学校は卒業したっていうのに、なぜ、まだ学ばなきゃいけないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
人生を理解する鍵として、偉大な人たちの思想というものがあります。そうした人たちの思想書や哲学書、文学書を学んでいくことによって、心は一段高い境地へと飛翔し、人生の問題がみるみる解決していくことがあるのです。
このように一段高い認識を得るためには、知識の集積が何よりも大事です。
なぜ高い認識が必要かといえば、高い認識を得ることは、人間としての霊格がそれだけ高まることと同じだからです。
人間の偉さとは、結局、認識力です。どれだけ高い見地から、また、どれだけ広い見地から、人類や世の中を見つめることができるかということなのです。
たとえば、人に教わらなければ分からないようなことであっても、あらかじめさまざまな予備情報、予備知識を集めていることによって、簡単に分かる場合があります。
また、人生には誤解がつきものですが、誤解の原因は、たいてい、相手の気持ちが理解できなかったり、「自分の身になぜこうしたことが降りかかったのか」ということが分からなかったりするところにあります。しかし、いちいち相手の説明を聞くには時間がかかりますし、行き違いもあります。
ところが、いろいろな人の人生や考え方を知ることによって、「自分がなぜそうした立場に立たされているのか」ということが分かるようになるのです。
結局、知識の集積は、自分を知り、他人を知り、世界を知るうえで、すなわち、仏の創られた世界を理解するうえで、非常に大きな力となるのです。
それでは、自分や他人、世界を知ることによって、何が得られるのでしょうか。それは「幸福感」です。
知ることは一つの喜びです。分かる範囲が広がることによって、それだけ自分の世界が広がるのです。
たとえば、「自分は蟻になりたい」と思う人間は、おそらくいないでしょう。なぜでしょうか。それは結局、世界観の問題だと思います。
蟻の持っている世界観と、人間の持っている世界観には、非常に大きな隔たりがあります。人間が思っているようなことを、蟻は考えることも認識することもできません。その違いゆえに、人間は人間であることを望み、蟻になりたいとは思わないのではないでしょうか。
このように、知るということは大いなる幸福感の源泉でもあるのです。
(44~47ページ)
高い認識を得るというのは、人間としての霊格が高まることと同じであって、そのためには、知識の集積が何よりも大事である。
そして、知識の集積は、自分を知り、他人を知り、世界を知るうえで、すなわち、仏の創られた世界を理解するうえで、非常に大きな力となる。
自分や他人、世界を知り、分かる範囲が広がることによって、それだけ自分の世界が広がり、「幸福感」が得られる――。
大川隆法先生は、学びをものすごく大事にされ、誰もが学び続けることを、強く勧めておられると思います。
その理由の一端が、少しだけですが、改めて、よりよく分かった気が私はしているのです。
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『不動心』
大川隆法著
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