ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



在任中に急死した、大平正芳って元総理いたでしょ。いまどうしてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大平正芳の大復活』―クリスチャン総理の緊急メッセージ(幸福の科学出版刊)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 印象が少し薄くて、忘れられていた政治家ではある。戦後の数多い総理の中に埋もれてしまっているが、このクリスチャン総理の宗教的人格の影響が、この国にもう少し及んでいてもよかったのではないかと思う。
 新約聖書の冒頭に出てくる「マタイによる福音書」は、「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。……」で始まる。救世主としてのイエスを歴史的にも正統性のある方として描く手法を採る。そして最終章は、「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。イエスは彼らに近づいてきて言われた、『わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。』」と説く。
 イエスの復活を信じ、クリスチャンの未来の使命を伝えた福音書のマタイが、大平元首相として、この日本の国に生まれていたとしたら。そして霊的に復活したとしたら、何を語るか。その答えが本書である。

あとがき
 私の実父・故・善川三朗は、高級霊たちに、『新約聖書』の二番目に出てくる「マルコによる福音書」を書いたマルコの生まれ変わりだと、生前、伝えられていた。
 マルコ伝は、
 「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
 預言者イザヤの書に、
 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、
 あなたの道を整えさせるであろう。
 荒野で呼ばわる者の声がする、
 『主の道を備えよ、
 その道筋をまっすぐにせよ』
 と書いてあるように、バプテスマのヨハネが荒野に現れて、
 罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。』」
 から書き起こしている。大平元首相も、バプテスマのヨハネの如く、大川隆法の出現とその使命を預言した。
 すべての日本人よ、「主の道を整える」がよい。
(1~2、224~225ページ)

「あー、うー」という口癖で有名な政治家だったと思います。

あの福音書のマタイが、大平元総理として日本に生まれ、霊的に復活したとき、いったい何を語るのでしょうか。

自民党を中心に、政治と宗教の関係の話題が世間をにぎわせています。

でも、TVに登場しているコメンテーターは、大平元総理が幸福実現党を全面的に応援しておられることを知っているのでしょうか。

まさかと思う人が大半かもしれませんが、しかし、これは実際に2013年に公開霊言として収録された内容が書物として刊行されたものです。

クリスチャンの方、自民党に関係する方にとってはもちろんのこと、宗教と政治の関係に興味がある方は、まさに必読というべき書籍であると、改めて私は思っているのです。
 

『大平正芳の大復活』

 大川隆法著


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前回、「日本の美点」について教えてもらったけど、その根源みたいなのが日本にはあるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「和をもって貴しとなす」ということが尊重されている、大和の国でありながら、この国の中心指導霊である、天御中主神という方は、霊言集(中略)を読めば分かるように、発展・繁栄を非常に強く訴えかける神です。そして、日本神道では、この方がいちばん偉いのです。
 女神である天照大神のほうは、どちらかといえば、おっとりした調和型であり、日本の精神性の面では、彼女の個性のほうが支配的なのかもしれませんが、日本の国を中心的に引っ張っている霊人は、発展・繁栄が好きな方なのです。
 そのように、発展・繁栄型と調和型の二人の主導神が中心になって、日本を牽引してきているのです。(中略)
 天照大神が説くことは、主として、「穢れなき心」や「清らかさ」です。「罪や穢れがある者は禊祓いをして清らかになりなさい」ということを、まず言います。これは、仏教的に言えば、反省の心でしょう。
 そうした清らかな心を持つことと、「みなが協調して、仲良くやっていけるような世界にしなさい」という、和の心を説きます。それは、ある意味でのユートピアでしょう。
 そういう考え方と、発展・繁栄の考え方、この両方によって、実は国体が成り立っているのです。
 そして、学問的な部分については、日本オリジナルのものだけでは十分ではないところがあったので、仏教が移入され、仏教研究がずいぶん行われました。その担い手が学者のはしりです。そういう学者がたくさん出てきて、知的レベルも上がったのです。
 知的レベルとしては、もちろん、奈良仏教にもそうとうなものがありますが、平安仏教においても、空海の書いた本を見ると、のちのカントやヘーゲルも驚くような、非常に高いレベルの観念論を展開しています。思想的には、すでに完成の域に達していて、それ以上発展の余地がないぐらいのレベルまで行っています。日本は、そういう国だったのです。
 その意味で、日本の国全体、国民全体が、日本の歴史というものを、もう少し正当に見直す必要があると思います。
 もちろん、日本には、失敗したところもありましょうが、日本の美点を見直し、諸外国の歴史ともよく見比べてみて、「自分たちは、こういう民族であり、こういう人々であり、こういう国なのだ」という、正しい自己認識、アイデンティティー(独自性)を持たなければいけません。
 例えば、「メディアが、こう言った」「マスコミが、こう書いた」「外国から、このように言われた」などということで、あまりグラグラするのではなく、自分たちの歴史については、自分たちで、きちんとした認識を持つ必要があります。それが「自信」の部分につながってくるのです。
 やはり、自国の歴史をきちんと知った上で、外国のことを勉強して自国と比較し、その善悪などを公正な観点から見ていくことが大事だと思います。
(127~128、135~137ページ)

