インフルエンザの脅威も過ぎた2月の三連休の最終日、横浜の孫の所へ預かっていた「ひな飾り」を届けに行き、少し早いひな祭りをしてきた。孫娘のうれしそうな笑顔は、真岡から横浜の距離さえも縮めてくれる薬でもあった。
真岡から横浜へは、新国道4号線で五霞まで行き、五霞から圏央道を通り東名へつなぎ、東名から東名青葉へといったが、首都高速経由と違って距離的には遠くなるが、時間的には渋滞も無く、真岡から3時間程で到着した。帰路も同じコースを通り19時には真岡へ戻った。真岡・横浜も近いものだと改めて思った。
ニュースでは各地でひな祭りが行われているようだがすべて主役のいないひな祭りであり、主役のいるひな祭りが最高である。
「春は名のみの・・・」という歌があるようだが、今年の立春前後も寒暖の差が大きく、年寄り泣かせの日々が続いた。こんな中で、水不足を嘆いていたら雪が降ったり、これで乾燥も無くなったと喜んだと思ったら、お湿り程度の雪だったりと全く役に立たない初雪だった。
しかし、庭先には春が確実にやってきていた。今年はフクジュソウは咲かないのかと思っていたら小さい花が咲いていた。調べてみたら乾燥していたために、昨年より開花が2週間ほど遅れたらしい。
2日には、中村の間木堀の道路新設工事の場所で平安時代の住居跡と建物跡と堀跡が発見され、その説明会があるというので出かけてきた。
ここ中村は、律令時代の頃から鬼怒川からの物資の輸送基地として重要な場所であったといわれているが、今回の建物跡も物資の保管場所だったらしい。まだ、時期を特定できる土器などが出土していないようだ。歴史の解明も重要だが、現代の生活も大切なので、史跡の解明は痛し痒しである。






