塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

大型補強は金銭の問題か

2015-03-13 01:21:46 | 日記
 大型補強と言えば

 「大金を選手獲得に費やした」
 「誰もが羨むような世界的名手がやってきた」

 と言う点に集約されます。

 レアルが2000年のフィーゴを皮切りに、2005年のオーウエンまで1年ずつ世界的名手を獲得してきた点はその代表例です。

 費やした高額の移籍金を

 1・新規スポンサーの獲得
 2・マーチャン・ダイジングの大きな売り上げ
 3・アジアと北米へのツアー

 で回収した事で、選手の投資がクラブの格式と知名度を上げる、最高の手段であることに繋がる形になりましたね。

 でも、僕は上記における大型補強は意味が無いと思います。

 僕が考える大型補強とは

 「開幕前にクラブが定めた目標をシーズンが終えた後に顧みて、その投資が正しいのであれば大型補強と呼べるのではないか」

 というものです。

 例えばJ1。

 ガンバが昨年開幕前にブラジルからリンスを連れてきましたが、彼一人では不十分と考えたフロントは日本での生活を踏まえてパトリックを獲得します。

 結果的に彼の獲得は大きな武器になり、ファンは

 「忍者パットリ君」

 という弾幕で彼を歓迎しました。

 結果が伴う大きな補強、これこそ大型補強ではないでしょうか?

 フォルランのように、選手の資質ではなくクラブが描く布陣と展開が肌に合わねば、名手でも思うような形にはなりません。

 大型補強は金銭の額の捉われない事のほうが、むしろ理にかなうようにさえ感じますが、どうでしょうか。
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ゾーンとマンマークの共通点

2015-03-13 01:01:11 | 日記
 サッカーにおける守備ではマンマークかゾーンに分かれますね。
 
 イタリアはその強固な守備にいつの時代でも定評がありましたが、近年はその評価が変わってきました。

 「ファビオ・カンナバーロでイタリアのマンマークの伝統は途絶え、アレッサンドロ・ネスタでゾーンは終焉を迎えた」

 ネスタがラツイオでプロとして契約を迎えた際、サッキの影響力があったのでしょう、代表、クラブのいずれもマンマークが古典化となり、ゾーンが最先端の守備構築として認知されるようになります。

 リベロが欧州でスタンダードになるかもしれない3-4-2-1で復活するかはわかりません。

 僕はこの二つの守備方式を見るにつれ

 「最後が強い意志だ」

 と思います。

 例えば僕が業務の際に強く感じる事は、自分の責任はまず自分で取り、人に助けを求めるのはそれからだというものです。

 皆さんも自分の専門分野だけでなく、他部署の仕事を手伝うことがあるでしょうが、自分は補助輪にはずなのに、いつの間にか本流に移っている時があり、驚く事があると思います。

 「ゾーン(皆に応援してもらう)だろうがマンマーク(自分でとにかく責任を取る事)だろうが、覇気だよ、覇気」

 そう呟く事が最近多くなりました。

 オシムは当初3-3-2-2の布陣を起用し、最終ラインはマンマークにしましたが、これも責任を再度問いかけたのかもしれません。

 マンマークは一度相手を見失う事で失点のリスクが生じ、ゾーンもマークの受け渡しが上手くいかない時があるでしょう。

 最後はラインを破壊する事になりますが、時に体を投げ出し、プロフェッショナル・ファウルを覚悟する、そんな鍔迫り合いが今の代表には必要のように感じます。
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