ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



チェレンジっていうけど、でも、失敗しちゃったらどうするのよ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『勇気の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 チャレンジするかぎり、失敗はあるでしょう。目標が高い人は、必ず失敗をするのです。しかし、失敗を怖れていたら若者ではありません。「失敗を怖れる人は、すでに老人である」と言ってよいのです。
 年を取れば、特に努力をしなくても、だんだん保守的になり慎重になって、いろいろなことにチャレンジしなくなっていきます。
 経営者などは、年を取ると新しいことをしなくなるので、退陣に追い込まれることがよくあります。時代が変わろうとしていても、新しいことにチャレンジできなくなっていくため、一定の年齢になると、「老害だから、もうお引き取りください」と言われて、会社から追い出されるのです。
 若い人には、チャレンジする精神があって当然であり、それがなかったら、いけないのです。年寄りから、「それはやめなさい」と言われても、「そうはおっしゃいましても、どうしてもやりたいのです」と言って、突き上げていくぐらいの力を持たなければいけません。そうでなければ若者ではないのです。
 若者は、失敗を怖れず、挑戦していかなければなりません。
 「自分は失敗したことがない」と言う人は、「チャレンジしていない」と言っているのと同じです。
 仕事においてもそうでしょう。仕事をしない人には失敗もありませんが、積極果敢に仕事をする人は失敗の数も多くなるはずです。
 チャレンジをしていかなければ、新しい企業を起こすことも絶対にできません。「企業を起こしても、確率的には十に一つ程度しか成功しない」とも言われています。しかし、それを分かっていながら、目標を高く持ってチャレンジしていかなければ、道は開けないのです。
 学生であれば、スポーツでも同じでしょう。野球やサッカーなど運動部に属している人が、「何とか補欠選手にはなりたい」という志を立てたとすれば、半分ぐらいの人は、その目標を達成できるかもしれませんが、正選手になり、「地方大会に出場したい」「国体に出たい」というように、目標が大きくなるに従い、だんだん難しくなります。もし、「オリンピックなどで金メダルを取りたい」ということを目標にすれば、九九・九九パーセントは実現しないでしょう。
 どんな世界であっても、目標が高ければ高いほど、失敗する確率も高くなります。しかし、最初から失敗することを怖れて何もしなければ、何も成し遂げることはできないのです。(中略)
 目標を下げれば、失敗はしなくなるでしょう。何もしなければ失敗もないのです。しかし、そういう人は何も挑戦していないはずです。何も挑戦しないまま人生を終えて、本当に良いと思っているのでしょうか。
 人生最大の失敗は、「失敗が一度もない」ということです。「失敗したことがない」ということが人生最大の失敗なのです。それを知らねばなりません。
(45~47ページ)

チャレンジするかぎり、失敗はあるが、失敗を怖れていたら、若者ではない。

どんな世界でも、目標が高ければ高いほど、失敗する確率も高くなるが、最初から失敗を怖れて何もしなければ、何も成し遂げることはできない。

人生最大の失敗は、「失敗が一度もない」ということである──。

失敗を怖れずに、勇気を持ってチャレンジせよと、大川隆法先生は、若者たちを強く鼓舞されます。

若いみなさん、この熱い仏の言魂に触れて、燃えてみようと思いませんか?

そして、もう若いとは言えないみなさんも、残りの人生、まだ諦めるには早いんじゃないでしょうか?

もっとチャレンジしてみたい。

そう思わせる、今日のお教えではなかったかと、改めて私は思っているのです。

勇気の法――熱血 火の如くあれ (OR books)

『勇気の法』

  大川隆法著


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ドゴン人については、一度紹介しました。今日は、第二弾です。

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙からのメッセージ 宇宙人との対話Part2』(幸福の科学出版)で、面前に座ったCさんに対する宇宙人リーディングを行なって、こう教えておられます。

大川隆法 (瞑目し、Cに対して右手をかざす。約十五秒間の沈黙)
 青いですね。青い。これは、最近、日本に来た「アバター」という映画に出てきたものと、そっくりではないですか。「アバター」では、青いキツネが直立していますね。
 ドゴン族です。ドゴン人ですね。ドゴンの人です。(中略)
 皮膚の色は限りなく青いですね。青くて、ときどき、白く光ることがあります。「青いキツネ」と呼ばれていた種族ですね。
「アバター」では、青くて鼻筋の通った宇宙人が、キツネのような動きをして、ピョンピョンと跳びますが、あれは実物にかなり似ているものなのです。あの姿で地球に飛来しました。(中略)

ドゴン人 ええ。同じ星からは、もっと古い時代にも来ているのですけれども、(中略)私たちが来たのは六千年ぐらい前です。(中略)
 聴力や視力、臭覚は、普通の人間より、そうとう優れていて、はるか遠くの音も聞こえるし、何キロも先にいる動物のにおいもかげるし、何十キロも先の生き物の姿を捉える視力も持っていました。視力は八・〇ぐらいまであったはずです。(中略)
 シャーマンというか、「霊降ろし」「神降ろし」をする超能力を持った者が非常に多い種族で、もともとは超能力型の人間です。それが私たちドゴンの星の人間です。(中略)
 そうですねえ、侵略を受けたのは事実です。
 だから、あの映画は、ある意味で、霊感を受けてつくられた映画ですね。
 ああいうかたちで、ある意味でのユートピアをつくっていました。「アバター」に出てくる青い種族のように、自然と調和したユートピアをつくっていたのです。
 地球に来ている宇宙人全体の傾向として、科学技術万能型というか、科学技術信仰が非常に強いなかで、ドゴン族のほうは、そうした科学技術よりも、精神的な力というか、霊的な力、念力のほうに重きを置く傾向があったんですね。(中略)
 ところが、あの、にっくき……、あ、「にっくき」と言ってはいけないのかもしれませんが、レプタリアンが来て、われらを獲物にし、食料にし始めました。要するに、自分たちの所の獲物が少なくなったので、われわれの星まで来たわけです。
 そして、われわれのことを、「食料として、けっこう、いけるよ。この味は、いける」と言い出しました。われわれは、外見が獲物のキツネに似ていますし、毛皮をはげば、非常に引き締まった、筋肉質の肉体が出てきて、おいしい味をしていたらしく、「ドゴン人は、おいしいよ」という噂が広まり、それで大危機になったのです。
 そこで、「何とかして脱出しなければいけない」ということになり、かなりの大船団を組んで脱出した覚えがございます。人数的には、かなり多かったと思います。
 だから、あの映画は、かなりインスピレーションを受けてつくられた映画であり、ドゴンは星ごと侵略されました。かなり抵抗戦はしていたんですけれども、「敵わない」と見て、脱出準備に入り、逃げました。そのうちの一部が地球の今のアフリカ西南部に着陸して、現在も、そこに残っています。
(83~90ページ)

