「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

名刹の読経の波や落椿 鎌形清司 「滝」5月号<瀑声集>

2015-05-12 04:43:13 | 日記
 背景の描写である「名刹の読経」から、声の主が数人ある
いは数十人のものであることが読める。この句で引かれたの
はその大きな声のかたまりを「波」としたところ。声は空気
を伝わる波。そう分かってはいるのだが、こうして落椿の前
に置かれると魅力的な語に変わる。椿は独特の存在感をもつ。
例えば、宇宙空間では決して伝わらない音も、椿だけは感受
しそうな雰囲気がある。椿の花は時期が来るとぼとっと自然
に落ちるのだが、この句では、声のかたまりの波が落とした
ようにも受け取れる。何を馬鹿な、と叱られそうだが、むし
ろそう読むのが自然。そう読める理由は、波と落椿がお互い
に象徴効果を発揮したからだ。この句を読んで、芭蕉の<閑
さや岩にしみ入る蝉の声>と蕪村の<すゞしさや鐘を離るゝ
鐘の声>を思い浮かべた。二句とも句座の声に濃密な詩性と
質感をのせている。掲句の詩性も両句と同じ方向を見ている。
(石母田星人)