
上の地図は「地図と絵画で読む聖書大百科」p.71より転載。ヤコブ一族が与えられたラメセス地方(47:11)は、最も大きな都市の名によって呼ばれた地方のことです。ラメセスはエジプトの王の名にちなんでつけられた都市です。ゴシェンの地は、その一部の地です。
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日本キリスト教 富 谷 教 会
年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」
聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6
週 報
降誕前第六主日 2013年11月17日(日) 5時~5時50分
礼 拝 順 序
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 206(七日の旅路)
交読詩編 146(ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 創世記46章1 ~7、28~30節
説 教 「ヤコブのヨセフとの再会と死」 辺見宗邦師
祈 祷
讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 2013年11月17日(日)午後5時~5時50分
聖書 創世記50章1-26節
説教 「ヨセフの生涯と死」
交読詩編 90 讃美歌 355 528 27
本日の聖書 創世記50章1-26節
1。彼が、「はい」と答えると、 3神は言われた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民イスラエルは、一家を挙げて旅立った。そして、ベエル・シェバに着くと、父イサクの神にいけにえをささげた。 2その夜、幻の中で神がイスラエルに、「ヤコブ、ヤコブ」と呼びかけたにする。 4わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」 5ヤコブはベエル・シェバを出発した。イスラエルの息子たちは、ファラオが遣わした馬車に父ヤコブと子供や妻たちを乗せた。 6ヤコブとその子孫は皆、カナン地方で得た家畜や財産を携えてエジプトへ向かった。 07こうしてヤコブは、息子や孫、娘や孫娘など、子孫を皆連れてエジプトへ行った。・・・・・
8ヤコブは、ヨセフをゴシェンに連れて来るために、ユダを一足先にヨセフのところへ遣わした。そして一行はゴシェンの地に到着した。 29ヨセフは車を用意させると、父イスラエルに会いにゴシェンへやって来た。ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けた。 30イスラエルはヨセフに言った。「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」
本日の説教 「ヤコブのヨセフとの再会と死」
先週の礼拝では、創世記45章に記されている、ヨセフと兄たちとの和解の場面について、説教でお話しいたしました。ヨセフの兄たちは、エジプトの宰相(首相)の衣装をまとい、ファラオから与えられたツァフェナト・パネア(「隠された意味を読み解く者」の意)というエジプト名で呼ばれているヨセフを、自分たちの弟とは思わずに、二回目の穀物の買い付けに、カナンからエジプトに来ました。エジプトの王に次ぐ地位にあるヨセフが、兄弟たちに、「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか」と自分の身を明かしとき、兄たちは驚くとともに、自分たちがヨセフを奴隷として売った過去の出来事に対する、ヨセフの報復を恐れたと思われます。
「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。(45:7)」とヨセフが兄たちに語り、ヨセフが兄たちの犯した罪を赦していることを語ったとき、兄たちはほっと胸をなでおろしたことでしょう。
「この国にあなたたちの残りの者を与え」とありますが、改訂訳聖書では、「あなたがたのために残りの者をこの地に残し」となっています。原語では「置く」という意味なので、「与え」より、「残し」の方が、分かりやすい訳だと思います。「残りの者」とは、イスラエルの子孫のことです。
ヨセフは、「急いで父上をここへ連れて来てください」と兄弟たちに言いました。ヨセフと兄たちの間に和解が生まれました。ヨセフはヤコブとその家族をエジプトへ移り住むようにと招き、エジプトの王ファラオ(「大いなる家」の意。王の称号)も、ヤコブたちをエジプトへと招きました。
ヨセフの兄たちは、たくさんの食糧とみやげ物を携えて、父ヤコブのもとに戻りました。そしてヤコブに、ヨセフが生きていたことを、しかもヨセフがエジプト全国を治める者にまで出世していたことを伝えました。ヤコブは息子たちの言うことが信じられず、「気が遠くなった」と記されています。息子たちが、ヨセフの生きていることを父に告げることは、父を喜ばせるすばらしい知らせです。しかし、それは自分たちの犯してきた罪が発覚することでもありました。息子たちは、ヨセフをエジプトへ売り、そのことを隠すために彼が死んだかのように見せかけて父を欺いたのです。ヤコブは、とにもかくにも、死んだと思っていた息子ヨセフが生きているという知らせを聞いて喜んだ違いありません。
