塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が考えるアンチェロッティの強み

2015-03-20 01:32:47 | 日記
 アンチェロッティは従来のイタリア人監督とは違う印象を抱きます。

 例えばインテルに復帰したマンチーニにしても、代表監督に就任したコンテにしても、まずは戦力の確保から始めますが、アンチェロッティは既存戦力を最大限活用する、という形が多いですね。

 ミラン時代、チェルシーからレンタルバックしたシェバのように、彼自身希望しないかった補強はごまんとあるでしょう。

 しかし、アンチェロッティはそうした不満を一切顔に出さず、また師匠であるサッキを踏襲する事から学び、戦術の幅を広げてきた事で、様々な柔軟性を身に付けました。

 「ミランに1トップは似合わない、2トップで戦え」

 事あるごとに忠告するベルルスコーニを、軽く「いなす」事ができたのも、アンチェロッティの人徳でしょうし、その点を考えるならばペレス、アブラモビッチともうまく付き合っていたのでしょうか。

 僕は、彼は非常に

 「リスク・マネージメントに長けた指揮官」

 だと思います。

 2009年の夏、チェルシーの指揮官に就任した際、ロンドンでもミラノでも

 「ピルロは間違いなくチェルシーの一員になる」

 と推測されました。

 しかし、ピルロはミランに残留し、アンチェロッティは俗にいう「愛弟子」を獲得しなくともリーグとFAカップの2冠に輝きます。

 これはきっと

 「ピルロを招聘したいのは確かだが、国外初挑戦の彼では荷が重い」
 「もし、失敗したならば恩師と愛弟子の関係上、ピルロはまっ先に批判される」
 
 という慮りがあったのではないでしょうか。

 事実、スコラーリはデコ、クアレスマを獲得するも、序盤戦の快進撃が止まってしまうと、メディアはこぞってこのポルトガル代表を批判し始めます。

 優秀な指揮官というのは、時に獲得を見送る事で愛弟子を批判から守り、安定感を当てる形になるのでしょうか。
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