
↑「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」 エフェソの信徒への手紙1章3節
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日本福音教団 富谷教会週報
聖霊降臨節第2主日 2025年6月15日(日)午後3時~3時50分
礼 拝 順 序
司 会 斎藤 美保姉
奏 楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 289(みどりもふかき)
交読詩編 99(主こそ王)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)エフェソの信徒への手紙1章3~14節(p.352)
説 教 「キリストにおける霊的祝福」辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌 522(キリストにはかえられません)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 6月22日(日) 午後3時~3時50分
聖書 使徒言行録17章22~34節
説教 「悔い改めの使信」
讃美歌(21)441 531 24 交読詩編25編1~11
本日の聖書 エフェソの信徒への手紙1章3~14節
3わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。 4天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 5イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。 6神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。 7わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。 8神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、 9秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。 10こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。 11キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。 12それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。 13あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。 14この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
本日の説教
「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロ」(1:1)から、エフェソにいるキリスト・イエスを信ずる人たちへ宛てられた手紙です。「わたしはこの福音の使者として鎖につながれています」(6:20)と言っています。エフェソ書は、フィリピ書、コロサイ書、フィレモン書と共に、「獄中書簡」と呼ばれています。
次の【】内は、説教では省略。
【十八世紀終わり以来、この書簡が使徒パウロの書簡であるのか、その「真正性」をめぐる研究がなされました。文体や内容が他のパウロの書簡と違うからです。EKK新約聖書注解の「エペソ人への手紙(1981年出版、1998年翻訳本・教文館発行)」の注釈者は、エフェソ書の著者を使徒パウロの名を借りて、パウロの権威の下に書かれたものとし、小アジア教会(トルコ)の教師で、指導的地位にあり、周辺の諸教会も訪問しつつ指導した人物だろうと推定しています。この人物は自分をただパウロの伝統の伝承者、解釈者としてのみ理解し、未知の人に留まり、パウロの霊においてエフェソ書を著した、と述べています。この手紙は、パウロ以外の人の手になったとしても、パウロ思想は見事に継承されています。書かれた年代を一世紀の終わり頃から二世紀の始め頃と推定しています。】
「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(1:2)
手紙の差出人と受け取り人を記した後、手紙は祝祷から始まります。新しく証された憐れみである「恵み」と人間全体を包む救いである「平和」が読者に臨み、働き続け、留まるように祈リます。手紙の最後に記されている結びの祝福(6:23)でも同じ、「平和」と「恵み」の言葉が用いられており、手紙全体が恵みと平和の語りかけの中におさめられています。
1章から3章の終わりまでは、霊感のみなぎる格調高い教理的な教えの部分です。最初の1章3節から14節には、神のキリストを中心とする人類の偉大な救いの御計画が語られます。
今日の聖書の箇所(1章3節から14節)までは、「神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる」という小見出しがついています。
「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(1:3)
先ず、手紙は神への長い感謝の言葉で始まります。格調高く荘重な言葉が使われています。主イエス・キリストの父であり、聖徒たちの父なる神でもある主への賛歌で始まります。父なる神はわたしたちをキリストにおいて、すべての霊的祝福をもって祝福してくださった方であることを讃えます。「天のあらゆる霊的祝福」とは、この世にあって受ける祝福だけではなく、「キリストにおいて」、わたしちが天でも受ける祝福が約束されていることばです。
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御子キリストにおいてお選びになりました。」(1:4)