映画「アバター」に出てきた「青いキツネ」のような宇宙人は、ドゴン人にそっくりである。

聴力や視力、臭覚は、人間より、そうとう優れていて、「霊降ろし」「神降ろし」をする超能力を持った者が非常に多い種族で、自然と調和したユートピアをつくっていた。

レプタリアンに星ごと侵略されたため、大船団を組んで脱出し、そのうちの一部が地球のアフリカ西南部に着陸した──。

あの映画に出てきた惑星パンドラには、そっくりのモデルがじつはあったというのは、驚くべき事実ではないでしょうか。

ここで大川隆法先生が行なっておられる「宇宙人リーディング」というのが何かについても、何度かご紹介してきました。

霊界同様に、これまでいろんな噂話や作り話まで飛び交っていて、何がほんとうかが分からなかった宇宙人の世界が、この秘儀によって次第にその輪郭が見えつつあるというのは、やっぱり奇跡というほかありません。

次には、どんな宇宙人(異星人)の姿が明かされていったのか、ワクワクする秘儀の世界ではないかと改めて私は思っているのです。

宇宙からのメッセージ 宇宙人との対話 Part2 『宇宙からのメッセージ 宇宙人との対話Part2』

 大川隆法著


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悲しいことが多いしさ、なんだか苦しいことばっかりだよね。人生って、なんで、こんななのかね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 悲しみや苦しみについて、「それは地獄的な思いであり、天国的なものではない」という考え方もあります。(中略)しかし、もう一つの側面を見落としてはなりません。悲しみや苦しみには、「人格を練る」という効用もあるのです。
 深い悲しみを味わったことのある人には、次の二つの点において、大いなるプラスが生じてきます。
 一つは、「謙虚さを知る」ということです。鼻っ柱を折られ、プライドが傷ついたとき、その悲しみを通して、謙虚さというものを真に学ぶことができるのです。
 もう一つは、「他の人に対して優しくなる」ということです。
 相手の気持ちが実感できないと、その人に対する優しさが、なかなか出てこないものです。
 特に、環境に恵まれ、順調に生きてきた人は、他の人に対して厳しくなりがちです。また、言葉も荒くなります。相手に対し、「なぜこんなことができないのか」などと言うこともあります。
 しかし、深い悲しみを実体験すると、人を許す範囲が広がります。「人が悲しんでいる姿とは、どのようなものか」ということが、切々と胸に迫るように分かるからです。それは、深い悲しみを味わったことがある人だけの実感でしょう。
 悲しみを経験した人には、独特の優しさがあります。それは一つの光です。「悲しみの底を打ち破ったとき、光が出てくる」という言葉もありますが、それは、このことを言っているのだと思います。
 人と接するときの優しい眼差しや、「相手の成長を待ってあげられる」という気持ちは、大きな悲しみを通過した人に特有のものです。
 人を許せないでいる人は、「自分は大きな悲しみや挫折を経験したことがないのではないか」と思う必要があるでしょう。
 悲しみに似たものとして、苦しみがあります。この二つは双子の兄弟のようなものです。
 苦しみにもプラスの面があります。それは、「魂の足腰を鍛える」ということです。
 苦しみがないと、魂の進化に停滞が生じてしまいます。順調なだけの一生を過ごしても、よく練れた人格にはならないものです。
 苦しみによって魂が鍛えられると、それは人格の広さとなって表れてきます。人格に幅が出てくるのです。人格の幅とは、許容する量のことです。いろいろな苦しみを経験することは、その人の器を大きくする上で役に立つのです。
 悲しみや苦しみを、単に否定的なものと見るのではなく、「そのなかにも真理への芽生えがある」と捉えるべきです。悲しみや苦しみによって、人間を理解できる範囲が広がるのです。
(48~51ページ)

深い悲しみを味わうことで、謙虚さを知り、他の人に対して優しくなるという、大いなるプラスが生じる。

苦しみにも、魂の足腰を鍛え、人格に幅が出てくるという、プラスの面がある。

悲しみや苦しみには、人格を練り、人間を理解できる範囲が広がる、という効用もあることを見落としてはならない──。

悲しみのとき、苦しみのさなかにあるとき。

そんなつらい体験の積極的な面を見つけることなど、自分でできるものではありません。

そんなときこそ、この大川隆法先生のお教えを人生の羅針盤とすることで、私たちは針路を間違えずに航海していけるのだと、改めて私は思っているのです。

幸福へのヒント―光り輝く家庭をつくるには (OR books)

