キリスト教のシンボル:魚
魚のギリシア語:ΙΧΘΥΣ = ἰχθύς 発音・イクスス
魚は、「イエス、キリスト、神の、子、救い主」の五つの語の頭文字
Ι ΙΗΣΟΥΣ (Ιησουσ) イエスス イエス
Χ ΧΡΙΣΤΟΣ(Χριστοσ) クリストス キリスト
Θ ΘΕΟΥ(Θεου) セオー 神の
Υ ΥΙΟΣ(Υιοσ) フィオス 子
Σ ΣΩΤΗΡ(Σωτηρ) ソーテール 救い主
981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本キリスト教 富 谷 教 会
週 報
年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』
聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)
復活節第3主日 2016年4月10日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 206(七日の旅路)
交読詩篇 145(わたしの王、神よ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 ヨハネによる福音書21章1~14節(新p.211)
説 教 「ガリラヤ湖畔で弟子たちに朝食を与えた復活の主」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 327(すべての民よ、よろこべ)
聖餐式 78(わが主よ、ここに集い)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 4月17日(日) 午後5時~5時50分
聖書 ヨハネによる福音書21章15~25節
説教 「あなたはこの人たち以上にわたしを愛しているか」
賛美歌(21) 320 481 24 交読詩編 116篇
本日の聖書 ヨハネによる福音書21章1~14節
1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
本日の説教
ヨハネによる福音書は、20章の30、31節で、この福音書が書かれた目的を記し、締めくくりの言葉としています。この書は、20章でいったん終わったことになります。21章は、後になってから追加された文書です。
21章が追加された理由は、復活のイエスが、ユダヤのエルサレムだけでなく、弟子たちの出身地であるガリラヤでも現れたことを記すためでした。マタイによる福音書の28章10節で、復活の主イエスはマグダラのマリアたちに「わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」と言われました。マルコによる福音書16章7節にも同様の言葉があります。弟子たちは主イエスからガリラヤで会うと言われたので、ガリラヤに帰りました。
21章の2節以下に、ペトロを筆頭とする七人の弟子たちが、ガリラヤ湖で魚を獲る漁師の仕事をしていることが書かれています。20章で、復活のイエスは弟子たちに現れて、弟子たちを伝道に派遣しており、聖霊を与えています。イエスが二度目に現れたときには、トマスは「わたしの主よ、わたしの神よ」と信仰の告白をしています。その弟子たちが、故郷に帰って漁師の仕事を始めたことについて弟子たちが召命以前の状態に戻ってしまたからだと解釈する説が、意外に多いのです。舟を捨て、漁師の生活を捨ててイエスに従った彼らが再び漁師に戻ったのは、復活の信仰が本当に弟子たちのゆるがない信仰となるためには、相当の時間を要したからであり、そのために主は何度も弟子たちに現れたのだと解するのです。弟子たちはガリラヤで再び復活の主と出会うことによって信仰を回復し、使徒の使命を与えられた、というのです。
弟子たちが漁師となったのは、生計を立てるためです。主イエスに従っていた三年間は、自分の持ち物を出し合って、イエスの一行へ奉仕する多くの婦人たちもおり、金持ちの徴税人ザアカイのようなイエスによって救われた協力者もいたので、弟子たちは生活には不自由しませんでした。だが、イエスを失った後、自活しなければなりません。弟子たちが漁を始めたのは、パウロがテント作りをして生計を立てたように、自活するために必要だったのではないでしょうか。弟子たちは、キリストによって派遣された使命に背を向けて漁師の生活をしていたのではないと私は思うのです。
21章1節は、次のような言葉で始まります。「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。」
<ティベリアス湖>とは、ガリラヤ湖の別名です。紀元18年頃にヘロデ大王の子、ヘロデ・アンティパスによってガリラヤ湖畔の西岸中央部にティベリアスという町が建てられました。このティベリアスという名は、当時のローマ皇帝ティベリアスにちなんで付けられ、ギリシア風都市として建てられました。この町はガリラヤ地方の首都になりました。ガリラヤ湖がティベリアス湖と呼ばれるようになったのは、この町の名に由来しています。
シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいました。ゼベダイの子たちとは、ヤコブとその兄弟ヨセフです(マタイ4・21)。七人の内、五人の名は分かります。他の二人は、ペトロの兄弟アンデレと、ペトロと同じベッサイダ出身のフィリポが思い浮かびます。
ペトロ、ヤコブ、ヨセフは明らかにガリラヤ湖の漁師でした。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言いました。場所は記されていませんが、イエスのガリラヤ伝道の本拠地であったカファルナウムか、ペトロやヨセフの出身地のベッサイダと思われます。
彼らは出て行って、舟に乗り込みました。しかし、その夜は、弟子たちは夜通し漁をしたのに、一匹の魚も獲れませんでした。徒労感で、心身疲れ切って岸に向かって帰ってきたのです。
既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられました。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分かりませんでした。舟が岸に近づいたときでしょう、イエスが、「子たちよ、何か食べる物(プロスファギオン「副食物、ここでは魚の意」)があるのか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えました。イエスの質問は、食べる魚を欲しくて言ったのではなく、「何も食べるものを獲れなかっただろう」という思いやりの質問でした。
イエスは、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と言われました。おそらく少し沖へ出たのでしょう、言われた通り網を打ってみると、魚(イクスオン「イクススの複数形」)があまり多くて、もはや網を引き上げることができませんでした。
