しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

陽明丸とシベリア出兵④尼港事件(地元の茨城県)

2019年06月11日 | 大正
尼港事件で多くの戦死者を出した茨城県では、どのように記されているのだろうと思った
スラスラといった感じの記載であった。

「茨城県の歴史」山川出版社 1997年発行より転記

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英・米など16ヶ国がチェコスロバキア軍の救済を掲げて、ソビエト政権打倒の軍隊をシベリアに派遣した。

日本も積極的に参加したが、大正9年2月に黒竜江口のニコライエフスク(尼)で、ソビエトのパルチザン兵士によって日本兵が殺害されるという尼港事件がおこった。
尼港を守備していたのは水戸第二連隊であった。
281人の戦死者を出し、県民に大きなショックを与え、深い傷あとを残すことになった。

シベリア出兵は、また、軍隊の食糧需要を狙った米穀商による米の買い占め・売り惜しみをうみ、米価が急騰する事態を招いた。
このため、大正7年8月には富山県の漁村から火を噴いた米騒動が全国各地をおそった。

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