『幸福へのヒント』

 大川隆法著


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慶応義塾の創立者・福沢諭吉って、1万円札に肖像が載って有名だけど、天上界から幸福の科学にたくさん霊言を降ろしてるんだってね。で、いま天上界で何をやっておられるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『福沢諭吉霊言による「新・学問のすすめ」』(幸福の科学出版)で、その福沢諭吉の霊自身の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 今、私が主としてやっていることは何かというと、実は、指導しているものがあるんだよ。
  私が指導しているのは、実は慶応義塾ではないんだ。申し訳ない。慶応義塾を指導しているわけではなくて、まあ、私の似顔絵を刷っているところを指導しておってな。まあ、これは象徴的な言い方だがな。日銀を中心とする日本経済の立て直しのところに、今、関心を持って指導に入っている。
 「銀行、財界等を、どうやって立て直すか。そして、日本を“沈没”から救うか」ということだな。これのほうに、今、エネルギーを注いでいて、慶応のほうは、少し、こちらにある(脇のほうに手を振る)。
 慶応も株の運用でだいぶ損をしたので、株価を上げる努力をしなければ慶応自体も沈んでしまう。「慶応を指導するより、株価を上げることのほうをやらなければいけない」と考え、「実業の盛り上げを、どうやって行うか」ということの検討をしているところだな。
 そのなかにおいても、教育に関して言えば、「未来の産業をつくる教育を拓かなければならない」ということだな。
 「未来の産業をつくる教育を拓くためには、どうすればよいか」ということだけれども、それは、「未来産業とは何か」ということを明らかにすることだな。「未来産業が何であるかを明らかにすれば、それに向けての教育の準備が始まる」ということだね。
 「今、そういうことをやらねばならん時期が来ている」ということで、日本経済の立て直し構想と、未来産業の開発構想にかかわっている。(中略)
 それが一つと、もう一つ、私の専門ではないのかもしれないし、他の人とも協力しながらではあるけれども、「次の時代の経済原理をつくらなければいけない」と思っているんだな。
 政府は長らくケインズ経済学に頼ってきたし、最近では、マネーサプライ系の経済学も入ってきたけれども、どれも中途半端で効果を発揮しない。そこで、「次の時代の経済学を何かつくらなくてはならない」ということで、今、私たちが検討しているところなんだな。
 この経済のところを乗り越えなければ、次の時代の日本はありえないし、他の先進国も、またありえないと思う。「農業国から工業国へ、工業国から商業・サービスの国家へ」と発展していくルートは、過去、できてきたのだけれども、「これから先の経済において、未来産業は何でもって食べていくのか」というところが問題だね。
 特に、「日本なら何ができるか」ということを考えて、これをつくらなくてはならない。(中略)
 では、日本発の産業として何があるか。
(154~159ページ)

天上界の福沢諭吉は、日本経済の立て直し構想と、未来産業の開発構想にかかわっている。

教育に関しては、未来産業をつくる教育を拓かなければならず、そのためには、「未来産業とは何か」を明らかにすることである。

それでは、日本発の産業として何があるのか──。

さてさて、話が佳境に入ったところで、今日は時間切れです。

この「未来産業」に関する福沢先生の具体的なお考えについては、また次の機会にご紹介したいと私は思っているのです。

福沢諭吉霊言による「新・学問のすすめ」 (OR books) 『福沢諭吉霊言による「新・学問のすすめ」』

 大川隆法著


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ねえ、何が正しいのかって、なんだか分からなくなってきたんだけど、どう考えたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『震災復興への道』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 今、「正しさの基準」を再検討するときが来ているのではないかと思います。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が、「正義とは何か」をテーマにして行った連続講義が、(中略)「ハーバード白熱教室」という番組名でNHKによって放映され、話題になりました。
 私は、彼の連続講義の内容を一通り見ましたし、NHKによる彼へのインタビューも見ました。ただ、彼は人に意見を言わせているだけで、結論などありはしないのです。
 その講義のなかで、彼が最初に提示しているテーゼ(命題)は、「運転中の電車のブレーキが故障していて、まっすぐ走ると線路上の五人の作業員が死んでしまうが、待避線に入れば、そこにいるのは一人の作業員だけなので、一人は死ぬが、五人は助かる。さあ、あなたが運転手なら、どうするか」というものです。
 「正義とは何か」というテーマに関し、彼は、「一人を殺して五人を救うことが正義か。それとも、そのまま走るべきか。どうする?」と問いかけていたのです。
 ところが、NHKによるインタビューで、「ところで、あなただったら、どうするのですか」と逆に質問され、一瞬、彼の顔が引きつったのを私は見ました。急に血相が変わり、「それは、君、『相手が誰であるか』の情報を与えてくれなければ、答えられない」と彼は言ったのです。
 「では、待避線にいる一人が、あなたの友人や家族だった場合には、どうしますか」と訊かれ、「ああ、その場合には、ハンドルを切らず、まっすぐ走ります」と答え、次に、「それが家族や友人ではなかったら、どうするのですか」と訊かれると、「待避線に入って、一人だけを殺します」と答えていました。
 結論を言わずに人に議論をさせ、それで有名になるのは結構ですが、今は、「こうすべきだ」という結論を言っている人のほうが大事な時代です。そのことを知らなくてはいけません。「いろいろな意見がありますね。はい、終わり」ということでは済まないのです。
 「こうすべきだ」と言う人には勇気が必要ですが、「これが正しい」と言い切れる人のほうが大事なのです。
 いろいろな少数意見も大事にしなくてはなりませんし、恵まれない人に炊き出しをすることも大事でしょうが、そうは言っても、「国益のレベルから見れば、『最大多数の最大幸福』を目指すのは当然のことだ」と私は思っています。
(81~83ページ)

正しさの基準を再検討するときが来ている。

今は、結論を言わずに人に議論をさせて有名になる人よりも、こうすべきだとの結論を言っている人のほうが大事な時代である。

国益のレベルから見れば、『最大多数の最大幸福』を目指すのは当然のことである──。

99匹の羊を置いて、はぐれた1匹の羊を探しに行かないのか、という聖書のたとえ話がよく語られますが、ここでは、「国益のレベルから見れば」という視点のもと、大川隆法先生のお考えはとても明確です。

たとえば、原発を止めたままで、炎暑の中、多数の国民に節電を強いた上に、数多い熱中症の死者をで出してしまうことが、ほんとうに「最大多数の最大幸福」になるのか考えてみたら、どうでしょうか。

政局ばかりに振り回されている政治家が目につきますが、国政に携わる政治家のみなさんには、この「最大多数の最大幸福」という言葉を忘れず、いったい誰のための政治なのかを常に見据えて政(まつりごと)に邁進してほしいものだと、改めて私は思っているのです。

震災復興への道 日本復活の未来ビジョン

『震災復興への道』

 大川隆法著


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エクソシストって実際にいて、魔との戦いをやってるんでしょ。そのとき大事な心構えみたいなのがあるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不滅の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 このエクソシズムにおいて大切なことは何でしょうか。
 常時、悪霊や悪魔が憑依している人から、それを追い出すには、憑依されている本人とエクソシストの両者に信仰心が必要です。
 本人が信仰心を強く持っていれば、その人の内側で信仰のパワーが働きます。それと、もう一つ、外側にいるエクソシストの信仰のパワーとが呼応し合ったとき、悪魔を追い出せるようになります。しかし、片方しかないと、追い出すのは難しいのです。したがって、両者に強い信仰心が必要です。
 私は、悪魔に入られている人が信仰を持っているかぎり、どのような悪魔であっても、その人から追い出すことができます。
 ところが、悪魔に入られている人が、「悪魔のほうを信じ、悪魔のほうに帰依している。エル・カンターレを信じていない」という場合には、よほどの理由がないかぎり、追い出すことはできません。本人の心が悪魔のほうに近く、いわば悪魔の仲間だからです。
 このように、本人が悪魔の味方をしている場合には、残念ながら、その人は悪魔に居座られてしまいます。そうなると、本人が、不幸なことをいろいろと体験し、「自分の考え方や生き方には間違いがある」という気付きを得るまで、待たなくてはいけないこともあるのです。
 信仰心が強い人であれば、そもそも、悪魔に憑かれることはありません。
 ただ、そういう人であっても、「試し」「試み」として、悪魔クラスに憑かれる場合もあります。しかし、信仰心が堅固であれば、要するに、この世的な勝ち負けや成功・失敗等に負けない強い心さえ持っていれば、「悪魔に長く取り憑かれる」ということはありません。
 例えば、当会の信者が国政選挙などに立候補するとしましょう。
 ところが、不信の輩が多くて仮に当選しなかったとしても、「奇跡が起きなかったから、信仰を疑う」という気持ちになるようであってはいけないのです。そうであっては、その人が悪魔に憑かれて病気になっても、そう簡単には救えません。
 たとえ選挙で落選したとしても、次のように考えるべきです。
 「これは魂にとっての試練である。主の道を整えるために、今、私たちは、捨て石になって頑張っているのだ。今、茨の道を切り拓いているところなのだ。だから、このようなことでは、私の心は全然揺るがない。
 とにかく一歩でも二歩でも前進し、当会を信じる人や応援してくれる人を増やすことが私の仕事なのだ。私は、自分自身の利害にかかわりなく、仕事を進めていく」
 このような気持ちを持っていれば、悪魔に支配されるようなことはありません。
 この世は躓(つまず)きに満ちているので、何かで躓いたからといって、それですぐに信仰を捨てるようなことであってはいけないのです。
(116~119ページ)

常時、憑依されている人から悪霊や悪魔を追い出すには、憑依されている本人とエクソシストの両者に信仰心が必要である。

信仰心が強い人であっても、試しとして悪魔に憑かれる場合もあるが、信仰心が堅固であれば、長く取り憑かれることはない。

この世は躓(つまず)きに満ちているので、何かで躓いたからといって、それですぐに信仰を捨てるようなことであってはいけない──。

悪魔の憑依、魔との戦い、エクソシスト、等々、今日は、ちょっと怖い言葉が並んでいます。

でも要するに、信仰心さえあれば大丈夫ってことなんだと思います。

そして、今日のお教えは、選挙の結果が出たまさに今、とっても必要なお教えだと思えます。

エル・カンターレ(仏)を固く信じて、しかも明るく朗らかに愛の心で、仏国土ユートピア建設のために積極的に生きていれば、なにも怖れることはない。

ほんとうに、ありがたいことであると、改めて私は思っているのです。

不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)

『不滅の法』

  大川隆法著


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心機一転、この夏から本気で勉強しようと思うんだよね。そういうときに最初に知っておくべき心構えって、あるんじゃないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真のエリートを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 勉強らしい勉強が始まるにあたり、最初に、心構えとして言っておきたいのは、「知的正直さ」です。これが大事であることを、まず言っておきたいのです。
 勉強する者の態度として、正直であることが大切です。この「正直である」とは、単に、世間で言う、「嘘を言わない」などという意味ではなく、「勉強において自分の理解をごまかさない」という態度のことです。
 ともすれば、いい加減な理解や生半可な理解で、分かったような気持ちになり、その部分を通過してしまうことがあります。あるいは、よく分からないままで放置してしまうこともあります。(中略)
 そういうやり方をし、自分自身で自分の勉強をごまかす気持ちを持っている人は、残念ながら、その後、学力が伸びることがないのです。(中略)
 例えば、日本人として生まれ、他国の言語である英語を初めて勉強するのであれば、最初は、できなくて当然なのです。また、数学にも、初めて習うことは数多くあり、よく分からなくて当然です。理科や社会もそうです。国語であっても、なかには、よく分からない、難しい文章があります。当然です。(中略)
 しかし、分からないことに耐え、「今、自分は、ここまでは理解できているけれども、ここから先は分かっていない」ということを正直に見極める努力が必要です。
 この「知的正直さ」をきちんと持っている人の学力は伸びていきます。しかし、よく理解していないにもかかわらず、いい加減にごまかして勉強していくと、だんだん、あとになるほど分からなくなってくるのです。(中略)
 ほかの人をごまかすことはできます。先生に対しても、ごまかせる可能性はあります。テストの問題を解くとき、当てずっぽうで答えが合うこともあります。しかし、当てずっぽうで正解した場合と、本当に分かっていて正解した場合との違いを、自分だけは知っているはずです。
 そのように、「理解しているか、していないか」ということを、きっちりと分けて考える癖をつけてください。そういう人は、あとになってから成績が伸びてくるのです。
(18~23ページ)

勉強を始めるに際して、最初の心構えとして大事なのは、「知的正直さ」である。

新しく学ぶ学問が分からないことだらけなのは当然であるが、その分からないことに耐え、自分がどこまで本当に理解できているかを正直に見極める努力が必要である。

この「知的正直さ」をきちんと持っている人の学力は伸びていく──。

幸福の科学学園中学校・高等学校幸福の科学学園関西中学校・高等学校と2つの学校の創立者でもある大川隆法先生が、その第1期生の入学式で新入生に説かれた御法話の一節を、今日はご紹介してみました。

