しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

丸坊主

2020年05月22日 | 城見小・他校
丸坊主

城見保育園ができ、その入園ごろに丸坊主になった。
(それから高校3年生になる春まで、ずっと丸坊主だった)

城見小学生の2年か3年の時、学校の下に散髪屋ができた。
そこには大人と、子供の一部が客で入っていた。

ほとんどの子供はバリカンで刈り上げていた。
庭で箱に座り、近所の年上の子や兄弟に頼む子も多かった。
子供が刈ると、どうしても虎狩りになっていた。
そして刃が(よく切れなくて)髪にはさったまま止まり、バリカンを髪から抜いてやり直していた。
その時の子供の顔はそうとう歪んでいた。
それは日常の風景だった。

私は父親がバリカンで刈ってくれていた。
刈った後はカミソリで剃ってくれた。

高校生になって、床屋に行くようになった。
「にまいがり」といってクリクリ坊主でなく、ほんの少しイガグリ頭で、当然ながら父よりは刈った頭がきれいだった。
大門の駅東にいまもある床屋に行っていた。


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蛍取り

田植えが終わってしばらくした頃、いちばんの楽しみはホタル取りだった。
夕方が終える頃、箒と瓶を手にして水田のほとりに向かった。
蛍はどこにでもいたが、蛍の多い場所に行く。
場所は毎年決まっていた。
かまんどうから砂川の法に蛍は多くいた。

暗くなると、あちこちから子供の声が聞こえていた。
光のはホタルの他に、水ボタルと蛇がいた。
水ボタルは近寄ると水の中で光っているので止める。
むずかしいのは蛇だった。
うっかり蛇をにぎるとにゅるっとして背筋が寒くなっていた。

取った蛍は瓶にスギナを入れて明かりを楽しむか、蚊帳の中に入れて飛ばす。
蚊帳の中で光る蛍は、なんともいえない風情があった。
しかし、どちらにしても翌日には蛍は光らなかった。一夜の明りだった。


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