「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

桜餅ふと長生きの怖ろしき 佐々木博子 「滝」5月号<瀑声集>

2015-05-11 03:48:57 | 日記
 大好きな桜餅を前にして幸せにひたっている。その最高の
安らぎ、至福のひとときに、長生きが怖ろしいと感じた。中
七下五の「ふと長生きの怖ろしき」から、作者が常に考えて
いる長生きの概念が、「怖ろしい」の二項対立の概念である
「安心」とか「安らぎ」であることがうかがえる。桜餅の存
在に安らぎを思い、それをきっかけに、いつもの考えとは違
う予期しない裏側の感情がわき出た格好だ。唐木順三は「秩
序はそこに無いものがそこに在るというはたらきを要請する
…すなわち架空な造作物の力によって秩序は維持され、すべ
ては心象と言葉の力によってはじめて存続する。秩序は無い
ものを在るとする魔術によって保たれる」と語る。心の秩序
も、必ず表側と裏側の甘苦セットで物事を感受する。桜餅の
存在感が、長生きによる甘苦の双方を味わわせてくれたのだ。
中七「ふと」のはたらきが深い。一般的に用いられるような
意味の不意に、思いがけず、はっきりした理由や意識もない
ままになどを超越している。例えば、風車が回り始めるとき、
少し逆に回りかけてから本来の方向に回り出すものだ。この
「ふと」は句の中で、風車の回り出しと同じように一瞬逆回
転して、力を溜めるはたらきをしている。(石母田星人)