塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカー選手の妻を再考する

2015-03-06 00:25:00 | 日記
 アイドル好きな男が大抵の場合

 「もし彼女と結婚できたならば」
 「交際するにはどうすべきか」

 と真剣に悩み、周囲から呆れられる、と言う事があります。

 でも中には

 「サッカー選手の妻になるにはどうすべきか?」

 と考える女性ファンもいるでしょう。

 でも、その考えはまず選手の特性も関わってきますしね。

 ナンバー817号で、当時まだドイツに滞在していた宇佐美貴史がこう語っています。

 「とにかくまずはサッカーを充実さること。蘭がド乙で楽しく過ごすためにも、俺がもっと頑張らないと」

 選手がこれだけの覚悟をしているのですから、妻の態度がものすごくクラブの経営陣に反映されることは間違いありません。

 同じドイツで言えばオットー・レーハーゲル、シュテファン・エッフェンベルベルクは名門バイエルンに在籍した過去がありますが、いずれも妻の権力が強すぎ、ベッケンバウアーですら嫌悪したと聞きました。

 つまり

 「選手の成績が下降したのは妻のせい」
 「妻が周囲に溶け込もうとしない」

 という批判に耐える覚悟もそうですし、家を夫が空けている際の門番としてもその存在が問われます。

 ハビエル・マスチェラーノがリバプール時代を振り返り

 「妻は英語が話せず、周囲と馴染むのに苦労していた」

 と語っていたはずです。

 「教科書を読めよ!」

 と批判するのは簡単ですが、それだけ語学、生活習慣が面食らう要因である事も確かです。

 時には莫大な収入で批判され、時には戦犯として批判される選手と妻は、ある種一蓮托生でもあるわけですから、妻は過酷な状況に陥る可能性はあるでしょうね。
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長野はいつも耳元で「いつでもおいて」と叫ぶ

2015-03-06 00:13:46 | 日記
 「どんなに苦しくても、どんなに疲れていても、日の丸は走る力を与えてくれる。こんなに美しい国旗は無いよ。俺、この国旗の為ならなんだってできる。」

 これはナンバーが800号を記念して制作した日本代表特集79ページから引用したもので、発言の主はラモス瑠偉。

 実際の言葉は327号に掲載されており、この文章は再掲載になるわけですが、頗る良い言葉だと思います。

 技術、体力、時の運。

 これらを引き寄せるには、情熱、言い換えれば愚直な汗が不可欠と言う事でしょうか。

 もし、僕が長野パルセイロの選手なら冒頭の言葉をこう変えたいものです。

 「長野が俺に力を与えてくれる」
 「長野より美しい都市は他にない」
 「長野エスクードの為なら、なんだって出来るさ」

 僕が幼いころから、遊ぶところ、最先端の場所は何時も長野でした。

 今は無い洋服屋、古着屋を金が無い中で幾度も歩き回り、腹を空かせていた予備校時代は、僕が毎日長野に出かける事が出来た時代でした。

 高校時代は卓球部の試合の帰り、ファッションビルの「アゲイン」でジーパンやスエットを物色して

 「いつかこれを買うぞ!」

 と考えていたものです。

 シューズ・コレクションではお年だまでプーマのエナメル素材のクライド、パトリックのセルベンテを購入し、陳列していあるアディダス、リーボック、ナイキなど華のある靴に痺れたましたね。

 ペリフェリックのような老舗を扱う店、当時はまだ希少だったエビスやダルチザンのデニムも、長野では見かけることができました。

 「いつでもおいてよ」

 長野はそう、僕に囁いてくれます。

 僕は甲府と長野の2都市しか住んだ経験がないのですが、根拠もなく大きな理由もないのですが、これだけは言えます。

 「長野はいつだって、僕にとって最高の街」

 その最高の街にサッカー・クラブがあることは、尊い出来事だと言う事も当然わかっています。
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