akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

第59回鳥海中学校東京支部同窓会

2018-07-01 | 鳥海八幡中学校校歌 作詞作曲

酒田市立鳥海中学校の東京支部同窓会でした。

 

第一期の大先輩は83歳。
戦後まもなく開校した中学校で、最初の一年は授業より校舎の整備や土方仕事が多かったと振り返って下さいました。

本楯地区の生徒のみでスタートした鳥海中学校は、その後、上田地区、南遊佐地区の生徒が吸収合併で入ってきて、大所帯となりました。

 

私たちの頃は一学年100名。庄内平野の広い農村地帯、文武両道の鳥海中学校生だったことが誇りでした。

2010年に、少子化のため隣の八幡中学校と合併。鳥海八幡中学校は広大な学区となり、生徒たちは現在スクールバス5台で旧八幡中学校の校舎へ通っています。
素直で文武両道な校風は変わらないとのことですが。

 

上田、本楯、南遊佐、私たちの頃はそれぞれの小学校でしたが、これも今はみんな一緒になり鳥海小学校に。

 

少子化の流れは止まらず、まだまだ生徒は減り続けます。
全国的な問題ですが、農村部の人口減少も著しく、最近、故郷を思うと切ない思いにかられます。

 

合併した鳥海八幡中学校の卒業生第一期生が社会人になり、中学校の同窓会も、来年以降八幡地区の卒業生と一緒になっていくという話も。

 

鳥海八幡中学校開校の際に校歌を作詞作曲させて頂いたため、今日は酒田から来て下さった校長先生と私とで新中学校の校歌を歌い(急なご氏名で)、最後に大好きな鳥海中学校校歌を全員で斉唱しました。
ある意味、どちらも応援歌です。

 

庄内弁で超超ローカルな話もたくさん。
自分のルーツを深く感じる濃い時間でした。

 

 

夜は、テレビ番組「ポツンと一軒家」を見ていてまた切なくなって。
畑や森や海の中で、自然の恵みに感謝し、昔ながらの生活をしているおじいちゃんおばあちゃんを見ると、無性にいとおしくなります。
島や山や農村でのこんな素晴らしい暮らしや文化が、どんどん消えて行ってしまうのかと思うと、焦燥感が。


だからといって、自分が限界集落に住めるわけでも、時代の流れを止められるわけでもないのですが。

 

地元で家を継ぎ、農業を担っている同期たちには、いつも、感謝と敬意と、ほんの少しの負い目があります。憧れも。

 

せめて私ができること…。
無声映画で、昔の作品世界を今に甦らせるー。
時代的な価値観と、普遍的な価値観を、「活弁」というエンターテイメントの中で発見してもらうー。

 

いいものは過去に簡単に捨てずに、この先まで持って行きたいー。そんな思いが私を「活弁」に出逢わせてくれた気がするし、
皆がいるから、私は私の場所にいて、好きなことをしていられます。

 

そして。若い後輩たちの地元での活躍は一条の光。それを見聞きするのが本当に嬉しい今日この頃です。

 

(ゆくゆくは私もきっと畑をやるよ!)

 

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