「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

政宗の騎馬像見ゆる苗木市 村上幸次 「滝」5月号<滝集>

2013-05-25 05:26:17 | 日記
 毎年、見事な版画の年賀状を作る一誠さんのお宅へ、版画
の手ほどきを受けるため「道の会」の仲間四・五人で伺った
ことがあった。版画のことは忘れてしまったが、紅茶党の一
誠さんが庭の木苺を摘んで作ったというジャムをいれたロシ
アンティーをご馳走になったが、そのおいしかったこと。何
より自分でアクを取りながらゆっくり煮つめ作り上げたその
木苺のジャムのきれいな色に感心した。まだ木苺が残ってい
るというので、庭に下りると、無花果や柿、葡萄、栗などが
実をつけていた。マンション暮しの私にとって、庭の果実を
つまんで食べられる生活はこの上ない贅沢に思えて羨ましか
った。春にたつ植木市や苗木市をのぞいては、実のなる苗木
が欲しいとは思うが、育てきれないとあきらめている。掲句
は西公園の苗木市で詠まれたのだろう。(遠藤玲子)


政宗の騎馬像見ゆる苗木市 村上幸次
「滝」5月号<滝集>
青葉城跡には行ったことがあり、政宗騎馬像は空を背景に
凛々しかった。像のある本丸跡からは木々の向こうに仙台の
町が見えたが、掲句は反対で、苗木市から像を仰ぎ見ている。
暖かな春の日差しに誘われて賑わう人垣の中から、遠い高見
にある政宗に注がれる視線は「忠誠の民」になった気分でも
あろうか。苗木という幼けないものに、数え年12歳で政宗
に嫁いだ愛姫の事など語らせたのだろうか。小さく見えるは
ずの騎馬像が、何故か大きく存在する句です。(H)