「息子たちは父ヤコブに、ヨセフが与えてくれた様々なものや、ファラオが与えた馬車を見せ、エジプトに招かれたことを伝えました。 「その時のヤコブの言葉が45章28節にあります。「よかった。息子ヨセフがまだ生きていたとは。わたしは行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい。」ヤコブとその家族全員は、エジプトに向けて出発しました。そして、途中ベエル・シェバにつくと、ヤコブは、神にいけにえをささげ、礼拝しました。ベエル・シェバは、ヤコブがハランへ旅したときに出発した故郷の町です。ヤコブには、エジプトへ下ることにためらいがありました。父イサクがやはり飢饉にあった時、神に「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福する。」(創世記26章2~3節)と言われました。また、祖父アブラハムは、飢饉のときにエジプトへ下り、ファラオに、アブラハムは妻を妹と偽って、大きなあやまちを犯しました。
その夜、幻の中で神が、「ヤコブ、ヤコブ」と呼びかけたのです。彼が、「はい」と答えると、神は、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう」(46:2~4)」と、言われたのです。
「ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう」とは、ヨセフが父ヤコブの最後を看取ってくれる、ということであり、「わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す」ということは、ヤコブはエジプトの地で死ぬが、その遺体を息子たちがカナンの地に運び葬るであろう、ということです。また、やがてイスラエルの民がエジプトにおいて増え、モーセによって率いられてこの約束の地の戻るだろう、という言葉です。
この言葉によって、ヤコブは安心してまだ見知らぬエジプトへと旅立つことができたのです。ヤコブは、70人の家族と共に、息子たちの嫁たちを連れて、エジプトに行きました。そして、ヨセフとゴシェンで再会を果すため、ユダをヨセフのところに遣わしました。ヤコブとヨセフの再会の地とするゴシェンは、ナイル川のデルタ地帯の東の地域です。
ヤコブ一族がエジプトに移住したのは、紀元前1700年頃のヒソクス(ギリシャ語=「異国の地の支配者」の意)王朝(15-17王朝)の時代と思われています。その首都はアヴァリス(現在のカイロより70キロほど北。現在はほとんど遺跡がの残っていません。)でした。ヤコブ一族が住むことになるゴシェンの地は、アヴァリスより20キロほど北の地方です。ヨセフは、宮廷全体の主として、首都アヴァリスの宮廷に住んでいたと思われます。
ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けました。父ヤコブは、「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから」と語りました。ヤコブはヨセフと再会できて、無上の喜びを覚えたのです。
いよいよヤコブ一族はラメセス地方のゴシェンに移り住みました。エジプト人の嫌う「羊飼い」という職業を伝えて、彼らとは離れた地域で、神の民として過ごすことを選んだのです。
ヨセフの引き合わせで、ファラオにとの対面がかなったヨセフの兄弟たちは、「わたしどもはこの国に寄留させていただきたいと思って、参りました」と伝え、ファラオの快諾を得ました。ヨセフは、父ヤコブをファラオと対面させました。ヤコブは、祭司のようにファラオを祝福しました。ファラオから年齢をたずねられると、ヤコブは、「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」と答えました。
祖父アブラハムは175歳、父イサクは180歳まで生きました。ヤコブは、まだ130歳です。この17年後、147歳で死にます。「祖先には・・及びません」と言ったのは、年齢のことだけを言っているとは思われません。「苦しみ多く」と言っています。ヤコブは、兄から逃げるようにして、77歳のとき、単身でハランに旅し、20年もの長い間、伯父ラバンのもとで苦労しました。伯父のもとからも、逃げるようにして故郷へ向かって旅をしました。妻や子供たち、奴隷や、多くの家畜や財産を持つ身になっても、兄の復讐を恐れていました。故郷に帰る途中、シケムに10年ほど住んでいたとき、次男のシメオンと、三男のレビがシケムの人たちに残虐な殺戮を行い、罪を犯しました。父ヤコブはどんなにか心を痛めたことでしょう。シケムにいられなくなり、逃げるようにしてベテルに向かい、ヘブロンに移り住んだのです。旅の途中、末の子の出産で、愛妻ラケルが死にました。その直後、今度は長男のルベンが父の側女(そばめ)ビルハと寝たことで、長子の資格を失いました。ヘブロンでは、妻レアにも先立たれたのです。ヤコブの語った「苦しみ多く」という言葉には、これまでの苦しみが凝縮して語られています。ヤコブは、また偉大な祖父アブラハムや、父イサクと比べて、自分がいかに取るに足りない者であるかを自覚していました。ヤボク川を渡る前、兄の攻撃を恐れて祈ったときのヤコブの言葉に、「わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です」と言っています(32:11)。先祖たちに比べて、自分が、神からすべての恵みと祝福を受けるに足りないものであることを、言い表した返答だったのではないでしょうか。ヤコブの謙虚な姿が示されています。
