塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

自分で自分を顧みる事

2015-03-11 00:57:03 | 日記
 日曜日、南長野運動公園の散策を終えた僕は、その脚で長野に出向き、書店の平安堂で一冊の本を買い求めました。

 朝日新聞社が刊行している「アエラ」が、ファッション特本を一定の期間で発売するのですが、税抜550円でスーツの参考書を刊行したんですね。

 値段の安さだけでなく、今月はスーツの大売出しがある為に購入したのですが、以前からこの本の存在を知っていても、

 「まあ、いいか」

 と考えていたものです。

 それは

 1・自分の着こなし、商品選択、商品知識はまんざらではないと感じていた
 2・スーツの参考書が手許にある

 という為ですが、今は購入して良かったと思います。

 それは1000円で釣りがもらえる価格もそうですが、新しい教訓が得られたためで

 「ここが出来ていない」

 と言う点がわかった為でした。

 うぬぼれでは無いですが、どこか自分で自分を過大評価していたのかもしれません。

 カズが

 「僕は皆さんが思うほどサッカーを理解していない」
 「今まで辞めたいと考えた事は一度もない」

 と語ります。

 それは彼自身が、どこか自惚れようとしても、ワールドカップの落選、イタリアでの故障、京都サンガからの自由契約と、鼻を折られる事が幾つも重なったことが影響しているように思います。

 自分が出来ていると考えていることほど、案外できていないものかもしれませんし、僕たちは自分で自分を戒めなくてはいけませんね。
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知らないのではなく、知ろうとしない事

2015-03-11 00:49:13 | 日記
 両親と共に外食に出かけた際、車中では必ず

 「ご近所にもっと美味いラーメン屋があればなあ」
 「寿司屋が近くにできるといいね」

 という、食べた店の話では無く、不本意な話になります。

 僕はその会話に耳を傾けながら

 「近所にもあるよ、でも知らないのではなく、知ろうとはしていないからだよ」

 と心の中で呟きます。

 僕のご近所でも、僕自身が食べた、食べないに関係なく、蕎麦屋、ラーメン屋、カレー屋、中華料理屋など様々な飲食店があります。

 両親はインターネット、電話帳で新規店を見つける習慣がありませんし、やはり車で店頭を通るだけ、という習慣が大きい事も確かでしょうが。

 例えばサッカーでも、クラブ名での変更、吸収合併等でファンとオーナーが紛糾することがあります。

 プレミアですと

 1・ハル・シティがクラブ名をハル・タイガースにしたいというオーナーの見解で大問題
 2・カーディフがクラブの色をオーナーの独断で青から赤に変更した

 また、過去にはウインブルドンが移転問題で揉めた事が90年代にあったと記憶していますが、

 「かけがえのないことが、後からわかったつらさと寂しさ」

 は日本でも横浜フリューゲルスの話が教訓となりました。

 僕も最近、もっと3食を大切にしよう、信州産の商品に注意を払おう、今の小遣いで最高に美味しい物を食べようという欲が出てきましたが、その背景には

 「知ろうとしない自分を替えたい」

 という気持ちが隠れている気がします。
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持続する力を考える

2015-03-11 00:41:08 | 日記
 僕は毎日、英語とイタリア語、そして漢字練習の3点を行います。

 毎日というのは間違いで、「ほぼ毎日」と言う形が正解ですが、3つの教科を併せても10分程度、休日で長い時間が取れても20分程度です。

 僕が中学に入学した際、副担任についた方は女性で、その年に大学を卒業したばかりの初々しい方でした。

 先生は国語が専門でしたが、半年ほどが過ぎ、皆が宿題の提出を怠けだすと、僕たちに穏やかに語りかけました

 「漢字の練習がそんなにいやならば、一行でもいいから書いて提出してよ」
 「私はそれで構わないし、落第にはしないから」

 僕がこの程度の練習を何年も行えるのも、先生が持続する事の大切さを伝えた、あの13歳の出来事が根底にある気がします。

 サッカーに関心を持ち始めて20年以上が経つ今でも、飽きずにいられるのも、この持続する力にあると言えます。

 振り返れば

 「費やしてきた金額を振り返りたくない」 
 「買い求めたレプリカ・ジャージと書籍を随分手放したな」

 というように、マイナスの心情が無いわけでもありません。

 それでも、毎日何かしらサッカーの事を考え、空想に耽り、選手のインタビューを読み、監督論に耳をすませる事は、僕に日常生活そのものなんです。

 僕は車通勤ですし、両親と同居していますから、会社帰りの飲食はしません。

 英国圏ではパブ、イタリアやスペインではバルが

 「公共の場所」

 と定着しているのも、その風景が日常であり、皆自分と同じ価値観で生きており、そしてサッカーに関心があることと無関係ではないでしょうね。
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