昭和13年5月3日、大日本帝国陸軍第十師団歩兵十聯隊の父は、中国大陸に向け岡山の聯隊を出発した。
父の筆からは、胸の鼓動が聴こえるぐらい気持ちが高騰しているのが見とれる。
新兵で入営5ケ月での野戦、無理もない。
(徴兵検査)
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「父の野戦日記」
新亜細亜の動きは日一日と深刻、決裂を深めている。
いよいよ壮士・先輩・諸賢の元に往くことにあいなる。
5月3日、来たるべき日はきた。待ちに待った出征の日は来た。
満場の声に送られつつ、なつかしい兵舎を後にし、戦友と別れをつげ自動車にて一路駅頭に向かう。
早朝より揺る雨は矢のごとく、僕らの出征を祝福するかのごとき岡山駅プラットホームを離れた。
時まさに岡山駅零時16分。ああ、これまさに最後だ。
歓送の音楽の音に万感の音、耳に満ち ただ一筋に心はおどる。
ああこれが彼女との最後の決別か!
「お元気でね」
汽車は一路山陽本線を南下しつつある。
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「1億人の昭和史・2」 毎日新聞社 1975年発行
盧溝橋には、満州事変のような”計画性”はない。
日中両国とも戦争を避けようとしながら、ずるずると深みにはまっていった。