幸福実現党ってさ、言ってることは正論だと思うけど、でもちょっと、ハッキリ言い過ぎじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
私は、「イノシシのように単純に突進せよ」と言っているわけではありません。世の中の事象や、他人の言葉や考えを、鏡に映すがごとく、ありのままに自分の心に映してみて、その上で、仏法真理に照らし、善悪というものを判断する努力をすべきであると思うのです。
そして、「自分自身の良心に誓って、これが正しいことであり、これが間違っていることだ」と、はっきりと内から感じるものがあったならば、正々堂々と自分の意見を述べることが大事です。
その結果が、「自分にとって一時的に有利になるか、不利になるか」といった計算を度外視し、人間として正直で誠実に生きること、自分の思想に忠実に生きることは、非常に大事なことだと思います。
自分の信念を曲げてまで、世間に迎合したり、この世的に偉いと言われる人に迎合したり、政治家やマスコミ、経済人、教育者など、今の時代において権力を持っている人々に迎合したりしてはならないのです。
もちろん、世の中には、まだ流動的で善悪を決めかねるものもあるでしょう。しかし、はっきりと分かるものに関しては、善悪を峻別し、自分の意見をきちんと述べて、後ろめたさを残さないことが大切です。
少なくとも、「白黒を付けない灰色の人生を生きてはいけない。この世において生きやすく生きようとしてはいけない。後悔することなかれ」と言いたいのです。「卑怯な人生は生きるな」「保身を図って生き延びようとするな」ということです。その意味での潔さは必要だと思います。
たとえ、正論を言ったために降格や左遷をされようとも、あるいは、職を失って別の職に就かなければならないことがあったとしても、自分の良心に照らし、真理に照らして、「これは言わなければならない」と思ったときには、信念を貫くこと、人間としての誇りを貫くことが大事です。
それを失い、この世において、「そこそこ出世した」「そこそこお金がたまった」「周りからほめられた」「名誉を得られた」などということがあったとしても、そのようなものは偽物です。やはり、自分の良心に照らして正直に生きることが大切だと思うのです。
今、必要なことは、本音できちんと正論を言える人が出てくることです。
私自身について言えば、もちろん、幸福の科学という組織はありますが、たとえ私一人であっても、「正しい」と思うことを語り、主張するつもりで、今までずっとやってきました。(中略)
世間は、長期的には、正しい判断をするものですが、短期的には、間違った判断をすることが往々にしてあります。したがって、安易に迎合しないことが大事なのです。
(142~145ページ)
仏法真理に照らし、善悪を判断する努力をすべきである。
良心に誓って、正しいこと間違っていることが、はっきり内から感じるならば、正々堂々と自分の意見を述べるべきであり、正直で誠実に生きること、自分の思想に忠実に生きること、後ろめたさを残さないことは、非常に大事なことである。
たとえ正論を言ったために降格や左遷をされようとも、あるいは別の職に就かなければならないことがあったとしても、信念を貫くこと、人間としての誇りを貫くことが大事である──。
このお教えは、2009年に刊行されたものでした。
この大川隆法先生のお教えにしたがって、幸福実現党は、13年間、一貫してぶれることなく政治活動をしてきたのだと思います。
つまりは、今の日本に必要とされる、自分の利害を超越して、本音で正論を言える人たちの群れこそが、幸福実現党であるのだと、改めて強く私は確信しているのです。
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『国家の気概』
大川隆法著 |
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こんばんは。
正々堂々と言えば、正論の意味を同じでしょう。
正論と言えば、正しいを意見の意味です。
理解をしてほしいをください。
例えば)
反対の言葉では、(曲論)と言えば、正しくないを意見の意味ですよ。
それでは、失礼します。m(_ _)m