塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

監督の視線と選手の視線が異なるとするならば

2017-11-10 01:45:24 | 日記
 週刊文春をめくっていますと

 「香川が戦術をめぐって指揮官と大声で怒鳴りあい」
 「賀川の落選でアディダスも落胆」

 というような記事が掲載されていました。

 記事はアディダス・ジャパンがジャージからストッキングまで、エキップメントをすべて用意できるのに対し、選手に選択の自由が与えられているスパイクだけは思うようにいかないとも指摘しています。

 つまり、ナイキを軸の他のブランドを愛用する選手が日本代表に限っていいますと多いトいうことですね。

 アギレからハリルホジッチへ体制が移行する際、この懸念はすでに指摘されていました。

 香川にしても本田にしても

 「マイボールを大切にするサッカー」
 「新指揮官の言うことも一理あるが、ポゼッションを捨てる必要もないだろう」

 というように、監督の見ているものと選手たちが見ているものが、かなら筋も一致していないという点です。

 ザッケローニは就任時、十八番の3-4-3を求めず、まずは選手たちがメカニズムをよく知る4-2-3-1で戦い、アジア王者に返り咲きます。

 ハリルホジッチ監督はかつてのトルシエのように、まずは自分が考える方法論で戦う、その為の選手選抜を行い、体力と精神力を同時に高めていく、という形でした。

 しかし、監督のおかげで酒井、久保、浅野などが独り立ちできるようになり、森岡や興梠のように再招集の対象となる選手も生まれています。

 日本代表は4-1-2-3が基本布陣であり、正三角形にした4-2-1-3、もしくは4-2-3-1の形からは遠ざかりつつあります。

 香川だけでなく清武も招集から離れいる今、中盤の3選手に関しては倉田と井手口を含めてまだ流動的だと思います。

 ただ、誰が指揮官でも首相である長谷部の招集は圏内であるように感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選手が自分に女性問題が降りかかったらどう思うのか

2017-11-10 01:29:46 | 日記
 僕は小心者なので、夜眠れないまま幾度も寝返りを打つことがあります。

 一方で小心者で良かったと思うのは、世間で男女の仲が痛烈ひ批判される風景を見ていることで、小心者の上にもてなくてよかったとさえ感じます。

 不倫、略奪愛、妊娠、乱暴

 週刊誌には多くの刺激的な見出しが並びますが、これらを毎週のように使っていては編集者も読者も感覚がマヒしてしまい、本当に重大な局面を向かい合う時、真剣な心構えができなくなってしまうように感じます。

 サッカー選手が女性との間に保ひと悶着起こすのは、今に始まっていません。

 ジョージ・ベストのようにむしろ女性の方から近づく例もあれば、近年のロナウドやバロテッリのように、告発されるケースもありますよね。

 選手は会見場で、自分の体調や課題を記者から指摘されることは、致し方ないと考えるはずです。

 モハメド・アリ
 マイケル・ジョーダン
 アイルトン・セナ

 その競技の第一人者であり、「神」とまで讃えられた人物ですらミスをしますし、思うような戦いが出来ないことは選手本人が一番感じています。
 
 でも、選手に女性関係の話が急浮上すれば、メディアはどうにかして肉声を取ろうとしますよね。

 選手は当然良い顔をしませんし、紛糾してしまいます。

 僕のような小心者には想像もできませんが、自分と女性が紙面を賑わしている光景を、当の選手たちは練習、試合をしながらどのように感じているのでしょうか。

 今はスポンサーへの配慮もありますし、クラブとしては

 シーズン・チケットホルダーへの説明
 メディアへの取材対応

 が求められますから、決して良い事とは考えていないと思うのですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする