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真岡日記

真岡、塩原のお知らせです

塩原 356・357・358 ー 秋めくも霧降塩那に無線かな

2017-08-31 17:59:40 | 日記

 25・26・27日と約1ヶ月ぶりの塩原へ行った。

 25日は、案内人養成講座の手伝いでお客さんの立場でコースを歩いた。新しい発見があり大変勉強になった。立場を変えて物事を見ることの大切さを知ったことでもあった。午後は自然郷へ行き、窓を全開にすると変わりやすい天候ながら、2時間ほどの間に、気温24度湿度80%が、気温24度湿度50%へと激変した。

 26日は、那須へと思っていたが、塩原の早朝は小雨で、那須へは無理と思い、午前にものがたり館で開催されている与謝野晶子展を見学した。午後は、塩那スカイラインの土平で無線の交信をした。30年ほど前以来の交信だったが、横浜から来ているという人と霧降高原から10分ほど交信できた。CQもいいものである。JP1のコールサインとJP1のコールサインを持つ方との交信だったので、年齢も近く懐かしい交信ができた。これで、これからの生活の幅が増えるような気がする

 27日は、真岡への帰路、塩谷町のナツエビネの群落を見て、鬼怒川での知り合いの方の個展を見学し真岡へ帰った。

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向日葵畑 ー ひまわりや車輪の風に立ち向かう

2017-08-21 12:37:53 | 日記

 19日(土) 1年ぶりの益子の上山地区で行われている「ひまわり祭り」へ行った。去年は、台風の影響で横たわっているヒマワリだったが、今年は絶好の「ヒマワリ祭り」が展開されていた。

 「益子の田野ぐらいは自転車で」と思い,出かけたが、風向きを考えることをしなかったために「往きはよいよい、帰りはこわい」の状態だった。しかし自転車には、自動車では見られない景色がみえるので嬉しい。長雨と日照不足により野菜や米の不作が叫ばれているようだが、小貝川流域の稲はたわわに実っていた。

 「ひまわり祭り」の会場は土曜日ということもあり多くの家族連れで賑わっていた。また、ヒマワリの習性は面白く一斉に同一方向、すなわち日光の方向を向いているのも面白い。漢字「向日葵」そのものである。

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盆の頃 ー 蓮咲きて人を偲んで盂蘭盆会

2017-08-19 16:30:42 | 日記

 7日 墓薙ぎ お盆を旧盆の8月13日・14日・15日・16日で実施する地方は、墓掃除を1週間前の7日に行う。例年の墓薙ぎは残暑の中で辛かったが、今年は涼しい中での墓薙ぎとなった。

 寺の境内には、百日紅の花が咲き誇っていた。その花の傍らで住職さんと世間話をした。最近の傾向としての墓薙ぎは、勤めの関係で土曜日・日曜日に行う人が増えているそうである。

10日 昨年の古稀記念の中学校ファイナル同窓会に変わって、今年はクラス会をやろうということで、幹事6名が集まって詳細の相談をした。同級生が集まるとすぐに55年前に戻り、当時の話題になり、時間の過ぎるのが早い。

11日 3人目の孫の誕生のために家事の手伝いに行っていた妻が4日ぶりに真岡へもどった

13日 早朝、盆棚を作り、その後盂蘭盆会お施餓鬼法要のためにお寺に行った。檀家全戸がお寺に集まった。お盆様を自宅まで迎えた。

14日 午前中お世話になった方々4件の初盆のあいさつ回りをした。毎年初盆回りが多くなっている。残念なことである。午後、息子親子と妹夫婦が相次いでお盆のあいさつに来た。

15日 息子親子と福島の初盆のお参りを福島へ行った。行きは東北道を北上しそれほどの混雑もなく福島へ到着できたが、真岡への帰路は常磐道経由で帰ったが渋滞にはまり6時間程かかってしまった。日本のこの時期は民族の大移動でもある。

16日 午前中に息子親子が横浜へ帰った。孫が帰ると真岡に静寂がやってきた。

 午後、お盆の最終行事であるお盆様を送って、長かった今年の我が家のお盆が終わった。

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八ヶ岳 ② ー 稜線にコマクサ咲くや孫誕生

2017-08-10 08:49:54 | 日記

 昨日の赤岳山頂登頂時には、霧が立ちこめて周辺が見えなかった。そして頂上山荘ではほとんど眠れなかった。もんもんとしている中で、午前4時になったので外に出てみると、5日の天空には青空が広がっていた。

 4時40分の御来光をみようと再度外に出てみると雲海が一面に拡がっていた。その雲海の中に富士山(3776)を始めとして槍穂高を代表する北アルプスの山並み北岳や甲斐駒ガ岳を始めとする南アルプスの山々が屹立していた。また、頂上山荘のある方が北峰であり、南峯が隣に聳えていることも朝になって気づいたことであった。赤岳は双耳峰だった。

 頂上山荘での朝食の時間が予定より30分程早まったので、我々の行動も早まった。午前6時半に赤岳頂上山荘を発ち赤岳展望荘まで急な斜面を腰を下ろしながら下った。その後、地蔵の頭三叉峰を越え、横岳(2829)の絶壁のクサリ場を通って硫黄岳山荘で休息をとった。

 この横岳周辺は、スリルに満ち一瞬たりとも気の抜ける場所は無かった。赤岳から横岳、硫黄岳の稜線は分水嶺になっていて、山稜の稜線の右と左は天候も二つに分けられていた。

 硫黄岳山荘は皇太子殿下が浩宮時代に立ち寄った所だけあって綺麗な小屋だった。ここで飲んだコーヒーの味もまた格別だった。また、この近辺はコマクサの大群生地だった。今年は、コマクサに恵まれ各地でお目にかかった。この硫黄岳山荘から硫黄岳(2760)までの稜線歩きは壮大で所々にケルンがあり爽快だった。

 硫黄岳からは大ダルミの白い砂礫を見ながら、赤岩の頭を越え赤岩鉱泉という通年営業の山小屋まで2時間程かけて下った。ここでも水の有り難みと美味しさを味わった。

 赤岳鉱泉でここ八ヶ岳の周遊図をみてみると今回の山登りは赤岳、横岳、硫黄岳の主要三山を周遊した凄いコースで、古稀の者にとっては宝物のような経験だった。

 赤岳鉱泉からは北沢に沿って出発地美濃戸へと戻った。美濃戸では携帯に孫の誕生の報告が入っていた。孫の誕生と八ヶ岳の登頂という凄い一日となった。

 山登りの後は温泉ということで、中央道の諏訪SAの温泉に入って、高速道を乗り継ぎ真岡へは23時過ぎに到着した。

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八ヶ岳縦走 ① ー 岩陰に咲く一輪の桔梗かな

2017-08-06 14:38:08 | 旅行

 8月4日(金)から5日(土)にかけて、予てから計画していた八ヶ岳登山に行ってきた。美濃戸の駐車場へ10時集合だったが、美濃戸口から美濃戸までがひどい山道で、ナビも十分に案内できずに、20分程遅れて集合場所に到着した。千葉からの仲間も全く同時刻の到着だった。

 美濃戸(1720)の赤岳登山口南沢コースから赤岳行者小屋までは、林間内を2時間半ほど歩いて、古い山小屋の風情漂っている赤岳行者小屋で遅い昼食をとった。この2時間半ほどの歩きと昨夜の寝不足と真岡インターから諏訪南インターまでの高速道の運転で過去に味わったことのない疲労感に襲われてしまった。だが、この行者小屋での休息と水分の補給で生き返った心地がした。ここ行者小屋の水が殊の外美味しかった。

 ここで、十分な休息と美味しい水の補給を行った我々9名は「文三郎道」という名の、長い急な山登りに挑んだ。

 ここから赤岳山頂への登山道は、長い長い階段、クサリ場、最後は追い打ちをかけるような急な岩登りで、今まで経験したことのないような山登りだった。周辺の風景は霧に霞んでよく見えなかったが、背後には時折大きな山体の阿弥陀岳(2805)を望みながら、岩をつかむ手元や岩陰には、この八ヶ岳が花の名山を証明しているかのように、たくさんの黄色、紫、ピンクの高山植物が咲き誇っていた。一緒に登っている連れは、花一本一本に感動の声を発し、自分はその声に元気をもらいながら山登りを楽しんでいた。

 8時間ほどかけてたどり着いた赤岳山頂(1899)は、霧の中で山頂の標識のみが識別できるだけで、案内書にある360度の絶景にはお目にかかれなかった。

 今晩の宿泊場所「赤岳頂上山荘」はこの山頂から2分ほどの位置にあった。宿泊場所では7時半の夕食と8時半の就寝時間で眠れない山小屋の生活が始まった。

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