女神である天照大神は、おっとりした調和型であり、この国の中心指導霊である天御中主神は、発展・繁栄を非常に強く訴えかける神であって、この両方によって、実は国体が成り立っている。

学問については、仏教が移入されて仏教研究がずいぶん行われ、奈良仏教や平安仏教で、知的レベルも相当上がっていた。

このように、日本の歴史をもう少し正当に見直し、諸外国の歴史とよく見比べてみて、正しい自己認識、アイデンティティー(独自性)を持たなければいけない──。

“自虐史観”でなければ歴史じゃない、というような論調がいまだにはやっている気がします。

しかし、今日の大川隆法先生のお教えを素直に学んだとき、そんな考え方は間違いであることがハッキリするのではないでしょうか。

やはり、「日本の美点」についてもう少しきちんと学び直すことが必要であると声を大にして訴えたいと、改めて私は思っているのです。
 

『未来の法』

  大川隆法著


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中村元っていう東大名誉教授の大仏教学者がいたでしょ。いまどうしてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏教学から観た「幸福の科学」分析』――東大名誉教授・中村元と仏教学者・渡辺照宏のパースペクティブ(視角)から(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 仏教を、学問を通して研究することは可能だろう。しかし、学問を仏教に仕立て上げることは難しい。
 教理を理性的・合理的に分析すること自体は可能だが、理性的・合理的なものの中に、「信仰」を観ずることは難しい。
 真理は単純なことの中にある。仏陀の教えを哲学化して説明することは可能だが、仏陀の言葉を誰にでもわかる言葉で説明し、伝え切ることは難しい。単純かつ神秘的でないものには感動がない。感動がないところに世界宗教は生まれない。
 神も仏もなく、霊界も存在しない世界に宗教が成り立つとすれば、宗教を単なる優れた人物論と観ているか、ただのレトリックとして観ているかのどちらかである。「信じる」ということは、この世とあの世の間の川を飛び越すことである。信仰なき者には、真の宗教に出会うことは、つくづくと難しいものだと感じる。
(1~2ページ)

このまえがきでは、少し遠回しに説かれています。

ですが、本書の大半が中村元・東大名誉教授の霊の言葉(「霊言」)で占められていることを考えると、真の宗教に出会うことが難しい「信仰なき者」というのが誰を指すのかは、自ずから明らかなことと思います。

40巻もの大全集を刊行し、岩波文庫でも多数の翻訳経典を刊行するなど、少しでも仏教を勉強した人であれば誰もがその高名に触れたことがある方です。

その仏教学の大権威が、じつは「真の宗教」に出会っていなかったという事実は、やはり衝撃的ではないでしょうか。

本書は、仏教と仏教学に興味関心を持つすべての方に、強くお勧めしたい書籍だと改めて私は思っているのです。
 

仏教学から観た「幸福の科学」分析 (幸福の科学「大学シリーズ」 8)

『仏教学から観た「幸福の科学」分析』

 大川隆法著


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コロナ不況も続いてるし、またリストラが流行(はや)るのかな。リストラされないためには、どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『サバイバルする社員の条件』で、次のように説いておられます。

 経営が傾いた会社の場合、リストラの候補者がリストアップされて順位をつけられ、いずれ、順番に削っていかれるようになります。
 このリストの上位に載ることなく、「この人は外せない」と言われるようになって、最後まで生き残るには、どうしたらよいのでしょうか。(中略)
 まず、企業がクビにした人に関する統計を見ると、その理由として最も多かったのは、「協調性がない」ということでした。この理由は、好況・不況を問わず、常に六十パーセントを超えているそうです。
 ただ、その協調性がない人には、才能のある人がわりあい多くいるのです。要するに、学歴が高かったり、職人的な技能が非常に優れていたりするような、「仕上げにとてもうるさい人」や「自分の型があって自己流を貫くタイプの人」のなかに、協調性の足りない人がいるわけです。
 上の人の判断が緩いときには、それでも組織にいられて、自己発揮することもあるのですが、そういう人が、リストラ候補としていちばんに引っ掛かるようです。
 ちなみに、これは、以前も述べましたけれども、ある人が、会社をクビになったハーバード大学の卒業生について、追跡調査したところ、やはり、六十数パーセントの人が、「協調性がない」という理由で会社をクビになっていたそうです。
 ハーバード大学の卒業生であれば、みな、頭がよいことに対してすごく自信があるのでしょうが、協調性がなければ、会社がうまくいかなくなってきたときに、最も切られやすいタイプになります。会社にしてみれば、「いやあ、あなたのように優秀な方は、どこでも雇ってくれるでしょうから、どうぞ、ほかのところへお行きください」と言い、安心して、クビを切れるわけですね。
 しかも、そういう人は、たいてい生意気なので、クビを切っても、周りの賛同が得られやすいのです。「彼は、自分一人で生きていけるのではないでしょうか」という感じで、誰も守ってくれません。自分のほうで、労働組合から出ているような状態になるわけです。
 このように、「協調性のなさ」が、リストラされる理由の一つであることを知っておいたほうがよいと思います。
(51~54ページ)

企業がクビにした人に関する統計で、その理由として最も多かったのは、「協調性がない」ということだった。

協調性がない人には、学歴が高かったり、職人的な技能が非常に優れていたりするような、才能のある人がわりあい多くいる。

会社にしてみれば、優秀だからどこでも雇ってくれるだろうと、安心してクビを切れるし、そういう人はたいてい生意気なので、クビを切っても周りの賛同が得られやすい――。

こういう形で説かれたのを見て、自分の胸に手をあててみたとき、ドキッとする方がおられるのではないでしょうか。

え、じゃ、どうしたらいいの? という話については、また次の機会に!
 

