今回の塩原行が最終回になるのではと思いながら、塩原行を決行した。爽やかな風が塩原を吹き抜けていた。出発時には考えてもいなかった、この時期の塩原は「トロカブ」と「クマガイソウ」を温泉街に到着すると同時に思い出し、毎年おいしいカブを分けていただいているお宅を伺った。新鮮さを失ってしまって売り物にならないという「カブ」たくさんいただいた。最高の状態で消費者へというプロ意識の高さを感じた。クマガイソウは今年の異常気象で、2週間ほど前が絶好期だったらしく、現在は咲き残りという様相だった。
自然郷へ行き片付けや整理をしながら、ここでの思い出に浸った。帰宅は、途中で夕食を摂り20時を回っていた。
期限が間近に切れる絵画展が日光の画廊で行われているということだったので、日光へ出かけた。折角の日光行なので少し早めに家を出発し、日光の自然を散策しようということで家を7時10分に出発した。日曜日ということもあり、通勤での交通渋滞もなく、9時には本日の自然散策の起点「湯の湖」へ到着した。この時期の湯の湖の西岸は、石楠花の群落を過去の経験や過去のニュースから大きな期待をもって歩き始めたが、ほとんど見当たらなかった。異常気象の影響で、これからの開花かとも思ったが、よく見てみると開花後の姿もあり、ガッカリしながら湯の湖を一周した。ビジターセンターで問い合わせてみると、今年は石楠花の裏年で、ほとんど開花が見られなかったようであり、一昨年の最盛期が懐かしいという話だった。30数年ビジターセンターに勤務している方も、今年ほど花の少ない年は経験がないということだった。今回初めて湯の湖一周を2時間ほどかけて回ったが、マス釣り人が多くいて兎島と呼ばれていた所が陸続きだったり、楽しい湯の湖一周だった。
昼食は日光市街で日本そばを摂り、画廊の開館を待ち作品を鑑賞した。この会場が古民家を改装したところで、個人的にはこの古民家に興味を持った。
世界の日光まで2時間足らずで来られる幸せを味わったが、これも今後長くは続かないと自問した。
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旅行2日目は芦ノ牧温泉から始まった。早朝の朝湯から朝食と優雅な時を過ごした。朝食会場には団体客は無く夫婦連れが多かった。コロナ禍以降この傾向らしい。
9時にホテルを出発し、三観音の内の中田観音を拝観した。ここでも我々と同じ年配者が三々五々参拝に来ていた。心中は分からないが、安心しての冥途への旅を願っての参拝だろうと想像した。
この中田観音の後は最後の三観音霊場の1つ立木観音を参拝した。昼食と次の見学地鶴ヶ城への途中、春日八郎の生誕地にある春日八郎記念館を訪ねた。記念碑の前に立つと「別れの一本杉」の曲が流れてきた。また、隣接する記念館には春日八郎の曲のカラオケが準備されていた。地元の英雄を称賛する地域の心に打たれた。会津坂下から会津若松への道中から望む雪に覆われた飯豊連峰と磐梯山の勇姿は道中を彩ってくれていた。
2日目の昼食地と見学の予定されていた会津鶴ヶ城を見学した。何度も来ている場所ながら、ここでも現在の天守の位置と当時の天守の位置に違いがある等新しい発見があり興味深く見学して回った。
鶴ヶ城の後は最後の見学地奇岩奇勝の塔のへつりを見学した。ここへも数回来ているが何回来ても新しい発見がある。今回はへつりへの吊橋上から近辺の名峰「小野岳」の雄姿が眺められた。この小野岳は数年前今回の同行者と山頂を極めた山でもある。
この見学地の後は一路会津田島経由で三依、五十里湖、鬼怒川、氏家を通り真岡への帰路だった。天候を心配しながらの一泊2日の旅だったが気心の知れた仲間との旅は格別である。
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「只見線の旅と会津三観音めぐり」に行かないかという友人からの誘いに乗り、13日(月)から一泊二日の旅に出かけた。13日の1日目は真岡を8時に出発し、塩原、会津田島を経由して、早戸温泉へ11時半に到着し、入浴と昼食を摂った。
ここ早戸温泉つるの湯は十数年前に家族で来て、近辺にある西隆寺を訪問した際に入浴した記憶が蘇った。今回は泉温の高さと温泉の色が茶褐色だったことが新しい発見だった。また、露天風呂からの只見川の絶景もよかった。
昼食を摂り、只見線下り12時48分早戸駅から乗車し、2駅先の会津西方駅まで12分ほどの只見線を乗車した。短い乗車だったが只見川を窓下に眺め楽しい時間を過ごせた。ここでは今時の「乗り鉄」の気分を味わった。
この後、只見川と橋梁の美しさを見ながら、日本三大虚空蔵菩薩の柳津福満虚空蔵菩薩を参拝した。ここからの只見川と橋梁の組み合わせは、何度見ても絶景だった。小雨が雰囲気を作っていたようでもあった。その後、本日最後の見学地「鳥追観音」を参拝した。ここは、会津の「ポックリ三観音」の一寺である。
本日の宿泊地芦ノ牧温泉へは予定時間より早く到着し、のんびり入浴し、最初の日の疲れを取った。同級生の運転での移動だったが、運転の上手さはスーパースター並みである。






