塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

アジア・チャンピオンズリーグに対する一考察

2015-03-20 01:53:48 | 日記
 ヨネックスがサポートする柏レイソルのチャンピオンズ・リーグ着用ジャージを公表しました。

 アジアだろうが欧州だろうが、チャンピオンズ・リーグ出場クラブを支援するブランドには、それだけサポートしがいがるわけです。

 つまり

 公式戦に新しいジャージを提供する事での話題作りと注目度
 ジャージの売り上げを確保できること

 という形ですよね。

 また露出は日本国内だけでなく、対戦相手の国も知れ渡るわけですから、少なくともレイソルでは「日立」と「ヨネックス」は、他国でも非常にまだ塚たちになると言えそうです。

 一方でアジア・チャンピオンズリーグに出場するメリットは、

 「クラブ・ワールドカップに参加できる」

 という一点のみです。

 つまり、アジア王者と言う肩書であり優勝賞金にはその達成感は、まるで反映されません。

 僕は西アジア、東アジア、そして東南アジアの有力企業がお金を出し合い、今の優勝賞金1億3500万円を、5億円から10億円あたりにまで上昇できないものか、そう思います。

 またセミ・ファイナルに進出したクラブも相応の金額をだし、グループリーグから勝利給をより豊富にする。

 つまり金銭で言えば欧州チャンピオンズ・リーグを真似てもよいと感じます。

 少なくとも、J1が優勝賞金を2億円から最大で2億8千万円まで増加した点を考えれば

 「アジア最高の大会」

 の賞金が、一国優勝賞金を下回っていては意味が無い、そう思うのです。
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僕が考えるアンチェロッティの強み

2015-03-20 01:32:47 | 日記
 アンチェロッティは従来のイタリア人監督とは違う印象を抱きます。

 例えばインテルに復帰したマンチーニにしても、代表監督に就任したコンテにしても、まずは戦力の確保から始めますが、アンチェロッティは既存戦力を最大限活用する、という形が多いですね。

 ミラン時代、チェルシーからレンタルバックしたシェバのように、彼自身希望しないかった補強はごまんとあるでしょう。

 しかし、アンチェロッティはそうした不満を一切顔に出さず、また師匠であるサッキを踏襲する事から学び、戦術の幅を広げてきた事で、様々な柔軟性を身に付けました。

 「ミランに1トップは似合わない、2トップで戦え」

 事あるごとに忠告するベルルスコーニを、軽く「いなす」事ができたのも、アンチェロッティの人徳でしょうし、その点を考えるならばペレス、アブラモビッチともうまく付き合っていたのでしょうか。

 僕は、彼は非常に

 「リスク・マネージメントに長けた指揮官」

 だと思います。

 2009年の夏、チェルシーの指揮官に就任した際、ロンドンでもミラノでも

 「ピルロは間違いなくチェルシーの一員になる」

 と推測されました。

 しかし、ピルロはミランに残留し、アンチェロッティは俗にいう「愛弟子」を獲得しなくともリーグとFAカップの2冠に輝きます。

 これはきっと

 「ピルロを招聘したいのは確かだが、国外初挑戦の彼では荷が重い」
 「もし、失敗したならば恩師と愛弟子の関係上、ピルロはまっ先に批判される」
 
 という慮りがあったのではないでしょうか。

 事実、スコラーリはデコ、クアレスマを獲得するも、序盤戦の快進撃が止まってしまうと、メディアはこぞってこのポルトガル代表を批判し始めます。

 優秀な指揮官というのは、時に獲得を見送る事で愛弟子を批判から守り、安定感を当てる形になるのでしょうか。
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無風と言うの名の安定感

2015-03-20 01:24:02 | 日記
 「無風」というのはどんな意味合いを持つでしょうか。

 夏の暑いさなか、風が吹けばそれだけで息を吹き返す事が出来ますし、木陰で休む際の涼風は本当に気持ちの良い物です。

 また古代の帆船は風があって始めて航海が出来た物ですし、僕たちが気付かないだけで風はどこかで吹いているのでしょう。

 風力発電はそうですよね。

 一方で

 「無風地帯」

 と呼ばれるように、特定の選挙区では対立候補を圧倒的な得票数で蹴散らして当選する政治家がおり、番狂わせが起きない意味で用いられますが、サッカーでは無風はある種の見解を持ちます。

 それは安定感、別の見方をすれば内紛が無い、と言う事です。

 モウリーニョ時代のレアル・マドリードは年を追うごとに風が強くなり、結果的には選手もメディアも、そしてモウリーニョ自身も疲弊してしまいました。

 「アス」「マルカ」などの新聞記者も、モウリーニョがインテル、チェルシーで培った方法論

 「自分を悪役にしてメディアの注意を向けさせる」
 「その間に選手たちが立て直せるだけの時間を与える」

 という物を批判する形になりました。

 今のアンチェロッティ政権が、全ての意味で盤石ではありません。

 それでも、彼がまず自分が欲しい選手を得る為ではなく、既存戦力を尊重し、クラブそのものを見直すと言う補法論が、安定をちうモウリーニョ時代には無かった無風を生み出した、そんな気がします。

 どうしてこんな事を考えたかと言えば。

 昨日、店内の食事処で主任の送別会を開いたのですが、主任からすればある種の冥利があったのではないか、そんな気がしたのです。

 惜しまれながら去る、これは選手、監督も理想の形でしょうが、それは無風状態を生み出していた、と感じます。
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