『サバイバルする社員の条件』

 大川隆法著


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エリザベス女王が亡くなって、チャールズ皇太子が即位したんだってね。でも、その奥さんだったダイアナ元妃って、どうしてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 一九九七年の秋に、イギリスのダイアナ元皇太子妃とインドのマザー・テレサが相次いで亡くなり、新聞やテレビなどはその話題でもちきりでした。そのため、人びとのあいだで、「人の死とは何か」ということへの関心が高まっていたと思います。
 私は当時、死後まもない、この二人の様子を視てみました。新聞や雑誌、テレビであれば、現場に取材に行くということになるのでしょうが、私の場合は「霊的に視る」ということになります。
 ただ、ダイアナ元英皇太子妃については、ちょうどそのころ、イギリスで盛大に葬儀が行なわれているところだったので、あまり深入りはしませんでした。
 国民葬というかたちで、数百万もの人が彼女の死を悲しみ、その柩を見送っている姿を見たとき、「信仰の対象になる」という点で、彼女には女神に値するだけの実績が充分に出ているように私は感じました。あれだけ多くの人に惜しまれると、信仰の部分では女神の条件が満たされるのです。
 もっとも、それと引きかえに英国の王室が没落し、悲劇になった場合には、そこに一つの地獄界が出現し、マイナス要因となるので、彼女の先行きにはまだ未知数の部分もあります。しかし、パターンとしては、彼女は女神になる条件を備えていると思います。
 ただ、女神になる条件を備えているといっても、彼女のように、若くして突然に事故死などをした場合は、すぐにはあの世に還れないのが普通です。なぜなら、横死といわれる死に方をした人には、「もう少し地上で生きたかった」という思い、地上世界に対する執着が、非常に強く残るからです。
 彼女は来世に対して強いあこがれを持っていたわけではないので、「遺された王子たちはどうなるのか。自分が計画していた新しい生活はどうなるのか」などといった、この世に対する執着がまだ残っていました。こうした執着は、どのような人でも、ある程度は残るのです。
 亡くなってまもないころの彼女は、そうした執着がまだ心に残っていたため、地上界を完全に離れて天上界に入れる段階にはなく、「彼女は死後、二、三カ月ぐらいは地上界に残って、自分の葬儀の様子や遺された人たちの気持ちの動きなど、いろいろなことを見るのだろう」と私は思いました。
 当時の彼女の気持ちは悲喜こもごもでしたが、自分の死を大勢の人が惜しんでくれたことを意外に感じ、「死後、こんなに惜しんでくれるのであれば、生きているうちに、どうしてもう少し評価してくれなかったのか。生前はずいぶんひどいことも言われたのに、死ぬとこんなに変わるのか」と不満に思う気持ちも多少あったようです。
 彼女の死について、「なぜ、あの若さで亡くなったのか」という疑問や、「マスコミが悪い」という考え方も、この世的には当然あるでしょう。
 しかし、霊的な眼で観ると、「彼女は地上での使命が終わったのではないか」と私には思えるのです。
 おそらく、「彼女が六十歳、七十歳まで生きたならば、悲劇の人生、苦悩の人生が長くなるだろう。そうすると女神になるのが少し難しくなってしまうので、そろそろ引き上げ時だ」と考えた霊人がいたのだと思います。このようなかたちでの慈悲もあるのです。
(69~72ページ)

この説法がなされ、書籍として刊行されたのは、1997年のことでした。

それから25年が経過したわけですが、さて、ダイアナ元妃は、どういう世界に還ったのでしょうか。

ダイアナ元妃の霊言って、大川隆法先生は刊行しておられなかったんでしたっけ?

いやいや、もちろん出されているわけで。

それについては、また次の機会にご紹介したいと思います!

 

