しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

旗行列・提灯行列

2020年05月20日 | 昭和11年~15年
ひいひい祖母さんが吉浜から茂平に嫁入りしたときは提灯行列だったそうだ。(江戸末期)
母やおばの話では、昭和15年の皇紀2600年の祝賀で町村の旗行列に参加している。
戦前の南京陥落や武漢陥落も笠岡地域で行列があったようだ。
政治家では戦線の犬養木堂の首相就任で庭瀬で、戦後は越後の田中角さんの大臣就任の写真記事をみる。
近年では広島でのカープ優勝の提灯行列。

夜道を、提灯をもって歩く時代が過ぎると、ほぼ提灯行列は消えていったように思える。

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「こどもの四季」加太こうじ著 河出書房 2009年9月発行より転記

ちょうちん行列

ちょうちん行列、旗行列と昭和12年7月7日の日中全面交戦の勃発から昭和17年末頃までは、年に何回かは、きまって町内会のお達しで戦勝祝賀の行進にかりだされた。
昭和16年12月8日の対米英戦宣戦の日は、在郷軍人がかりだされて「神国必勝 打倒米英」などと書いたのぼりをかかげて行進した。
東京ではその在郷軍人の列が愛国行進曲などを高唱しながら宮城前へあとからあとから押しよせていた。
それが、昭和18年初頭のころからはまったく変化した。
町内会ででてこいというのは、たいがい英霊を出むかえるためで、駅頭で白布に包まれて遺族の胸にかかえられている遺骨に、『海行かば』のメロディと共に黙祷をささげなけばならなかった。
そのあとの敗戦につづく自由の到来では、庶民は自主的に大挙してくりだしたが、それは食糧を得ための買い出しだった。


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