学生・生徒ではない方々にとっても、今日のお教えは、学び続ける気概をもっている限り、魂の糧になる本当に大事な教えではないかと、改めて私は思っているのです。

真のエリートを目指して―努力に勝る天才なし (OR books) 『真のエリートを目指して』

 大川隆法著


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幸福実現党ってさ、言ってることは正論だと思うけど、でもちょっと、ハッキリ言い過ぎじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、「イノシシのように単純に突進せよ」と言っているわけではありません。世の中の事象や、他人の言葉や考えを、鏡に映すがごとく、ありのままに自分の心に映してみて、その上で、仏法真理に照らし、善悪というものを判断する努力をすべきであると思うのです。
 そして、「自分自身の良心に誓って、これが正しいことであり、これが間違っていることだ」と、はっきりと内から感じるものがあったならば、正々堂々と自分の意見を述べることが大事です。
 その結果が、「自分にとって一時的に有利になるか、不利になるか」といった計算を度外視し、人間として正直で誠実に生きること、自分の思想に忠実に生きることは、非常に大事なことだと思います。
 自分の信念を曲げてまで、世間に迎合したり、この世的に偉いと言われる人に迎合したり、政治家やマスコミ、経済人、教育者など、今の時代において権力を持っている人々に迎合したりしてはならないのです。
 もちろん、世の中には、まだ流動的で善悪を決めかねるものもあるでしょう。しかし、はっきりと分かるものに関しては、善悪を峻別し、自分の意見をきちんと述べて、後ろめたさを残さないことが大切です。
 少なくとも、「白黒を付けない灰色の人生を生きてはいけない。この世において生きやすく生きようとしてはいけない。後悔することなかれ」と言いたいのです。「卑怯な人生は生きるな」「保身を図って生き延びようとするな」ということです。その意味での潔さは必要だと思います。
 たとえ、正論を言ったために降格や左遷をされようとも、あるいは、職を失って別の職に就かなければならないことがあったとしても、自分の良心に照らし、真理に照らして、「これは言わなければならない」と思ったときには、信念を貫くこと、人間としての誇りを貫くことが大事です。
 それを失い、この世において、「そこそこ出世した」「そこそこお金がたまった」「周りからほめられた」「名誉を得られた」などということがあったとしても、そのようなものは偽物です。やはり、自分の良心に照らして正直に生きることが大切だと思うのです。
 今、必要なことは、本音できちんと正論を言える人が出てくることです。
 私自身について言えば、もちろん、幸福の科学という組織はありますが、たとえ私一人であっても、「正しい」と思うことを語り、主張するつもりで、今までずっとやってきました。(中略)
 世間は、長期的には、正しい判断をするものですが、短期的には、間違った判断をすることが往々にしてあります。したがって、安易に迎合しないことが大事なのです。
(142~145ページ)

仏法真理に照らし、善悪を判断する努力をすべきである。

良心に誓って、正しいこと間違っていることが、はっきり内から感じるならば、正々堂々と自分の意見を述べるべきであり、正直で誠実に生きること、自分の思想に忠実に生きること、後ろめたさを残さないことは、非常に大事なことである。

たとえ正論を言ったために降格や左遷をされようとも、あるいは別の職に就かなければならないことがあったとしても、信念を貫くこと、人間としての誇りを貫くことが大事である──。

このお教えは、2009年に刊行されたものでした。

この大川隆法先生のお教えにしたがって、幸福実現党は、13年間、一貫してぶれることなく政治活動をしてきたのだと思います。

つまりは、今の日本に必要とされる、自分の利害を超越して、本音で正論を言える人たちの群れこそが、幸福実現党であるのだと、改めて強く私は確信しているのです。

国家の気概 -日本の繁栄を守るために (OR books) 『国家の気概』

 大川隆法著


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愛国主義って、言葉があるでしょ。危ない考え方なんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『秋山真之の日本防衛論 同時収録 乃木希典・北一輝の霊言』(幸福の科学出版)で、日露戦争で有名な、乃木希典の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 アメリカなら、愛国主義というのは、確実に票になるんですよ。ところが、日本では、一般に票にはならない。票にならない理由は、日教組の教育方針等によって洗脳されているからですね。
 だから、「愛国、日の丸、君が代、皇室、こうしたものは、みな、青年たち、若者たちを、学徒動員して死に追いやるものだ」と、まあ、こういうふうな短絡的な洗脳がなされているのだと思われますね。
 これは、やはり、言論戦ですので、根っこの教育論のほうから攻めていかなければ駄目だと思いますね。教育論のほうから攻めていって、外交のほうまで崩さなければいけない。教育論のほうから善悪を規定されているので、外交のほうだけを攻めても、それは、悪の論理のように見えているんですよ。
 つまり、愛国や護国ということが、悪いことのように思われているので、票になっていないんですよ。しかし、「実際に、他国の軍隊が、自分たちの県を占領したり、首都に攻撃をかけたりすることがあるとしたら、どうですか」と問いかけたならば、当然ながら、九十パーセント以上の人は、「防衛してください」と言うはずですね。
 要するに、「日教組教育からマスコミ世論へ」という、このメインストリームを、あなたがたは断ち切らなければいけない。その源流の部分を叩かなければいけないと思うので、やはり、教育のところから行かなければいけないですね。(中略)
 今の日本では、そういう軍事において勝った人を、神様扱いや英雄扱いすることを、教育が基本的に否定している。これは日教組的な左翼教育ですね。こういう教育が戦後に始まっているのでしょう?
 だから、戦い方は二つです。
 一つは、今、少しやっていると思いますが、二宮尊徳像の復権が始まっているようでございますけれども、まあ、二宮尊徳さんのような「資本主義の精神」を子供たちに教えるというのは、非常に大事なことですよね。
 財政赤字の拡大と、バラマキ型で票を買収するスタイルの民主主義政治を終わらせるには、二宮尊徳型の教育を行う必要が、一つにはありますね。
 もう一つは、軍事的な英雄を称える精神です。今は、軍神という言葉が、死語になっているわけですよ。秋山だろうが、乃木だろうが、東郷平八郎だろうが、こういう名前を聞いても、もう感動しないわけなんです。(中略)
 現代であっても、国を護り、国民を護るために戦っている人には、やはり、英雄の魂が宿っているのだということは、教えなければいけない。
 ある意味で、これらはすべて、宗教の守備範囲です。そのためには、「宗教の復権」が必要だと私は思いますよ。だから、アメリカ的には、「ベンジャミン・フランクリン精神」だろうし、日本的には、「二宮尊徳精神」だろうし、同時に、また、非常に口幅ったい言い方ではあるけれども、「乃木精神」なのかもしれない。
 やはり、「お国のために命を捧げることの尊さ」を説かない国の教育というのは、間違っていると言わざるをえないと思いますね。
(96~102ページ)