『繁栄の法』

 大川隆法著


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学校は卒業したっていうのに、なぜ、まだ学ばなきゃいけないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生を理解する鍵として、偉大な人たちの思想というものがあります。そうした人たちの思想書や哲学書、文学書を学んでいくことによって、心は一段高い境地へと飛翔し、人生の問題がみるみる解決していくことがあるのです。
 このように一段高い認識を得るためには、知識の集積が何よりも大事です。
 なぜ高い認識が必要かといえば、高い認識を得ることは、人間としての霊格がそれだけ高まることと同じだからです。
 人間の偉さとは、結局、認識力です。どれだけ高い見地から、また、どれだけ広い見地から、人類や世の中を見つめることができるかということなのです。
 たとえば、人に教わらなければ分からないようなことであっても、あらかじめさまざまな予備情報、予備知識を集めていることによって、簡単に分かる場合があります。
 また、人生には誤解がつきものですが、誤解の原因は、たいてい、相手の気持ちが理解できなかったり、「自分の身になぜこうしたことが降りかかったのか」ということが分からなかったりするところにあります。しかし、いちいち相手の説明を聞くには時間がかかりますし、行き違いもあります。
 ところが、いろいろな人の人生や考え方を知ることによって、「自分がなぜそうした立場に立たされているのか」ということが分かるようになるのです。
 結局、知識の集積は、自分を知り、他人を知り、世界を知るうえで、すなわち、仏の創られた世界を理解するうえで、非常に大きな力となるのです。
 それでは、自分や他人、世界を知ることによって、何が得られるのでしょうか。それは「幸福感」です。
 知ることは一つの喜びです。分かる範囲が広がることによって、それだけ自分の世界が広がるのです。
 たとえば、「自分は蟻になりたい」と思う人間は、おそらくいないでしょう。なぜでしょうか。それは結局、世界観の問題だと思います。
 蟻の持っている世界観と、人間の持っている世界観には、非常に大きな隔たりがあります。人間が思っているようなことを、蟻は考えることも認識することもできません。その違いゆえに、人間は人間であることを望み、蟻になりたいとは思わないのではないでしょうか。
 このように、知るということは大いなる幸福感の源泉でもあるのです。
(44~47ページ)

高い認識を得るというのは、人間としての霊格が高まることと同じであって、そのためには、知識の集積が何よりも大事である。

そして、知識の集積は、自分を知り、他人を知り、世界を知るうえで、すなわち、仏の創られた世界を理解するうえで、非常に大きな力となる。

自分や他人、世界を知り、分かる範囲が広がることによって、それだけ自分の世界が広がり、「幸福感」が得られる――。

大川隆法先生は、学びをものすごく大事にされ、誰もが学び続けることを、強く勧めておられると思います。

その理由の一端が、少しだけですが、改めて、よりよく分かった気が私はしているのです。
 

『不動心』

大川隆法著


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精神分析で有名なフロイトって、ちゃんとした世界に還ってるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『フロイトの霊言ー神なき精神分析学は人の心を救えるのか』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように述べておられます。

 前々からフロイトの学説は珍妙だと思っていたが、「精神分析の祖」として、その思想は現代医学に脈々と流れ込んでいる。彼以後、様々な学説が出ているが、現在でも、児童心理学や大人の精神分析としては使われている。
 私自身は、彼の学説が、幼児性欲の抑圧や幼い頃の恐怖感情が大人になってからの様々な心の葛藤やコンプレックス、神経症につながっていくという考えに違和感を覚えていた。一九〇〇年間も全世界を放浪し差別されてきたユダヤ人独特の文化的何かが背景には流れているのかもしれない。
 一見、マルクスとフロイトは、正反対のように見えながら、二十世紀以降の無神論、無霊魂・唯物論の底流を形づくっている点では同じだ。「宗教殺し」という点でも一致する。まずはご精読下さることを願いたい。
(1~2ページ)

マルクスとフロイトは、20世紀以降の無神論、無霊魂・唯物論の底流を形づくっている点では同じである。

「宗教殺し」という点でも一致する。

まずはご精読下さることを──。

この圧倒的に有名な精神分析医が、死後どんな様子で、何を語るのかを、ここで簡単に要約してしまってはいけないのではないかとも思えます。

いずれにしても、フロイトでなくても、精神医学や臨床心理学などに興味関心がある方へ。

大川隆法先生が、このまえがきで語られているとおり、まずは本書を手にとって精読されることを、改めて強くお勧めしたいと私は思っているのです。
 

『フロイトの霊言』

 大川隆法著


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キリスト教とか仏教って、勉強してみても、なんだかよく分からないところだらけなんだよね。どうやったら、その本質みたいなのがつかめるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『救世の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あの世や霊、宗教、信仰というものを、すでに認めている人であっても、正確な意味における仏法真理をまだ学んでいない人は数多くいます。
 二千五百年前に、ゴータマ・シッダールタ、釈迦牟尼仏が説いた教えは、現在まで、お経というかたちで伝わっていますが、現在ただいま、私自身の悟りの目で見ると、遺されている真実、真理は、ごくわずかなものです。その内容は、ほとんどが形式的なものに終わっています。
 ところが、日本のお寺においては、中国から渡ってきた、漢文のお経を、日本語読みで読み上げることでもって、仏教の儀式を執り行っています。
 しかも、僧侶のなかには、魂やあの世を信じていない人が数多くいるのです。
 キリスト教会においても事情は同じです。時計の針が二千年前で止まっているのです。
 「二千年前のイエスの時代には、奇跡も起きた。イエスの時代には、天なる父がイエスに語ることもあった。イエスの時代には、イエス以前の過去の預言者がイエスに語ることもあった。イエス自身は、病人を治すことができた。イエスの直接の弟子たちも、病人を治すことができた。
 そういう事実は確かに『聖書』に記録されているが、それは二千年前のことである。それからあとは分からない」
 このように考えられています。
 教会では、もはや奇跡が起きなくなっており、バイブルとしてつくり上げられた本の解説に終始しています。
 意外なことでしょうが、幸福の科学で学べば、キリスト教の本質がよく分かります。また、仏教の本質を知りたければ、もちろん、幸福の科学で学べばよいのです。幸福の科学の数多くの経典を読めば、仏陀の本心が現代語で分かります。
 過去のものは過去のものです。二千年前や二千五百年前と今とでは、時代が違います。「人間は、魂をその本質として、この世で数十年の人生を生きている」という事実は変わりませんが、社会の仕組みや、この世での生き方そのものは、大いに変わりました。
 現代に関して、釈迦ならば何と言うか。イエスならば何と言うか。これを知りたくなくて、「自分は仏教徒だ」とか「キリスト教徒だ」とかは、とても言えません。
(185~187ページ)

