真岡日記

真岡、塩原のお知らせです

横浜美術館 ー 浜に城今昔の跡蝉時雨

2019-08-24 12:16:55 | 日記

 23日 横浜美術館原三渓が個人的に蒐集した美術品を見に行った。最初は個人の趣味で金持ちの道楽と思いあまり気乗りもしなかったが、三渓自身の絵画への造詣やその後の日本の美術史をリードする文化人への援助など大変な人だったことを知り、改めて見直した。

 横浜美術館のあるランドマークタワー近辺は、近代的で歩いているだけで、文化人になったような気になる。今、横浜はカジノを誘致するかどうかで論議の渦にあるようだが、この雰囲気だけは維持してもらいたいと関係ないことを思ったりした。

 遅い昼食の後に青春18キップで、ここまで来たのだからと思い、小田原まで足を伸ばした。小田原城を見学しようとしたが、2分ほど遅れてしまい、天守閣へは登れなかった。豊臣方の小田原攻を目で確かめようとしたが叶わなかった。

 ここまでは休日キップでも来られるので、この次の機会にした。小田原からの帰宅はささやかな贅沢グリーン車でビールを飲みながら家路についた。

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日光 放庵美術館 ー 山際を雷雨激しく駆け抜ける

2019-08-19 06:43:33 | 日記

 日光の小杉放庵記念日光美術館川瀬巴水吉田博との版画展が開催されているというので出かけた。真岡から日光までの距離は近く1時間30分ほどで到着する。この日はお盆休暇の最終日ということもあり、日光の2社1寺付近は混雑していたが、裏通りから行ったので混雑にも遭遇せずに到着できた。  

  2人の版画は風景と多色刷りの精密でかつての浮世絵を彷彿とされるもので見応えのある風景版画だった。20回から90回ほどの刷りを重ね多色刷りの細密画は、これが新版画という分野かと改めて感心した。

  版画展の後は美術館の隣の輪王寺三仏堂を十数年ぶりに参拝した。三仏堂の御本尊である金色に輝く阿弥陀如来千手観音馬頭観音の三仏は、長い間平成の大修理で移動していたので改めてあるべき位置に置かれると迫力が増しているように感じた。その後は故郷真岡の偉人で日光開山の勝道上人の銅像にしばらくぶりに再会した。。

  昼食は、今市でソバを食べた。昼食後、突然のにわか雨に見舞われたが、帰宅途中にある塩谷町のナツエビネを見た。林間を埋め尽くすナツエビネは壮観だった。昼食時からの雨もこの頃にはあがっていた。天気予報の「山沿いはにわか雨になるでしょう」この言葉通りだった。

  孫ロス作新学園の敗戦での虚脱感をなくす一日となった。

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盂蘭盆会 終わる ー 騒音の聞こえぬ先に暑さかな

2019-08-17 14:16:26 | 日記

 10日からの今年の我が家のお盆も17日をもって終わった。その中での孫に遊んで貰った最後の5日間も終わり、現在大きな虚脱感の中にいる。

 台風の影響を心配しながらのお盆だったが、我が家には大きな影響もなくすんだ。井頭公園での魚釣り、三谷公園や地区の公園でのキャッチボール、行屋川での灯籠流し、益子のヒマワリ畑バッテングセンター盆送りなど多くの体験をさせてやったつもりだが、こちらが遊んで貰った感が強い。夜も9時になると眠くなってしまう70才過ぎの老人と違い、この後、読書感想文などと言って鉛筆をもつ姿には恐れ入った。              また、高校野球では、神奈川代表東海大相模高、福島代表聖光学院、栃木代表作新学院に声援を送っていたが、作新学院がベスト8に残っているだけで他の2校は敗退してしまい残念そうだったが、これも良い経験になったようだ。神奈川と栃木から作新学院を応援しようと約束した。野球ではまだまだ老人の方が上だが、釣り堀での釣果では圧倒されてしまい、10月の井頭マラソンの時にでもリベンジの機会をと約束した。

 17日には、一人で小金井駅から久喜経由の東武伊勢崎線に乗り、横浜青葉台へと帰って行った。送る側としては心配だったが、当人は全く気にしていなく、余裕の表情だった。

 これで今年の夏の大きなイベントが終わった。

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塩原 410・411 ー 雷光に寂しいユリの待つ姿

2019-08-09 11:41:03 | 日記

 7日に千葉の知人が塩原へ1泊2日の予定で来るというので、7日の墓薙ぎを5日に済ませて塩原へ出かけた。お盆を迎えるにあたってお墓をきれいにしようということで行われる墓薙ぎの行事も、最近は都合の良い日に墓薙ぎをすることが定着してきているようである。これも、地域にあった共同墓地から個々の墓地に変わってきたからのようである。例年のこの時期は、寺のハスも最盛期のはずだが、今年のハスは背丈が伸び、葉ばかりが茂り、花は殆ど付けていないような状態で寂しい限りである。これも異常気象のせいである。

 7日には千葉の知人と塩原で合流し、昼食は塩原のB級グルメであるスープ入り焼きそばを食べた。これは癖になる味で、また食べたくなるから不思議である。塩原への目的はこの時期最盛期であろうと思われるユリ園だったので、昼食後は真っ直ぐハンターマウンテン塩原ユリ園へ向かった。ここユリ園も異常気象のせいか数年前のユリ園とは異なり、貧弱そのものだった。

 ユリ園を散策しながら、しばらくすると雷雨が襲ってきた。山の天候の変化は急で稲光即雨ということだった。バスのなかに避難し、その後クラブハウスまでバスで送ってくれた。

 ユリ園の後は、今売り出し中の矢板のおしらじの滝を案内しようと思ったが、最近の天候から滝が落ちてないと思われたので大沼公園へよって、今夜の宿までお送りした。8日は午前中2時間半の時間しかないというので、塩原の温泉街を案内した。

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 高田まち ー 露天でイカ焼き焼きそば持ち帰る

2019-08-01 15:12:23 | 日記

 高田まち男体山登拝祭この2つの行事は8月1日に行われる。若いときはここに間もなく開催される少年野球大会が加わり、参加をどうするかが悩みの種だった。高田まちは関東一円に知られる「夜祭り」である。加齢とともに夜の祭りへの参加は辛くなってきているので、1日の午前中に行ってきた。

 直近の高田まちは、2011年に行ったが、今年も新しい発見があった。前回はなかった真岡コンシェルジュの説明もその1つだった。また、国の重文になっている総門の茅葺き屋根が葺き替えられていたことも新しい発見だった。

 ここ高田山専修寺は真岡では数少ない文化財の宝庫であり大切にしたい箇所である。

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