愛国や護国が悪いことのように思われているのは、日教組的な左翼教育による洗脳である。

だから、一つには、二宮尊徳のような「資本主義の精神」を教え、もう一つは、軍事的な英雄を称える精神を教えること。現代であっても、国を護り、国民を護るために戦っている人には、英雄の魂が宿っていることを教えなければいけない。

これらは宗教の守備範囲であるから、そのためには「宗教の復権」が必要である──。

この乃木将軍の霊言は、白紙の眼でみたとき、人間として、とてもまっとうな考え方であるように思えます。

もちろん、ここですぐに結論を出す必要はありません。

けれども、こういった霊人の意見もしっかり参考にして、自分のものの見方がいつの間にか偏っていないかを検証していきたいものです。

そして、いま参院選で、「宗教政党」であることを前面に打ち出し、「武士道」精神を掲げて戦っている幸福実現党理念や政策というのは、まさにこの乃木将軍の考え方が根底にあるのだと私は思っているのです。
 

秋山真之の日本防衛論 『秋山真之の日本防衛論』

 大川隆法著


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今日7月7日は、大川隆法先生のお誕生日で、ご生誕祭だよね。大講演会もあったんでしょ? どんなことを語られたんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の御生誕祭(大川隆法先生の御生誕をお祝いする行事)のメイン行事である大講演会「甘い人生観の打破」が、今年は、本日7月7日、さいたまスーパーアリーナで、1万数千人の聴衆を集めて行なわれました。7年前(2015年)のご生誕祭で、大川隆法先生は同じ会場で、「人類史の大転換」と題したご法話を、次のように説かれたことが思い出されます。

 幸福の科学が数多くの霊言集を出しているということは、「霊性の時代が来た」ということを告げるとともに、「民主主義にも『神なき民主主義』と『神のいる民主主義』とがある」と教えていることを意味します。
 そして、この「神のいる民主主義」は、「基本的人権をもっともっと高め、人々が神様に近づいていくためには、どのような人権保障をしなければならないのかを教えている」ということを言っているのです。(中略)
 みなさんがたが、この地上において最大の人生修行をなし、見事に魂修行を終えて本来の世界に還り、あの世において、神近き存在として、地上にいる世界各地の人々を導いていけるような偉大な存在になることを、心の底よりお祈りしています。(『正義の法』251~255ページ)

この「人類史の大転換」の一部は、インターネットで公開されていますので、誰もが拝聴できます。

本日のさいたまスーパーアリーナも、2015年と同様に、熱心な聴衆で圧倒的に埋めつくされていました。

さて、今日は、どんな御法話だったんでしょうか?

今、幸福の科学の全国の支部などに行けば、この御法話全編の映像が拝聴できます。

興味をもった方は、ぜひ足を運んでみてくださいね!

正義の法 (法シリーズ) 『正義の法』

  大川隆法著


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「幸福維新」って言葉を聞いたよ。なんなのかな。どういう意味なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『政治に勇気を──幸福実現党宣言③』(幸福の科学出版)のまえがきで、こう説いておられます。

 国難来たれり。日増しにその感覚が強くなってくる。不況対策に泣き事を言い、北朝鮮の核ミサイルの恐怖にお手上げ状態の政府。日本の最後の命綱である日米安保条約をすぐにでも投げ捨て、北朝鮮に白旗を揚げそうな民主党に政権をとらせたがるマスコミ。
 マスコミが実は談合状態で、もう一つの「現代の官僚制」と化していることを知らされていない国民。
 「信教の自由」とは名ばかりで、宗教は本質的に悪であると考えている、隠れマルキスト支配層。まことに、まことに、情けない限りである。
 今こそ、政治に勇気を。そして政治家に気概を。
 幸福維新が既に始まっているのだ。
(1~2ページ)