二千五百年前に、釈迦牟尼仏が説いた教えは、現在まで、お経というかたちで伝わっているが、遺されている真理は、ごくわずかなものにすぎない。

しかし、幸福の科学で学べば、キリスト教や仏教の本質がよく分かり、仏陀の本心が現代語で分かる。

幸福の科学で学べば、社会の仕組みや、この世での生き方が大いに変わった今、釈迦ならば何と言うか、イエスならば何と言うかがよく分かる――。

キリスト教や仏教に興味がある方へ。

この機会に、本気で、幸福の科学で学んでみませんか。

聖書や仏典を勉強していて、数多くの疑問を持っている人であればあるほど、その学びは大きく深いものとなることを保証できると思います。

そのように強く私は確信しているのです。
 

『救世の法』

  大川隆法著


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三島由紀夫っていう、自決した有名な作家がいたけど、いまの日本の状況をどういうふうに見てるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 私が大学に入学する数年前に、三島由紀夫は、市谷の自衛隊駐屯地で檄を飛ばしたものの、隊員に決起を促すことができず、自決して果てた。今、天才作家 三島由紀夫が、この八月、九月の竹島問題や尖閣諸島問題、中国の激しい反日デモ、領海侵犯などを見たら、「俺の言ってた通りじゃないか。」ときっと言ったことだろう。
 私が在籍していた頃にも、教授がその答案の流麗な文章をほめたたえるほどの秀才であり、東大法学部、剣道部の先輩でもあった三島由紀夫。その文学的天才性はつとに認めていたものの、政治思想の結末に同調できなくて、距離を置いていた時間が長かった。今にして思えば、吉田松陰的、先駆的予言者と位置づけるのが正しかろう。心ならずも、三島の未完の事業を私が完成させ、更に、未来社会を拓くための遺言を書き連ねているのかもしれない。高天原から投げかけられた、この「憂国のメッセージ」に合掌!!

あとがき
 早熟の文学的天才であったことは認めるものの、地方出身の私と違って、草花の名前一つ知らず、「名もなき雑草」で片づけてしまう三島は、東京山の手育ちのボンボンで、本来、私とは異世界の存在だと思っていた。しかし、この国の未来を憂えて眺めていた、その「無限遠点」は、意外にも近いところに存在した。
 過去世が天孫降臨のニニギノミコトであったなら、使命としては、そう大きくは違わないのかもしれない。
 日本以外の諸国民は平和を愛する国民で、日本だけが、憲法九条のオリの中に入れておかねばならない野獣だとする考えは、もう捨て去らねばならない時が来たと思う。
 今回の竹島事件、尖閣事件を見ても、韓国さえ、民主主義国家というよりは、ヒステリックな全体主義国家に近く、中国は、文明国にはほど遠い、人治国家であり、軍事独裁国家である正体が明らかになったと思う。本書が国体再考の一助となることを祈る。
(1~2、162~163ページ)

まえがきで簡潔に紹介されている、三島由紀夫が起こして死に至った事件は、当時、とうてい理解できないものだったと聞きます。

でも、だから単純に右翼というような決めつけをするのではなく、「吉田松陰的、先駆的予言者」と大川隆法先生に位置づけていただいたとき、初めて見えてくるものがあると思います。

本書は、竹島問題や尖閣諸島問題が起きた、2012年に刊行された書物です。

それから10年を経て、とりわけ中国は、尖閣諸島で領海侵犯し続け、香港の民主活動の弾圧、台湾侵攻問題と、その覇権主義の動きはますます強まっており、三島の先見性はさらに輝きを増しているように感じます。

いずれにしても、三島が、日本神道系の神々の一人(ニニギノミコト)であり、高天原(たかまがはら、日本神道系の高級霊界)に還っているというのは、大スクープではないでしょうか。

本書は、日本の国の行く末を憂うすべての人々にとって、今も必読の書であると改めて私は思っているのです。

『天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界』

 大川隆法著


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あーあ、受験なんて、つらいだけだよね。こんなの、なかったらいいのにね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ミラクル受験への道』(幸福の科学出版刊)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 「教育の法」として、何冊かの関連本を出しているが、本書は、特に、受験で心理的に追い込まれている人たちへの「救済本」である。大学受験を念頭には置いているが、人生最初の大勝負ではあろう。
 身分制社会ではない民主主義社会の今、学歴が一生抜けない入れ墨のようになって、現代の階級を決めているという考えもある。しかし、私の率直な感想を言わせていただくと、受験や大学名のことばかり一生考えているようでは、実人生での成功は難しい。
 受験の機会をとらえて、時間管理術や集中力増強法、暗記力鍛練法をマスターして、その後の人生の成功につなげたいものだ。
 私自身は東大法学部を卒業することで人生のスプリング・ボードができた。受験はチャンスだ。しかし、成功への道は、努力の継続であることもまた忘れてはなるまい。

