「許す愛」って、教えてもらったことがあるけど、なんだかよく分からないんだよね。人間、敵だったり憎んでる人を許すことができるなんて、信じられないんだけどな? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
肉体に宿って修行をしているがゆえに、
自分も、また他人も、過ち多い人生を送る。
人生の途中において、さまざまな間違いを犯す。
過ちの多い人生を、
お互い迷いながら手探りで生きている、
そういう人生であるのだ。
この手探りの人生であるがゆえに、
お互いにさまざまな間違いをするけれども、
この真暗闇の世界のなかで、
ともに、手探りで生きているという
その原点をよく知って、
励まし合っていこう。
他人の悪は小さく見、
自分の善も小さく見、
そしてお互いに、ともに生きるものとして、
ともに同時代の同期生として生きるものとして、
手を携えて、
角を引っ込めて、
生きていこうではないか。
こういう宗教的立場が、許す愛の立場なのです。般若の立場は、これにきわめて近いところがあります。許す愛においても、また般若の智慧においても、ともに、そもそもの宇宙の成り立ち、仏の心、人間の使命、転生輪廻、諸行無常、諸法無我――こういう見地を充分に知ったうえで、初めて成り立ってくる考え方なのです。
(134~136ページ)
「許す愛」については、「愛の発展段階」の教えの中でご紹介したことがありました。
今日はこれを、前回に続いて、「般若(はんにゃ)」という角度から教えられた部分のご紹介になります。
大川隆法先生は、人々のさまざまな人生の悩みに答えるだけでなく、経営論を説き、経済分野のオピニオンを発信し、政党を設立し政策を発表して日本の国論を変え、学校を設立して教育分野での実績を積み重ねておられます。
さらには、数えきれないほど多くの霊人たちの「霊言集」を発刊し、「宇宙人リーディング」や「UFOリーディング」という新分野まで開拓されるなど、もう、八面六臂の活動を休みなく展開しておられます。
そうしたなか、宗教家としての本業と思えますが、「愛の教え」のなかでも、特に「許す愛」を教えておられる一節を、今日はご紹介してみました。
今だからこそ、このお教えをじっくりと味わってみたいと、改めて私は思っているのです。
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『心の挑戦』
大川隆法著
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