この書籍は、三国志の時代の高名な英雄、「諸葛亮孔明」が天上界から送った「霊示」が第2章にまるごと収められた、恐るべき書籍です。

諸葛孔明は、今の時代が、黒船がやってきて開国が迫られた幕末、「明治維新」前夜と、とても似ていると語っています。

幕末、脱藩という国禁を犯して祖国日本を守るために命を投げ出した志士たちによって新時代が開かれ、そのプロセスが「明治維新」と呼ばれたわけです。

そして、今の自民党“幕府”の体制が崩れ、新たな時代がやってきた暁には、そのプロセスが後世、「幸福維新」と呼ばれることとなる。

そう、その「幸福維新」は、幸福実現党の活動が開始されたことによって、もう13年も前に、すでに始まっていたのだと、改めて私は思っているのです。

政治に勇気を―幸福実現党宣言3 (OR books) 『政治に勇気を──幸福実現党宣言③』

 大川隆法著


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ね、「勤勉革命」なんて政策みたらさ、幸福実現党って、弱者に優しくないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 以上、日本国憲法について述べてきました。
 これを「弱者に優しくない考え方」と言われると、私は非常に不本意です。宗教には、弱者にとても優しいところがあるからです。
 ただ、長い目で見て、「努力する者が報われる社会」をつくった国が繁栄することは間違いありません。「最大多数の最大幸福」ということを考えると、基本的には、努力する者が報われる社会をつくるべきだと思います。
 例外的な救済措置は、いつの時代にも必要なので、それはそれで対応すべきだとは思いますが、怠け者や、ずるいことをした者が得をするような社会は、つくってはならないと考えます。
 「縁起の理法」によって、努力した者に道は開かれる。汗を流し、智慧を絞って、頑張った者には、豊かになる権利がある。基本的に、そういう社会をつくらなければ、未来は明るくなりません。
 汗を流し、智慧を絞って、一生懸命にやった人が、九十九パーセントを税金に取られるような社会をつくったならば、やはり、世の中は誰も働かなくなるのです。
 生活保護を受ける人のお金は、いったい、どこから出ているのでしょうか。それは税金から出ているのですから、税金を納めてくれる人が必要なのです。
 したがって、税金を納めることに対して、名誉ある気持ちを抱き、高貴なる義務感を感じるような人を育てなくてはいけません。そういう意味でのジェントルマンを数多く育てる必要があると考えます。
(154~156ページ)

例外的な救済措置は必要ではあるが、基本的には、「縁起の理法」によって、努力する者が報われる社会をつくるべきである。

そして、生活保護を受ける人のお金を生み出すために、税金を納めることに対して名誉ある気持ちを抱き、高貴なる義務感を感じるような人(ジェントルマン)を育てなくてはならない。

「最大多数の最大幸福」を考えるべきである──。

弱者の救済も必要ではあるが、でも、そのことだけを考える社会になってしまうと、どうなるか。

誰も働かなくなってしまって、社会全体が立ち行かなくなってしまい、結局はみんなが不幸になってしまうってあたりが、ポイントなんだろうと思います。

何がほんとうの優しさなのかを、私たち国民は、イメージとか情緒とかではなく、しっかりと智慧をもって判断しなければならないのではないでしょうか。

今回の参院選で、幸福実現党が訴え続けている政策は、そういった思想がしっかりと背景にあるのだと、私は思っているのです。

幸福実現党宣言 -この国の未来をデザインする (OR books)

『幸福実現党宣言』

 大川隆法著


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日本って、憲法9条で、「戦争の放棄」とか「戦力の不保持」が定められてるんでしょ。だから、日本を攻めてくるような国があっても、日本を武力で防衛しようとしたらいけないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『この国を守り抜け』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 かなり強い財政危機のなかで、アメリカの現在の実質的な国防費は、国家予算の四十パーセントを超えており、ここを削るのが最も楽であるため、どうしても削っていくと思われます。
 そのため、「アメリカが日本防衛から退いていく流れ自体は止まらないのではないか」と考えています。(中略)したがって、やはり、「日本独自で、ある程度、防衛する」という考え方を持たなくてはいけないでしょう。これは決して、他人事ではありません。「自分の国の国民の命や財産、文化を守る」というのは大事なことなのです。
 そして、どの国にも、他国を侵略する権利はありません。(中略)
 憲法九条では、確かに、「国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄」や「戦力の不保持」が定められています。
 ただ、日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書いてあります。その前提の下に、憲法九条では、「戦争を放棄し、一切の戦力を持たない」と定めているのです。
 ところが、北朝鮮や中国が「平和を愛する諸国民」でなかった場合には、憲法前文の前提条件が崩れます。“平和を愛さない国民”に取り囲まれていて、攻められるおそれがあるなら、そのあとの九条については条文の解釈だけでも変えるべきです。少なくとも、「集団的自衛権を行使できる」というぐらいの解釈には踏み込むべきでしょう。
 「国連軍に動いてもらう」と考える人がいるかもしれません。しかし、国連の安全保障理事会の常任理事国には中国やロシアが入っており、安保理の決議に対する拒否権を持っているので、中国やロシアが反対に回る場合には、国連軍は動けません。そのため、「北朝鮮や中国から日本を守るために、国連軍が動いてくれることは、ありえない」と思わなくてはいけないのです。
 したがって、少なくともアメリカがまだ日本の友人である間は、日米が一緒に活動できるようにしておく必要はあると思います。
 ただ、アメリカも、自分で自分の国を守る気がないような国を、それほど支援してくれるとは思えないので、退くときには、本当に、あっさりと退いていくでしょう。そのときは危険なことになるだろうと思います。
(176~179ページ)

アメリカは、財政危機のなか国防費を削減せず、日本の防衛から退いていく流れは止まらないと予想されるから、日本独自で、ある程度、自国を防衛するという考え方を持たなくてはいけない。

日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書いてあり、その前提の下に、憲法9条で、戦争を放棄し、一切の戦力を持たないと定めている。

したがって、たとえば、北朝鮮や中国が「平和を愛する諸国民」でなかった場合には、憲法前文の前提条件が崩れるので、9条については条文の解釈を変えて、少なくとも「集団的自衛権を行使できる」と解釈してよい──。

法律に詳しい方が教えてくれたんですけど、これって、今まで法律学者が誰も考えつかなった、かなりすごい法律論なんだそうです。

幸福実現党は、この大川隆法先生のお教えを根底においた上で、今回の参院選の政策を練り上げ戦っているのだと、私は思っているのです。

この国を守り抜け 中国の民主化と日本の使命 『この国を守り抜け』

 大川隆法著


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マスコミって、幸福実現党が勝利する可能性なんて、どこもまったく報じないじゃない。なのにどうして、何度負けても選挙に出るのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、幸福実現党の党首(当時)との対談書籍『日本の未来はここにあり―正論を貫く幸福実現党 』(幸福実現党)で、こう語っておられます。