イスラエルの民は、エジプトの国、ゴシェンの地域に住み、そこに土地を得て、子を産み、大いに数を増やしました。ヤコブはエジプトで17年間生きました。異国での生活とは言え、最愛の息子の庇護のもとに、多くの子供たちや孫たちに囲まれて、ヤコブは平安な老年を過ごしました。
ヤコブは死ぬ日が近づいたとき、息子ヨセフに、エジプトにではなく、先祖たちの墓に葬ってほしと頼みました。ヨセフが言われたことを守ると誓うと、「イスラエル(ヤコブ)は、寝台の枕もとで感謝を表した(47:31)」とあります。これは「太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです(37:9)」と言ったヨセフの見た夢が実現したことになります。「太陽」は父親を指しています。ヤコブは死ぬまえに、「力を奮い起こして、寝台に座りました。」そして、ヨセフの二人の子、エフライムとマナセを祝福しました。そして、二人をヤコブの養子とし、カナンの地のシェケムを与えることを約束しました。
ヤコブは、12人の息子たちを呼び寄せて、十二部族の祖となる息子たちに、将来を予言し、彼らとその子孫を祝福しました。ルベンは長子でしたが、父の寝床を汚したので、長子の権利を失いました。シメオンとレビは、父の意志にそむいてシェケムの人々を虐殺したので、子孫はほかの部族の中に分散して存在します。シメオンの部族は、ユダ族の相続地の中にあり、レビの部族は、イスラエルの全部族の中に散らされました。ユダの部族には、長子の権利は与えられませんでしたが、王権はユダを離れず、ダビデ、ソロモン王が生まれ、主シロ(救い主・キリスト)が現れます。
ヨセフは長子の権利を得、彼にはエフライム族とマナセ族の二つの相続地が与えられました。ベニヤミン族からサウル王、ヨナタン、使徒パウロなどが出てきます。
ヤコブは息子たちに命じました。「間もなくわたしは先祖の列に加えられる。わたしを先祖たちと共に葬ってほしい。」と言って、カナン地方のマムレ(<マムレ>というアモリ人の族長の所有する土地)の前のマクペラ(<マクペラ>とは二重という意味で、洞穴がひょうたんのように中でくびれて、二つの部屋のようになっている。)の畑にある洞穴の墓地を指定しました(23章参照)。そこには、アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブの妻レアが葬られていました。それは、彼らにカナンの地こそ神が約束された地であり、将来そこに帰るように教えるためでもありました。ヤコブの臨終の床での信仰は輝いており、死ぬ前に信仰によって大切なことを語りました。
ヤコブは、息子たちに命じ終わると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられました。ヨセフは父の顔に伏して泣き、口づけしました。ヨセフは父のなきがらに防腐処置をし、七十日の喪に服し、父を葬るためにカナンへ上って行きました。ヨセフの家族全員と彼の兄弟たち、および父の一族、宮廷の元老たちと重臣たちすべてがヨセフと共に上って行きました。戦車や騎兵と共に上っていったので盛大な行列となりました。父の追悼の儀式を七日間にわたって行ったのち、アブラハムがマムレの前にある畑とともにヘト人エフロンから買取り、墓地として所有した墓に埋葬した後、エジプトに帰りました。
「信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神に礼拝しました。」(ヘブライ人への手紙11:21)とあります。七十人訳聖書は、ヘブライ語原典の旧約聖書をギリシャ語に,七十人の人が訳したギリシャ語訳の聖書です。ヘブライ語の「床」という語と、「杖」という語は、同じ綴りで、母音だけが違います。ヘブライ語聖書原典は、母音記号がついていません。そこから、「床」と「杖」と二つの訳が可能なのです。ヤコブとヨセフの誓いは、神の前でなされたところから、「杖の先に寄りかかって神に礼拝しました」という訳になったと思われます。
ヤコブの生涯は百四十七年でした。ヤコブは、神の祝福を求めて「神と争った者」として、「イスラエル」という名を神から与えられ、波乱に富んだ生涯を送りましたが、神がヤコブに約束したように、いつも神はヤコブと共にあり、ヤコブの生涯を守り導き、祝福しました。生来、ずる賢く、欲張りで、人を押しのけるような性格のヤコブが、神の祝福によって、堅固な信仰の人に造り変えられ、アブラハム、イサクの後を継ぐにふさわしい人物にされたのです。ヤコブと共にあった神は、この後、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」として、自らを啓示する神として現れます。ヤコブの信仰の生涯は、多くの人々に共感を与え、励ましてきました。詩篇も次のように歌っています。
「万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。」(詩篇46:12)
「いかに幸いなことか、ヤコブの神を待ち望む人。」(詩篇146:5)
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