛る稚児橋を渡り、旧東海道から左折して旧久能街道に入ります。
入江岡の跨線橋で信号待ちをし、更に旧久能街道を進みます。

自転車や人が危なく見えますが、ゆっくり走ったので細かく映っています。(笑)
コマ撮りの為、梅蔭寺付近の「がっくり」が分かり難いですがさらに進みます。
不二見小学校の角で左折し、突き当りを右折。地元車しか通らない狭い道を行きます。右手に駒越えスーパーがある角を右折。スーパーヒバリヤの前を通って、県道駒越富士見線に出ます。(忠霊塔付近)この辺りで、旧久能街道は分からなくなっています。探索途中。

旧久能街道は駒越スーパー左折後、途中を左折するのだけれど、車では、厳しいので、真っ直ぐに通り抜けています。
駒越富士見線を南下し突き当りを左折、国道150号線に出た後、駒越の大銀杏の辺りで終わる。

自慢げに家人に見せたら、「また、危ない事をして」と小言を言われた。悪かった所ばかりが目についた。車載カメラを固定する台を考案中。
画像が安定したら、もう一度撮影しないします。(笑)

追記:動画中の吹き出しを追加しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発明

2009-06-25 20:33:23 | ひとり独り言
清水港之栞を読み進めて行くと、途中に赤や青の紙を使った広告が挟み込まれている。少し前までは、新聞の折り込み広告にも使われていた紙と同じようで反対側が透けて見える。

殆どが会社の名前と、業種や取り扱っている物を掲載しており、連絡先の長電話(電話番号)は二桁だったけれど、天野回槽店は長電話が一桁「九」だった。それに電略も書き込まれていて、電略「アマノ」又ハ「九」と長電話と並べて掲載されていた。現在も残っている名前がある事は、すごい事だと思う。

電略ってよく分からないけれど、交換台が電話に出て、繋いでくれるのかな。その時に「九」と言うと繋がるのだろうか。だとしたら、ボイスコールの様で便利だ。
発明を載せた広告も有った。机の上に置く文机で、傾斜が付いているので姿勢も良くなり疲れないらしい。しかも持ち運びに便利らしい。 果して注文は在ったのだろうか。もしこの店が現代に有るとしたら何処かの家具屋と言う事になるかも知れない。(勉強机を沢山売っている所)

  
    
羽衣煎餅は、薄くて白いせんべいかなあと思う。
富士之雪。白くて雪の様だと言うと、マシュマロ位しか思いつかない。または金平糖かも知れない。
 
最後の海水飴。水飴がしょっぱいのか?これは、想像の手掛かりさえ無い。どんな物だったのだろうか。待てよ、海軍の水飴かも。想像は尽きない(笑)

和洋御菓子調進所。和菓子はともかく、洋菓子を作っていたのだろうか。この頃の洋菓子って何だろう。考え出すと次々に探したくなる。「かすていら」の事だろうか。

追記:電話長が若い番号を選んでみました。

四番 鈴木与平



五番 清水銀行 江尻支店
七番 清水銀行 興津支店


青木も七番


芝野栄七は十一番でした。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

混合器

2009-06-25 06:05:10 | ひとり独り言

地上デジタル放送に合わせて17年使っていたテレビ放送受像機を買い替える事にした。そのテレビだけ見ている時は、それほど気に成らないのだが、最近購入した液晶テレビと比べると、輝度が落ちているのは明らかだった。

知らなければ、気に成らなくても、知ってしまうとどうしようもない。定額給付金が振り込まれるまで買えませんと言っていたのだが、それも振り込まれてしまった。仕方無く重い腰を上げる。

 新しいテレビは、衛星放送も受信するので家族(特に愚息)はBSが見れるようになるのかと興味津津なのだ。勿論、アンテナを出せば見れるようになると明言したので、当然視聴したい旨の要望が噴き出て来た。知らなければ気に成らない物を、知ってしまった以上は仕方がない。アンテナを出す事にした。

 その前準備として、混合器を購入。これをアンテナ柱に取り付けるのだ。(混合器はアンテナに近い方が有効)電気屋に頼めば、やってはくれるけれど、自分で出来る事はなるべく自分でやって見せる事にしている。自分で決めた事ではあるけれど、面倒なことを決めたものだ。途中で投げ出さない様に、準備を念入りにする。

 同軸ケーブルの加工が少し面倒だけど、何とか成りそうだ。猛暑日と雨の日以外の気候のいい時を狙って、外作業に掛るとするのだが、ここ数日の天候の変化には厳しい物がある。本日は、日中暑くなりそうだし、天候予報を聞いているだけで、汗が出てくる。(単純)

 知らないでいれば大丈夫なのだが、知ってしまうとどうしようもない。人の寿命だけは知りたくはありません。ただ、自分の寿命は聞いて見たいような、聞いたら生きていけないような、結局、分からない事は知らない方が良いようです。(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009-06-22 15:51:47 | 清水の今昔
梅雨の間隙を縫うように、曇り空の中図書館に出かけた。仕事が思わぬ所で止まったため空き時間が出来たのだ。少し前、図書館の書庫出納係に頼んで出してもらった「清水港之栞」をもう一度見ることにした。
今回は、全ページ写真撮影するためにカメラも持参する。

大正元年十二月廿五日 発行
発行所 櫻田書店

大正十三年12月15日登録
静岡県立葵文庫     

撮影を始める前にパラパラページを捲ると、突然清水の次郎長の胸上写真が現れビックリする。付録として巻末に任侠治郎長伝が掲載されているのだ。清水港と言うと、こんな資料にも次郎長は出て来るのだった。

治郎八の米商へ養子に行った長五郎なので、治郎長。知っている次郎長と字が違う。

静岡と清水を結ぶ軽便鉄道の件があり、転記する

現今、15分間毎に発車し、静岡まで約50分を要す。その各駅に至る賃金(通行税共)次の如し。

江尻新道     三銭
入江町      四銭
上原       七銭
草薙       九銭
中吉田     十一銭
古庄      十三銭
きよみづ    十四銭
静岡      十四銭


東海道鉄道や軽便鉄道が開通するまでの交通手段は馬車、人力車しかなかったけれど、開通と共に衰退していった。それども駅で客待ちをするようになり、現代のタクシーと同じようだ。

人力車の車賃が掲載されていたので転記する。

 
         清水波止場より    江尻停車場より
 清見寺        四十銭        三十銭
 秋葉山      二十五銭        十五銭
 美濃輪神社      八銭        二十銭
 鉄舟寺      二十三銭        三十銭
 久能山東照宮    四十銭        五十銭


軽便鉄道に比べると、人力車はかなり高級な乗り物の様に思えます。
時間を見つけては、少しずつ読み進めて行きたい。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする