20日 4月から取り組んでいた「ちゃれんじ60days 歩こうか真岡」を達成したので、市役所で達成証と記念品をもらってきた。昨年度は9月から開始し、11月で達成した。年度1回ということなので昨年度、今年度と2回達成したことになる。毎日、健康保持のために行っていることを記録し、報告するだけなので簡単なことである。「7000歩 60分 6km 週5日」をコンセプトに実践している。 持病を抱えている者にとって、健康に生きるということは大変である。
21日は、市貝町の多田羅沼へ行って、スイレンを見てきた。時期的に遅くなってしまったと思ったが、見る価値はあった。沼一周も簡単でカメラマンも少なかったので楽しい散策ができた。真岡鐡道の多田羅駅、伊許山を散策しようとしたが、伊許山は山道が荒れていて、軽装では無理だったので断念した。
久しぶりの塩原で、18・19日と一泊二日の塩原だった。18日は所属する会の理事会で、19日は塩原町めぐり案内人の会の新コースを試すことだった。理事会は会議が正午からだったので、早めに真岡を出て、自然郷の家を掃除した。前回に殺虫剤を噴霧しておいたので、小さい虫の死骸が落ちていて掃除のし甲斐があった。
掃除の後は、会場が「和楽遊苑」だったので会場敷地内にある文学碑を堪能した。平塚雷鳥と森田草平の逃避行を綴った自伝的な小説の一説を碑文に収められていた。塩原は多くの文学者が利用した温泉地なので面白い。理事会の会議はコロナ禍のために、内容に明るさがなく面白くなかった。
翌19日は、案内人の会の新コースへの開発の取り組みだったので、楽しく歩くことができた。今回の取り組みは「福渡」地区のコースをという取り組みだった。現在のコースは歴史を紹介するコースだったが、今回はっ塩原の自然を紹介するコースになり面白くなった。題して「塩原の大自然満喫コース」と言える。
帰路は、塩原のトロカブを購入しようと思って、知り合いのお宅に伺ったところ、今は「トロカブ」と「高原大根」の入れ替えの時期でという話だった。これからの塩原のカブは平地のカブと変わらなくなってしまうということだった。半面、高原大根は辛さもなく最高の味ということだった。「カブ」と「ダイコン」を購入し、帰宅した。
12日 「板谷波山の陶芸」という展覧会が、出身地である筑西市で開催されているので出かけた。生誕150年を記念して開催され、副題として「麗しき作品と生涯」とあったが、波山の作品は「麗しい」そのものだった。「陶芸」と「麗しい」は「益子焼」を身近にしていた自分にとっては異質なもので「波山の前に波山なく、波山の後に波山なし」の言葉に納得した。 会場は「しもだて美術館」「板谷波山記念館」「廣澤美術館」の三会場だった。「しもだて美術館」「板谷波山記念館」は過去に行ったことのある会場だったが、「廣澤美術館」は初めての場所であり、会場そのものにも興味があった。
「しもだて美術館」では、国指定重要文化財の花瓶を始めとした波山の代表作が、「板谷波山記念館」では故郷ゆかりの観音像や鳩杖の数々と共に波山の工房が再現されていた。「廣澤美術館」は美術館自体が隈研吾の設計で、その中に波山の華麗な彩磁の名品が公開されていた。
この展覧会で波山が故郷の下館をいかに愛していたかが十分理解できたと同時に帝室技芸員となり人間国宝を辞退した理由なども理解できた。近場にこのような偉人がいたという事実に嬉しくなった。
6月になると、我が家の狭い庭にアジサイとユリの花が際立って目立ってくる。アジサイはカシワバアジサイ、ユリはハカタユリである。カシワバアジサイは、妹が、鉢植えを両親へ土産に持参したものが根付いたもので、ハカタユリのユリは文字通りの妹の名前である。このように、どちらの花も妹との関わりのある花で、この花々を見る度に、50年前まで一緒に過ごしていた時の諸々が走馬灯のように駆け巡る。
幸いにも、兄妹2人とも元気で古希も過ぎたので、両親の享年(父親が84歳、母親が89歳)まで生きたいものである。両親がいなくなった今、子どもの頃の思い出を語る相手は妹しかいない。残念ながらコロナ禍の影響で、故郷を尋ねられない妹には気の毒でもある。年齢のせいか、最近昔のことが、ことのほか懐かしい。
1
2
3
4
5![]()






