塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

マラドーナが認めた意外なスパイク

2020-02-04 01:26:07 | 日記
 今専門サイト「キングギア」を閲覧しますと、過去ボカ・フニオルスに在籍経験を持つ亘崇詞氏のインタビューが読めました。

 興味深い事例が幾つかありまして

 1・選手が成長し、その実力が認知され上のカテゴリーに行くと、所持品が少なくなる
 2・当時のボカはアディダスが契約先なので、お古のスパイクが支給された
 3・マラドーナは晩年、トッパーやミズノも愛用した

 などがその代表例です。

 「1」に関して言いますと、氏は当初は皆ドラムバッグを用意して選手自身が備品を詰め込んで管理、運搬をしなくてはいけませんが、実力がつけばスタッフが運搬するというのです。

 日本でもそうですが、丁稚奉公から始めることは、サッカーでも労働でも変化は無いのですね。

 「2」は新シーズンよりナイキに代わってアディダスが新スポンサーになりましたから、オールド・ファンからすれば

 「待っていました!!」

 という心境なのでしょう。

 ファン・リケルメやマルティン・パレルモ、カロルス・テヴェスと、2000年代のボカを引っ張った選手たちは、ナイキ製ジャージの下で躍動しました。

 今後その伝統はアディダスに引き継がれます。

 「3」に関して言えば、マラドーナがモレリアを履いたことは知っていましたが、さすがにトッパーは意外でした。

 と言いますのも、アルゼンチンサッカーの代名詞である彼が、用具と言えども自分の一番の相方であるスパイクの銘柄を、最大の宿敵であるブラジル生まれのブランドを選択する。

 というのは、どこか考えにくかったのです。

 ただ、往時のトッパーはセレソンのテクニカル・スポンサーですし、今でもトッパー製のセレソン・ジャージは最高という方もいます。

 それだけかつての本革スパイクは、素晴らしい出来栄えだったに違いありませんね。
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