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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めて思う若手への投資について

2017-11-25 00:42:22 | 日記
 いつだったでしょうか、父が僕に紙きれを渡し、

 「お前を育てるための学費、これだけ費やしてきたんだぞ」

 と詰め寄ったことがあります。

 妻もいなければ孫もいない、長男でありながら安月給に甘んじている僕に苛立ちを隠せなかったのでしょう、孫を抱く楽しみはいまだに叶っていないわけですから、僕はやはり不幸を与えている形になります。

 大学進学と予備校、そして仕送りとどの家庭でも学費を捻出することが大変であることは、41歳の今、改めて痛感します。

 一方で金の事を考えていれば

 1・子供を産むことは出来ないし、子育てに感嘆に行き詰ってしまう
 2・サッカーでも育成が結果を生むかはわからない

 言い換えれば皮算用は難しいわけですよね。

 イタリアがアタランタやウディネーゼだけでなく、インテルとミランが優れた育成メソッドを持っていても思うようにいかないのは、イタリア全体が持つ勝ち点3の執着だけではありません。

 モウリーニョは平気でダビデ・サントンを抜擢し、トッティは16歳でローマの1軍に帯同しましたが、これらは例外であり、スペインでよくいう

 「カンテラ上がり」

 が無いのは、新人を使って敗れれば、監督の首に関わり、ファンが黙っていないからです。

 負けしあいを見れば、ファンはチケット代を払う事を惜しむ
 オーナーはチャンピオンズ・リーグやスクデットが遠ざかり、収益が少なくなるとこぼす

 若い選手には当然場数がなく、誰が見ても稚拙と思えるミスを犯すかもしれません。

 しかし、マルディーニやバレージ、バッジョなど1軍に帯同してから磨かれたのであり、誰もが当初は名手ではありません。

 金は優れた医療と教育を受ける権利を与えてくれますが、時に人々を残酷なまでに罵る形にもなるのです。
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女性アスリートの未来像はいかに

2017-11-25 00:27:07 | 日記
 「ALWAYS3丁目の夕日64」を見て感じたことが、女性の結婚にあります。

 日本では結婚という言葉よりも祝言という言葉をかつて用いていました。

 そこには嫁ぐ女性からの「お世話になりました」「幸せになります」という御礼の言葉だけでなく、恩師や親兄弟からの

 「元気でやれよ」
 「良い縁談で良かったね」

 と言う祝いの言葉がはなむけとして贈られたためだと想像してみました。

 なるほど、50年が経過した2010年代の今で、僕のような未婚の親不孝(実際にお前は親不孝だよ!と叱責された過去があるくらいです)は、未婚ではなく祝言という言葉を与える権利を周囲から奪っているからこそ、意味なしと呼ばれているのでしょうか。

 当時の男女交際は紛れもなく命がけで、同時に出産と子育ても同じだったのですね。

 64年の五輪は大松監督率いる女子バレーボールが金メダルを獲得したことでも知られています。

 監督は練習中、まさに「鬼の形相」と恐れられていたと聞きましたが、心中では

 「五輪が終了したら、彼女たちの嫁ぎ先を考えなければいけない」
 「親御さんのためにも良い縁談w見つけよう」

 と考えていたそうです。

 当時は監督やコーチが、女性の「未来」をも考えていたわけですが、ある意味それは競技をそこでやめることを意味しました。

 今は女子サッカーがなでしこリーグとして整備され、野球やソフトボールにもリーグがあります。

 冬季五輪の前にはスピードスケートやカーリングが話題となり、女子のフィギュア選手が引退する際は大きな報道となります。

 仮に今、なでしこリーグの指揮官が女性の進路を手助けすることはあっても、結婚相手を探すことはありません。

 むしろ男女交際をすっぱ抜かれる方を気にしますし、代表選手ともなれば男子同様に海外遠征に出かけ、時差の克服と体調管理をしなくてはなりません。

 時代は移ろうものですが、利便性を追求している今を、30年、50年後の若人たちはどう振り返るでしょうか。
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