あとがき
 とにかく「自分を鍛える」こと。自助努力と縁起の理法を信じること。その上で、信仰パワーを継続すること。結果は謙虚に受けとめ、人生の教訓とすること。
 さすれば受験も、単なるテクニック修得に終わらず、人生修行の一段階になるだろう。
 私自身は受験を通して、人間の能力に大して差がないことを知った。うぬぼれることなく、コツコツと努力を続け、やがて集中力や構想力、企画力、提案力を高めていくことが人生の勝利の方程式であることを悟った。
 苦しい日々だろうが、「努力即幸福」の境地を目指して頑張ってほしい。
(1~2、198~199ページ)

受験の機会にマスターすべき能力とは。

受験を、人生修行の一段階として意味あるものとするためには。

受験を通して学べる人生の勝利の方程式とは──。

短いまえがきとあとがきにも、珠玉のお教えが詰め込まれています。

本書は、この秋、受験生にとって必読必携の書籍であると改めて私は思っているのです。
 

『ミラクル受験への道』

 大川隆法著


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日本って、勉強すれば勉強するほど、他の国とは違うところがものすごくある気がしてくるんだけど、これってどうなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国之常立神・立国の精神を語る』(幸福の科学出版)において、「日本書記」で、天地開闢(かいびゃく)の際に最初に現われた神とされる、国之常立神(くにのとこたちのかみ)の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 この日本の国をつくるに当たっては、「神評定(かみひょうじょう)」がなされました。
 つまり、中心指導霊になる神々が集まって、「だいたい、こういう国をつくろうか」という、国の設計がなされているんですね。
 日本は、小さな国で、貧しい漁村のままであっても構わないような島国ではあるけれども、「この島国に、東洋のギリシャのような、文化の香りの高い国をつくろう」と決意された神々がいらっしゃるわけだね。
 だから、あなたがたが、今、思っている以上に、世界の歴史のなかで、日本という国は、輝きを持っている存在であります。
 世界の国々では、いわゆる日本史を学ぶ人の数が少ないため、近代の動き以外には、日本の歴史を知らない人がほとんどであろうと思う。しかし、つぶさに日本の歴史を研究したならば、その立派さに驚くでしょう。
 例えば、アメリカ合衆国の歴史は、建国後、わずか二百年余りであり、アメリカに清教徒が移住してからでも、四百年ほどの歴史しかない。このアメリカと、「古代・中世・近代・現代」と何層にも積み重なった歴史を持つ日本とでは、その違いは明らかですね。
 年輪のように層が重なって出来上がった歴史を持っている国は、神々の、並々ならぬ努力の賜物であるわけです。
 オーストラリアにしろ、アメリカにしろ、古い昔から大陸はあったのであろうけれども、国としては、重層的に積み重なった歴史を持ってはいない。
 その意味で、日本は、資源が少なく、国土の狭い国ではあるけれども、「神々の集われし、栄えし国」であったわけだ。つまり、「神々に選ばれし国の一つだ」ということだね。
 昔に戻ると、イスラエルという小国には、数々の偉大な預言者も出ておる。それから、ギリシャやローマが栄えた時代もあったし、その前には、エジプトが栄えた時代もあった。
 世界には、たくさんの国があり、今は二百カ国ぐらいあるだろうけれども、「神々に選ばれし国」ということになると、やはり、十本の指で数えられるぐらいしかないのではないかね。
 そういう意味では、「日本に集まられた神々は、それなりの力をお持ちであった」と考えてよいと思うな。
 (53~56ページ)

日本の国をつくるに当たっては、中心指導霊になる神々が集まって「神評定」がなされ、国の設計がなされた。

この島国にギリシャのような文化の香り高い国をつくろうと決意した、それなりの力を持った神々がいる。

じつは古代・中世・近代・現代と何層にも積み重なった歴史を持ち、世界の歴史のなかでも輝きを持つ日本という国は、神々の並々ならぬ努力の賜物であり、神々に選ばれし国の一つということである――。

