「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

メビウスの帯をころがる春の雷 菅原鬨也 「滝」5月号<飛沫抄>

2015-05-26 04:47:17 | 日記
 細長い帯を一度ねじって両端を貼り合わせたときに、表裏
の区別ができない連続面となる輪の形状。これがメビウスの
帯。この句のメビウスの帯を、無限の繰り返しの喩と捉えれ
ば、中七の「ころがる」ものは、季節の巡りや地球そのもの
となるだろう。言葉は根源的に既に比喩であることを避けら
れないものだが、もっとも比喩性の薄い言葉は自然科学の言
語である。データの数字や固有名詞、メビウスの帯も然り。
メビウスの帯の幾何学的性質を喩として用いることには相当
無理がある。ではこの句の帯をころがってゆくものは一体何
だろう。春の遠雷の音だろうか、それとも自分だろうか。何
であろうとそれはきっと、これから次元を飛び越えるはずだ。
地球空間は三次元、それに時間軸を加えたものが四次元。地
球レベルでは三次元座標で十分理解できる。だが宇宙レベル
では四次元の座標が必要になる。地上の三次元世界にいて、
四次元という多次元座標をどう表現すべきか。その手がかり
を与えてくれるのがメビウスの帯。二次元の世界に住んでい
ても、メビウスの帯に乗ってころがればその平面の裏側に行
ける。表裏の関係は、平面を超えた概念であるとするならば、
メビウスの帯は二次元から三次元への橋となる。メビウスの
帯は、宇宙の構造を解明するひとつの手段として提案された
多次元への移動装置なのだ。主体的に帯に乗ってころがるも
のは、次元を超えようとするもの、つまり「光」以外にはあ
り得ない。(石母田星人)