ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



無我って、まだよく分からないんだけど、結局のところ、自分の個性をなくしていく方向のことなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 しかし、一つ忘れてはならないことは、「無我とは無個性の勧めではない」ということです。無我になるということは、個性をなくして無個性になることではありません。寒天のように誰でもが同じような存在になることではないのです。
 無個性は仏の本来の意志に反しています。たとえば動植物を見ても、いろいろな動物や植物がいますが、仏の意志は、それぞれが発展・繁栄していることをもって、世界の芸術が成り立っているのを、よしとされているのです。
 そのように、一人ひとりの個人が、違ったかたちではあるけれども、なんらかのかたちで、自分自身の自助努力によって、仏の世界の一部をかたちづくろうとする過程が尊いのです。頭のいい人は頭を使って、身体の丈夫な人は身体を使って、女性は女性として、男性は男性として、親は親、子は子として、年寄りは年寄りとして、それぞれ、自分のできること、個々の光の参画、参加によって、天国をつくっていこうとする。その個性を非常に重視することが大事なのです。
 無我というのは「無個性」ということでは決してありません。そして、個性というものは、決して、奪っていく、取り込んでいく考え方ではなくて、自分自身のそのユニークな光でもって、世を照らしていこうとする動きなのです。個性というものは、取り込みにいくのではなくて、一種の光である。サーチライトである。灯明である。蝋燭の炎はいろいろあり、その炎は色も違うけれども、世の中を一人ひとりが個性的に照らしていこうとするところに、実は理想世界ができてくる、ということを言っているのです。
(163~165ページ)

無我とは無個性の勧めではない。

仏は、いろいろな動物や植物が発展・繁栄することで世界の芸術が成り立っているのをよしとされているのであって、無個性は仏の本来の意志に反している。

一人ひとりが、自助努力によってなんらかのかたちで仏の世界の一部をかたちづくろうとする過程が尊いのであり、一人ひとりが世の中を個性的に照らしていこうとするところに、理想世界ができてくる――。

「無我」の教えについては、何度何度も教えていただいていますが、今日は、その注意点について説かれた部分の一部を、ご紹介してみました。

注意点はまだまだありますが、この続きは、またの機会に!
 

『心の挑戦』

  大川隆法著


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