この1冊の書物を手にとることで、天地開闢の神様が、直々に日本国建国の秘密を語られるという奇跡に、私たちは立ち会っています。

大川隆法先生による霊言集の大量刊行こそが、じつは世界史においても特筆すべき歴史的大事件であること。

これは、後世、時間がたつにしたがって誰の目にも明らかになっていくものと改めて私は確信しているのです。
 

『国之常立神・立国の精神を語る』

 大川隆法著


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自由と平等っていうけど、どっちかを選ぶとしたら、格差はよくないいんだから、やっぱし平等のほうが大事じゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『政治の理想について──幸福実現党宣言②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、統制経済型のものは勧めません。そういうものは、できるだけ最小限に抑え、企業や個人の努力が報われる社会をつくっていくべきです。
 もちろん、そのためのインフラを整備したり、「チャンスの平等」を与えるために、できるだけ努力することは大事なことだと思います。
 ただ、「自由か平等か、どちらかを選べ」と言われたら、迷わず自由のほうを選んでください。
 自由より平等を選んだら、必ず自由は死滅します。平等を選んだ場合には、極端まで行くと、最後は結果平等に必ず行き着きます。この結果平等は「貧しさの平等」なのです。
 なぜなら、平等を言う以上、そこからは、いかなる成功者も出てこなくなるからです。結果的な平等を求めたら、成功者は出てこなくなります。成功した人は、「悪いことをした人」か、「税金を吸い上げるための対象」にしかならないので、企業努力をする人がいなくなるわけです。
 したがって、「自由か平等か」ということなら、自由のほうを選ぶのがよいのです。(中略)
 そして、前述したように、自由の行使の結果、事業などで成功した人は、いろいろなかたちで、それを社会に還元していく努力をすることです。
 私は、「騎士道精神」という言葉を使うことがありますが、それは、この世的な言い方であり、別の言葉で言えば、「宗教的な精神」でもあります。
 そういう「信仰心に溢れた慈悲の行為」に取りかかるべきです。人生の前半において、事業の成功に向けて努力をし、それで成功したのなら、人生の後半においては、それを元手にして、慈悲の行為を実践していったほうがよいのではないでしょうか。
 そうすれば人生は“二毛作”となり、非常に楽しいと思います。「若いころには、事業を大きくするために、一生懸命に働き、晩年になったら、成功して得られた組織やお金を元手にして、それを社会に還元していく」ということは、実に楽しいことだと思うのです。
 「国家に税金を納めても、そのお金が何に使われているのか分からない」ということより、ロックフェラーのように自分たちで財団をつくり、「ここに病院を建てたい」「この地域の人たちを救いたい」というようなかたちで自分の財産を使えることは、企業家にとって、実に楽しく、うれしいことだと思います。「自分が蓄財したものを自分が自由に使っていける」ということは大事なことです。
 私は、企業家に対して、「しっかりお金儲けをして大きくなったら、人生の後半においては、それを社会に還元していくことが大事です。それは、騎士道精神、あるいは宗教的な慈悲の精神を推し進めることでもあるのです」ということを教え、そういう人が数多くいる社会をつくっていきたいのです。
(237~240ページ)

努力が報われる社会をつくるためのインフラ整備や、「チャンスの平等」のためにできるだけ努力することは大事ではあるが、「自由か平等か」では、自由のほうを選ぶべきである。

平等を選んだら、必ず自由は死滅し、最後は結果平等に行き着くが、これは「貧しさの平等」になってしまう。

自由の行使の結果、事業などで成功した人は、騎士道精神、あるいは宗教的な慈悲の精神をもって、いろいろなかたちで、それを社会に還元していく努力をすることである──。

「自由と平等」とよくまとめて言われますが、よくよく考えてみると、これは実は両立しない概念であって、突き詰めていくとどちらを取るのかが迫られるというのは、大川隆法先生がかなり以前から一貫して教えておられるところです。

そして、どちらかを取るとき、“平等”ではなく「自由」のほうを取らないと、結果として大変なことになってしまう、ということであるわけです。

考えてみると、これは大きくは、「自由主義」対“社会主義”の問題として、壮大な文明実験が行なわれてきたのではないでしょうか。

いまだ“平等”にこだわり、“社会主義”を取ろうとしておられる方の一人でも多くが、この大川隆法先生が説かれる「自由主義」の哲学をしっかりと学んで下さいますように。

そうすれば、世界はもっともっと素晴らしく、そして美しくなっていくのだろうと改めて私は思っているのです。
 

『政治の理想について──幸福実現党宣言②』

 大川隆法著


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北朝鮮の核ミサイルとか、中国が軍事力を増強しまくって、台湾を手はじめに尖閣諸島から沖縄まで取ろうとしてるなんて聞くと、鎌倉時代の「元寇」と同じような状況なんじゃないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『北条時宗の霊言──新・元寇にどう立ち向かうか』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 北朝鮮の核ミサイル問題、中国の尖閣領海・領空侵犯問題と、今、「新・元寇」の時代に入ったかに見える。(中略)
 一番大切なのは日本独自の姿勢であり、決断である。(中略)憲法改正に反対する(自称)平和勢力に対しても、侵略から護ってやるのが国家としての正しい決断である。憲法九条の毒素は学問の自由をも侵し、東大の科学者は軍事研究ができないという内規がある。東大を辞職しなければ防衛兵器の研究もできない現状は打破しなくてはならない。理系の研究者に実用性がないということは滅びる文明の側に属していることになる。人工で神風を吹かせる方法を考えるべき時だ。

あとがき
 本書中にも時宗の霊言で述べられている通り、国を護る気概があり、具体的行動があって、はじめて天なる神も国を守護したまうのである。
 現状の北朝鮮は滅ぼさねばならない悪魔の国である。中国は、宗教的反省をしなければ、まともな国民国家とは言えない、独善的な国家である。
 国民一人一人に「愛しているなら国を護ろう」と呼びかけるべき時である。
(1~2、131ページ)

