驚きました。トラックで突っ込んで、ナイフで切りつけて…あんな無差別殺人が街中で起こってしまうのですから…
死傷した方々の家族や友人はやり切れません。
無声映画を観ていると、当時の人々は、コミュニケーションや他人を尊重するということが今より当たり前にできていたように思います。
情報とモノが洪水のようにあふれる現代社会では、学歴、収入だけでなく、コミュニケーションの格差が広がっている気がします。
見えない多くの人とインターネットを通じて幾らでも繋がることができる世界ではありますが、本当に大切な生身の人間づきあいができない孤独な人も増えています。誰か一人とでも信頼関係を築けていたら、あるいは自分自身との信頼関係が築けていたら、あんな事件を起こさずにすんだはず。自分のことしか考えられない限り、それは築けはしないのですが。
ご近所の人たちの間にも自然に存在していた信頼感や絆を無声映画作品の中に見出す時、若い世代の人たちにも、思春期の青年たちにも、もっと観てもらわなくてはと思うのです。説教ができるような人間ではありませんが、活弁で笑ってもらいながら、作品に描かれている大事なものを、受け取ってもらえるように届けたいと思います。償い、であり、修行、かもしれません
死傷した方々の家族や友人はやり切れません。
無声映画を観ていると、当時の人々は、コミュニケーションや他人を尊重するということが今より当たり前にできていたように思います。
情報とモノが洪水のようにあふれる現代社会では、学歴、収入だけでなく、コミュニケーションの格差が広がっている気がします。
見えない多くの人とインターネットを通じて幾らでも繋がることができる世界ではありますが、本当に大切な生身の人間づきあいができない孤独な人も増えています。誰か一人とでも信頼関係を築けていたら、あるいは自分自身との信頼関係が築けていたら、あんな事件を起こさずにすんだはず。自分のことしか考えられない限り、それは築けはしないのですが。
ご近所の人たちの間にも自然に存在していた信頼感や絆を無声映画作品の中に見出す時、若い世代の人たちにも、思春期の青年たちにも、もっと観てもらわなくてはと思うのです。説教ができるような人間ではありませんが、活弁で笑ってもらいながら、作品に描かれている大事なものを、受け取ってもらえるように届けたいと思います。償い、であり、修行、かもしれません
アメ横で寄り道していなかったら、巻き込まれていたかもしれませんでした。
それにしても
「みんなに馬鹿にされてるから車でひけばいいのか」
「高校出てから8年、負けっぱなしの人生」
そして
「勝ち組はみんな死ねばいい」
って、
オマエのいう「勝ち組」ってのは、たかだか秋葉原で日曜日に買い物できる連中のことなのか?
そんなんだったら、オマエまだ25歳だろう? 高校出て、たった8年しか経ってないじゃないか、いくらでも再チャレンジできただろうに……。
そんな程度のことを分からせてやれる人間が彼の周りに誰もいなかったのか? 生身の人間じゃなくても代わりになるような作品に出会えなかったのか? って思うと、本当に情けなくなりますねえ。
おっしゃるとおり、携帯のブログ等、報道を見ていると悲しくなります。
自分の人生を客観視できる力をつけてくれるのは、本にしろ映画にしろ他の芸術にしろいい作品たちかもしれません。残念だし、本当に憤りを感じます
見えない多くの人とインターネットを通じて幾らでも繋がることができる世界ではありますが、本当に大切な生身の人間づきあいができない孤独な人も増えています。誰か一人とでも信頼関係を築けていたら、あるいは自分自身との信頼関係が築けていたら、あんな事件を起こさずにすんだはず。自分のことしか考えられない限り、それは築けはしないのですが。
↓
全く仰る通りです。
ここの部分は富に共感しました。
便利を享受すると、それが当たり前になり、
当たり前の世界でぬくぬく生きる人間は、不便さが逆切れのシステムと化しています。
その人が汗水流して構築したものではないのに…。
便利さは、人に今迄一体何をもたらしたのでしょうか。
単に、アキバで殺傷された人を安易に携帯に移し、
こんな現場に居合わせたぜ!
俺の画像が一番乗りだよ!!
と、インターネット上で自己顕示欲を発言する為だけに人類の便利は開発されたのでしょうか。
一発で清書になって反映されるとは。
後半の「携帯に移し」というところ、「写し」と読んで下さい。
大変失礼致しました。
何が価値あることなのかわからなくなっていますよね。その場に居合わせ撮った画像をいち早くUPして得意になるための通信ツールではないはずなのですが。