22日 所属する会の研修旅行で18名の参加者と一緒に水郷佐原方面へ行った。水郷のアヤメを見て佐原の伊能忠敬の史跡を訪ねる旅行だった。
水郷のアヤメの時期ではなかったが、伊能忠敬の史跡や水郷は数年前に訪ねたことを思い出すが、アヤメパークでサッパ舟に乗ったりは初めての経験だった。また、佐原は小江戸として町並みが整備され伊能忠敬の史跡と共に江戸情緒を感じる町並みに変わっていた。
水郷のアヤメは昨日の雨に痛めつけられ、倒れていたりと残念だったが、佐原の町並みやユネスコ無形文化遺産に登録されている水郷佐原山車会館の日本一の大人形山車は見応えがあった。また、伊能忠敬の功績にはあらためて感心した。江戸時代後期の測量の資料2000点余が平成になり国宝に指定されているのにも納得である。
20日 晴れは今日限りという天気予報にせかされるように、アジサイの花で有名な埼玉の権現堂と大平山神社へ行ってきた。
権現堂は春はサクラと菜の花、秋はヒガンバナで有名である。ここ権現堂は埼玉県にあるにもかかわらず、1時間30分程で到着する。かつては、北関東道、東北道を乗り継いで行っていたが、新国道4号線と一般道の利用で非常に身近になった。
権現堂のアジサイは今が一番の見頃で、多くのアジサイのファンで賑わっていた。また、自然に植栽されているにもかかわらず、早咲きがあり遅咲きがあり、花の色も多種多様に渡り非常に見応えがあった。
時間も多くあったので、権現堂から栃木の大平山のアジサイを見ようと加須から栃木まで東北道を利用し、大平山神社のアジサイ坂のアジサイを見学した。
大平山のアジサイの満開はこれからだった。管理も権現堂のアジサイに比べるとかなり貧弱だった。しかし、ここ大平山のアジサイのファンが多く、アジサイ坂の長い階段を歩いていた。
16日 15時30分から所属する会の理事会があるので、東京へ出かけた。早く真岡を出発し、東京の名所でも見学し、予定している理事会に間に合うように忠臣蔵の赤穂七十七士の眠っている泉岳寺を見学した。友人には、この時期の泉岳寺はほとんど参拝者は居ないだろうと言われていたが、忠臣蔵のファンは多く、6月でも多くの参拝者が四十七士の墓に線香を手向けていた。
問題点もある理事会だったが、予定通り理事会、懇親会と終わり、この日は川口の親戚にお世話になって、明日、川口のグリーンセンターと蕨の三學院というお寺を案内してもらった。ついでに中山道の蕨の宿を散策した。
グリーンセンターは、亡き両親の思い出の地であり、三學院も知り合いとの関わりから一度は参拝したいと思っていたので一挙に二つの思いが完結できた。
今回の東京行きで、西川口駅は京浜東北線沿線にあることや蕨市が川口市の隣接市であることも知ることができた。少しずつではあるが東京近郊の地図が繋がりつつある。
9・10・11日 2泊3日で塩原で過ごした。この時期の塩原は、鳥のさえずりが聞こえ、爽やかで、湿度も50%以下である。
9日は、家中を全開にして空気の入れ換えをした。
10日には、那須で那須連山縦走フェスティバルが開催されるというので参加してきた。このフェスティバルの特徴は、ゴンドラとロープウェイの運賃、ゴンドラ駅とロープウェイ駅間のバス輸送運賃も含まれていて、自由に時間やコースを選択できるというメリットがあった。
自分は那須ゴンドラ駅に車を置き、ここを出発し、中の大倉尾根を通り三本槍岳(1917)へ行き、清水平、熊見曾根、朝日岳(1896)、峰の茶屋から茶臼岳(1915)、大岩を通り那須ロープウェイ駅そしてバスで那須ゴンドラ駅へ戻るという一般的成人5時間50分の縦走コースを選択した。
午前中の天候は、近頃稀に見るような好天に恵まれ、三本槍岳山頂からは、まだ雪化粧している飯豊連峰を初めとして近隣の山々が手に取るように見えた。その後山の天気は変わりやすく朝日岳では、雨と雹に見舞われてしまった。鎖場のある急峻な朝日岳から峰の茶屋までは雨と雹の中を歩いた。
峰の茶屋で雨宿りしている内に、雨も小降りになってきたので予定通り茶臼岳山頂を目指した。数年ぶりの茶臼岳山頂は霞んでいたが縦走の達成感は十分味わいた。午後2時30分には、ロープウェイ駅に到着した。
ラジオベリー主催のイベントのせいか若者の参加が多く、老人の山から若者の山に変わった那須の山々の日だった。 また、若者との体力差を味わった日でもあった。
11日は、午前中、昨日の疲れを取るためにのんびりし、午後真岡へと戻った。春先に仕掛けておいたスズメバチ退治の罠には、スズメバチの女王蜂がたくさん入っていた。これで安心して塩原での生活ができる。