今、「新・元寇」の時代に入ったかに見える。

外交も大切だが、一番大切なのは日本独自の姿勢であり、決断である。国を護る気概があり、具体的行動があって、はじめて天なる神も国を守護したまうのである。

国民一人一人に「愛しているなら国を護ろう」と呼びかけるべき時である──。

「憲法九条の毒素は学問の自由をも侵し、…」と言われるのは、東大には、一切の軍事研究を禁止する内規があるため、原発事故で役に立つロボット開発ができなかったことを指しておられたのだと思います。

2013年の本書刊行後、東大は一部で軍事研究を解禁したと報道されています。

そして、大川隆法先生は、中国を厳しく批判されるとともに、「現状の北朝鮮は滅ぼさねばならない悪魔の国である」とまで言い切っておられるのも注目されます。

この国難の状況下、憲法改正に反対なぞしている場合ではないと、大川隆法先生は強く強く警鐘を鳴らしておられたのだ、そして今もそうであるのだと改めて私は思っているのです。
 

『北条時宗の霊言』

 大川隆法著


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「許す愛」って、教えてもらったことがあるけど、なんだかよく分からないんだよね。人間、敵だったり憎んでる人を許すことができるなんて、信じられないんだけどな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 肉体に宿って修行をしているがゆえに、
 自分も、また他人も、過ち多い人生を送る。
 人生の途中において、さまざまな間違いを犯す。
 過ちの多い人生を、
 お互い迷いながら手探りで生きている、
 そういう人生であるのだ。
 この手探りの人生であるがゆえに、
 お互いにさまざまな間違いをするけれども、
 この真暗闇の世界のなかで、
 ともに、手探りで生きているという
 その原点をよく知って、
 励まし合っていこう。
 他人の悪は小さく見、
 自分の善も小さく見、
 そしてお互いに、ともに生きるものとして、
 ともに同時代の同期生として生きるものとして、
 手を携えて、
 角を引っ込めて、
 生きていこうではないか。

 こういう宗教的立場が、許す愛の立場なのです。般若の立場は、これにきわめて近いところがあります。許す愛においても、また般若の智慧においても、ともに、そもそもの宇宙の成り立ち、仏の心、人間の使命、転生輪廻、諸行無常、諸法無我――こういう見地を充分に知ったうえで、初めて成り立ってくる考え方なのです。
(134~136ページ)

許す愛」については、「愛の発展段階」の教えの中でご紹介したことがありました。

今日はこれを、前回に続いて、「般若(はんにゃ)」という角度から教えられた部分のご紹介になります。

大川隆法先生は、人々のさまざまな人生の悩みに答えるだけでなく、経営論を説き、経済分野のオピニオンを発信し、政党を設立し政策を発表して日本の国論を変え、学校を設立して教育分野での実績を積み重ねておられます。

さらには、数えきれないほど多くの霊人たちの「霊言集」を発刊し、「宇宙人リーディング」や「UFOリーディング」という新分野まで開拓されるなど、もう、八面六臂の活動を休みなく展開しておられます。

そうしたなか、宗教家としての本業と思えますが、「愛の教え」のなかでも、特に「許す愛」を教えておられる一節を、今日はご紹介してみました。

今だからこそ、このお教えをじっくりと味わってみたいと、改めて私は思っているのです。

 

『心の挑戦』

  大川隆法著


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あの秀吉って、今の日本をどうみてるのかな。どうやって立て直しを考えたりするのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『太閤秀吉の霊言──天下人が語る日本再生プラン』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 もし今、太閤秀吉がいたら、この国をどうするか。この「イフ(IF)」は、考えれば考えるほど面白い。
 しかし、目に見えぬ、この国の縛りを破って、新しい発展の条件を整備することは間違いないだろう。そして眠っていた日本民族に、はっきりとした「未来ビジョン」を見せてくれることだろう。
 とにかく大切なことは、諸外国の眼で見て律せられる国ではなく、自分たちの力で、新しい発想を磨き、「自由の大国」を建設するであろうということだ。
 経済の再生・発展はもとより、国防の面でも、自信をもって新しい考え方を打ち出すだろう。
 今こそ、秀吉的思考に立ち戻ってみようではないか。

あとがき
 近隣の諸外国にはどのように見えているかは別にして、軍事的にも経済的にも国難の今、ジャパニーズ・ドリームの典型である秀吉的なる人の登場が望まれる。一介の百姓から天下人にまで登りつめた日本人がいたことを知ったら、アメリカン・ドリームにかげりが見えて淋しがっているアメリカ人にとっても、驚きだろう。
 「自分ならどうするだろうか」という発想に限界を感じたら、「太閤秀吉ならどうするだろう」と着想の原点を置き換えてみることも大切だ。天下人は、現代日本の国難に終止符を打ち、どのような日本再生プランを目指すだろうか。本書が、その発想切り換えのターニングポイントとなることを祈る。
(1~2、166~167ページ)

いやあ、あの太閤秀吉は、やっぱりとてもユニークな発想の人でした。

天上界の秀吉による、斬新な日本再生プラン。

コロナ禍で世間が疲弊している、まさに今。

これは読むしかないのではないかと、改めて私は思っているのです。

『太閤秀吉の霊言──天下人が語る日本再生プラン』

 大川隆法著


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