4節では、天地創造の前に神がわたしたちを愛してくださったこと、お選びになったことが記されています。
「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(1:5)
5節では、イエス・キリストによってわたしたちを神の子にしようと、神は御心のままに前もってお定めになったことが記されています。
「神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。」(1:6)
6節では、神が御子によって与えて下さった恵みを、わたしたちがたたえるためです、と記さています。
4節から6節にかけては、神の選びが予定されていることを明らかにし、その神の恵みをわたしたちがほめ讃えるためなのだ、と教えています。
4節の「天地創造の前」には、人間はまだ存在していません。この言葉は神の御心を推測して語っているのです。すでにその御心において神は私たち一人ひとりに目を留め愛しておられたのです。このようなパウロの断言はなぜ可能なのでしょうか。それは私たちが主イエスへの信仰によって救われているという確信によるのです。
神がわたしたちを選んでくださった動機は愛です。「わたしたち」の選びは、神のみ前で、聖なる者、汚れのない者になるように意図されていたことが示されています。
神のわたしたちに対する倫理的要求が先にあるのではなく、与えてやまない神の愛がまずあります。キリストによる仲立ちによって神の子(ら)となるよう、神はあらかじめ愛のうちにそのご計画を定めておられたのです。この計画はつねに救いへと導く神の積極的な行為なので、選ばれない人々は滅びに定められるというふうに神の判断を推論することは禁じられ、ゆるされません。キリストによって知らされた愛をとおしてわたしたちは神に愛される子供になりました。神の愛は、まず神の方からわたしたちに対して与えられる愛であり、わたしたちの罪にもかかわらずわたしたちを包む愛であり、これは御子を世に送られた派遣において証されました。それは「神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。」
「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」(1:7)
7節は、贖いと赦しについて述べます。赦しは、御子の十字架の血によって、歴史的一回的にもたらされただけでなく、つねにわたしたちを救済し、罪の赦しが今現在も働き、わたしたちを神と和解させる贖いとなります。これが、神の豊かな恵みです。
「神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」(1:8~10)
神は、この贖いと赦しの恵みを「わたしたちの上に」あふれさせ、知恵と理解とを与えて、神の「秘められた計画」をわたしたちに知らせてくださいました。キリストにおいて開始した神の御心の計画とその働きは、キリストのうちに実現し、更に「わたしたち」のうちにも実現しました。その御心の奥義、秘められた計画の働きは、「時が満ち」て、救いの業が完成し、キリストにおいて万物に対する神の支配がすでに回復されました。わたしたちの救済を含む、この神の計画がここで「神の意志の神秘」と呼ばれ、わたしたちにこの神秘が「知ら」されました。
「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。」(1:11、12)
わたしたちは約束されていたものをを受け取りました。天に備えられた世継ぎとしての「相続」です。キリストの救いにあずかったわたしたちは、神を賛美する存在となるべきであります。礼拝における賛美を意味するのみならず、神の意志に即した生活をも含む、キリスト者の存在全体で神をほめ讃えることが求められています。
「あなた方もまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」(1:13)
著者は読者がキリスト教会に入った道筋を短く描写します。神の働きかけは、第一に福音を聞くことであり、福音を聞くことは、救いと罪の力からの解放へと働く神の力、聖霊が働きます。ついで、「信ずる」という福音に対応する決意が生じます。それは福音の宣教による洗礼へと導きます。そして神の働きの力であるところの聖なる霊を受け、聖霊による「証印を押される」者とされます。「証印を押す」とは、押す人(神)の所有となり、神の子等の一人とされ、神の加護を受ける者とされます。イエスの弟子たちのようなユダヤ人だけでなく、手紙の受け取り人も、このようなキリストの救いにあずかり、約束された聖霊を受けました。
「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」(1:14)
「御国を受け継ぐたえの保証」とは、聖霊が終末の日に受け継ぐ遺産の手付け金(保証)に譬えられています。この保証を受けて、決定的な贖いを待望しつつ、かつ、教会が完全に救われることを待ち望むのです。この終末の日に対する展望の後で、もう一度(6節と12節に続き)「神の栄光をたたえることになる」のです。
今日の聖書の箇所は、天地創造に先立つ選びから、待望される終末の日の完成までの神のご計画、つまり、神がイエス・キリストにおいてわたしたちに成就する、神の祝福が描かれているのです。
著者はこのように語っています。「わたしは、恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。」(3:8-10)
まさに、今日の聖書の箇所(1章3節~14節)は「キリストの計り知れない富」についての解き明かしでした。「キリストの計り知れない富(豊かさ)」とは、異邦人を神の満ち溢れるいのちへ引き入れる、すべての知識を越えるキリストの愛です。キリストによって示された神の愛こそ、この世の何にもまさる、計り知れない富です。
私たち一人ひとりが神に選ばれ、愛された者として、神の栄光のために祈りつつ、共に前進していきたいと思います。
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