 マスコミは、基本的に「数字」しか信じていないんですよ。(中略)「思想」を信じていないんですよ。数字だけ見ているのです。「数字即信仰」なんですよ。
 全部、数字で見ているし、基本的には「統計学的なもの」を信仰しているのです。マスコミは、経営的な判断ができないために、「世の中の流れが変われば、数字はどんどん変わっていく」ということが、分からないのです。
 人が強い願望を持って、「このようにしたい」と思っていると、流れが変わってきて、数値的な予測というのは、当たらなくなるわけです。しかも、統計学が扱うのは、すでに終わったことばかりなので、それを使っても駄目だということがまだ分からずに、統計学に頼り、数字信仰になっているんですね。(中略)
 ただ、その数字は、過去の数字だということも、間違いないのです。「過去の数字」であって、「未来の数字」ではないのです。未来の数字は、読めない。過去の数字を見て判断しているために、いつも一歩遅れているんです。(中略)
 幸福の科学としては、「大敗」は、まことに珍しいことです。(中略)にもかかわらず、「あえて政治をやっている」ということの意味を、やはり知らなければいけないと思いますね。
 先を予想できる人が、そういうことを分からないはずがないので、それでもやっていることの意味は大きいのです。国民全体にコンバージョンというか、改心をさせる、徹底的に考え方の方向を変えさせようとしているわけです。実は、「キリストの十字架」と同じことを、やらせようとしているのです。(中略)
 日本では、マスコミが「数字信仰」に走っているのは分かっていながら、基本的には、「思想戦」として推し進めていかなければいけません。
(130~139ページ)

マスコミは、「思想」を信じておらず、基本的に「数字」しか信じていない。

人が強い願望を持って思っていると、流れが変わってきて、数値的な予測は当たらなくなるし、統計学が扱うのは過去の数字なので、マスコミはいつも一歩遅れている。

幸福実現党は、数字を出さないかぎりマスコミが信用しないのは分かっていながらも、国民全体に徹底的に考え方の方向を変えさせようとして、あえて「思想戦」として、政治をやっている──。

本書は、2011年に出された書籍です。

今日は、その中から、幸福実現党がオピニオン政党として果たそうとしている使命について説かれたお教えを、私なりに要約してみました。

なぜに幸福実現党は、2009年の立党から13年間も、まったく一貫してブレない姿勢で政治活動を続けているのか。

なぜに今回の参院選も、簡単な戦いではないことを重々知りつつ戦っているのか。

その秘密は、釈党首の政見放送で真正面から説かれていたと思いますが、さかのぼって大川隆法先生のこのお教えを学ぶことで、よりその意味が分かってくるのではないかと私は思っているのです。

 

公開対談 日本の未来はここにあり―正論を貫く幸福実現党

『日本の未来はここにあり』

 大川隆法著


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日本の政治って、いま、方向を見失って、ぐちゃぐちゃなんじゃないの。政治が向かうべき方向を、誰か教えてくれないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 前述したように、世界を一つにする新しい思想、新しい宗教が必要です。それが急速に広がって、科学技術の発展とバランスを取らなくてはならないのです。同時に、各個人の幸福も確立されなければなりません。
 その意味で、捨てるわけにはいかないのは、自由主義的で民主主義的な価値観です。
 民主主義には善も悪もたくさんありますが、民主主義の最もよいところは、個人の幸福が目的になっている点です。
 これだけ人口が増えてくると、多くの人が幸福になるためには、やはり、一人ひとりが仏神に近づいていく道をとらなければいけません。民主主義は、一人ひとりの幸福が目的であり、一人ひとりが仏や神に近づいていくためのものなので、そういうかたちで発揮される面においては、政治システムとして支持されうるものだと思います。
 ところで、幸福の科学を政治思想的にとらえたならば、どのようになるでしょうか。
 当会はいろいろな要素を持っているので明言しにくいのですが、アメリカでいうと、おそらくデモクラティックなほうに分類されるでしょう。アメリカにはリベラルとデモクラティックとがありますが、リベラルはアメリカではやや左翼的な考えなので、当会はデモクラティックな考えだと思います。
 そして、イギリスでは、どちらかというと、コンサーバティブ、保守系だと思います。労働党のほうではありません。
 当会は、政治的には、アメリカだとデモクラティック、イギリスだとコンサーバティブに近い思想を持っていると思います。
 したがって、当会は政治的には、「各人が個々の幸福を求めつつ、全体の繁栄を求める」という意味において、民主主義的な最高の理想を求めています。また、「その過程において、各人が不当な圧迫等を受けることなく、貴重な人生を生かしきることができる」という意味において、自由主義的な面を肯定しています。
 ところが、民主主義はいま、マスコミが努力不足、勉強不足であるために、衆愚政に転落しかかっています。マスコミがおかしくなると、マスデモクラシー(大衆民主主義)は簡単に衆愚政になってしまうのです。
 そこで、マスコミを啓蒙するために、新しい倫理観を教える必要があります。また、マスコミには枝葉末節のほうへ行く傾向があるので、マクロ的な視点、マクロ的な価値観も教えなければなりません。さらに、未来への予測を教えることも必要です。
 倫理観、マクロ的な見方、未来への予測――この三つを教えることによって、宗教として、マスコミを啓蒙することができるでしょう。それによって民主主義を担保することができ、二十一世紀以降の発展への道が開けるのではないかと思います。
(118~121ページ)

幸福の科学は、政治的には、「各人が個々の幸福を求めつつ、全体の繁栄を求める」という意味において、民主主義的な最高の理想を求めているし、「その過程において、各人が不当な圧迫等を受けることなく、貴重な人生を生かしきることができる」という意味において、自由主義的な面を肯定している。

ところが、日本の民主主義は、マスコミの勉強不足で「衆愚政」に転落しかかっているので、マスコミに、倫理観、マクロ的な見方、未来への予測を教える必要がある。

幸福の科学が宗教として、この3つについてマスコミを啓蒙することによって、民主主義を担保することができ、21世紀以降の日本の発展の道が開けていく──。

この論考は、大川隆法先生が1997年にされた講演の活字起こしです。

そして、2009年には幸福実現党が旗あげされ、活動を開始しています。

それから13年がたち、いま各党が政策を掲げて、参院選が戦われています。

そこで改めて、幸福実現党の政策をじっくりと見直してみたとき、つまりは、このとき説かれていた理念が、実際に具体化されているのではないかと私は思っているのです。

奇跡の法―人類再生の原理 (OR books) 『奇跡の法』

  大川隆法著


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