イエスとペトロたちの最初の出会いの時も、これと同じような大漁の奇跡がありました(ルカ5・1~11)。夜通し漁をして何もとれなかったペトロに、主イエスは人々に話をするので舟を出してくれるよう頼みました。主イエスは舟から人々に教え、話が終わると、ペトロに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言われました。「夜通し苦労しても何もとれなかったのです。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と答えてペトロが網を降ろしてみると、おびただしい魚で網が破れそうになりました。ペトロは「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」と言いました。とれた魚にペトロも一緒にいたヨハネも驚いたからです。するとイエスはペトロに向かって、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と言われました。そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従いました。
この時も、同じようなことが起こったのです。ペトロやヨハネは主イエスと最初にお会いして召し出された時の事を思い起こしたに違いありません。「イエスの愛しておられたあの弟子」のヨハネがペトロに「主だ」と言いました。ヨハネは復活の主を感知することはペトロに先んじています。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着(漁師の服)をまとって湖に飛び込みました。上着をまとったのは、主の前に裸で出るのは畏れ多かったからでしょう。飛び込んだのは、主の身許に少しでも早く泳いで近づくためだったと思われます。ペトロの愛すべき性急さ行動力が表れたユーモラスな光景です。
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来ました。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのです。<二百ペキス>とは、90メートルの距離です。
さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてありました。その上に一匹の魚(オプサリオン「食べる魚の意、単数形」)がのせてあり、一個のパン(アルトン「単数形」)もありました。主イエスが弟子たちのために朝食を用意しておられたのです。
イエスが、「今とった魚(オプサリオン「複数形」)を何匹か持って来なさい」と言われました。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚(イクスオン)でいっぱいでした。それほど多くとれたのに、網は破れていませんでした。
<百五十三匹>という数字は何を象徴しているのかにつては、古来種々の説があり確定することはできません。分かりやすい有力な説は、ヒエロニムス(340?~420年、アンティオキア教会の教父、神学者)の説で、当時の地中海に棲む魚の種類を表す数であったとし、世界のすべての人々が伝道の網に一杯に満たされるということの象徴であるとする説です。
<網は破れなかった>は、「天国は、網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める網にたとえられる」(マタイ13・47)とイエスが教えらえているので、網は教会を指すものと想定され、多種多様な人々から成り立っていても、主にあって一つであり、分裂しない、ということを表していると解されます。
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われました。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしませんでした。主であることを知っていたからです。イエスは来て、パン(アルトン「単数形」)を取って弟子たちに与えられました。魚(オプサリオン「単数形」)も同じようにされました。主イエスは生きるために必要な食卓を弟子たちのために用意してくださったのです。
この場面は、二匹の魚と五つのパンで五千人の人々を満腹させた、6章に記されている奇跡を想起させます。主イエスがパンを裂いて弟子たちに与えられ、魚も同じように弟子たちに分けられた時、弟子たちも、あの時のことを思い起こしていたに違いありません。あの時主が与えた食事は過越祭が近いことから主の晩餐(聖餐)を先取りする食事でした。しかし、この度主から与えられた朝食は日毎の糧としての食事でした。主と食事を共にするのは最後の晩餐の時以来のことであり、この日毎の糧としてのパンをいただいた弟子たちは、「わたしが命のパンである」(6・50)と言われた主のことばも思い起したでしょう。
ペトロがこの時の食事について、コルネリウスの家では話したことが、使徒言行録に記されています。「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。」と話しています。この食事は、復活のイエスの顕現が幻影や幻想でもなく、霊や幽霊の顕現でもなく、死の支配に勝利されて復活した生けるキリストとの交わりを体験したことが語られています。
七人の弟子たちが、生計を立てるために漁師の仕事をしていたのは、宣教に遣わされた者として、信仰にふさわしくない行為だったのでしょうか。決してそうではないと思います。イエスは「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」と漁を続けるように言われており、また「今とった魚を何匹か持って来なさい」とまで言われています。ペトロたちの仕事を認めておられるのです。そうでなければ、ペトロたちの獲った魚は無くとも、イエスの用意した一匹の魚でも十分であったはずです。
弟子たちが宣教していく時、自活するために仕事をしなければならないこともあります。その場合にも生活を支えてくださるのは主であることが、この出来事の中に示されています。弟子たちが夜通し漁をしても不漁であったことを知っておられた主は、空腹の弟子たちが岸に帰るのを待った、朝食を準備し、既に夜が明けたころから、イエスは岸に立って弟子たちを待っておられたのです。私たちを豊かな命の糧でもてなしてくださる御方は、また私たちの日常生活の中においても、豊かな命にあずからせてくださる御方であることが示されています。同時に宣教の業も使徒たちの人間的努力だけでは遂行不可能であって、主イエスの命令と助けによってはじめて可能であることが示されています。岸での主イエスと共に過ごした朝食のひと時は、弟子たちが宣教活動を続けていくうえで、大切な意味をもっていました。
私達の日常の糧まで配慮して、備えてくださる復活の主を信じて、自活のためにも働き、託されている宣教の業に励みたいと思います。
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