しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「国家総動員法」

2018年12月18日 | 昭和16年~19年
「新修倉敷市史・現代(下」)平成13年発行より転記する。

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昭和13年5月、「国家総動員法」を施行した政府は、国民を戦争へ動員する”総動員体制”を整えていった。
中小商店を閉めて、浮いた労働力を軍需産業へ振り向ける政策を押し進めた。
中小企業者は転廃業を駆り立てられた。
企業整備を進める傍ら、昭和18年9月、14~40歳の男子が事務補助・車掌・販売店員・出改札係り・理美容師など17の職種で働くのを禁止する一方、
新規学卒の女子や未婚女性を対象にして、女子勤労動員促進要項を設けた。そのうえで翌年「女子挺身勤労令」を公布した。
若い女性は否応なく挺身隊員となって働かされることになったのである。


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金属類供出(倉敷市の場合)

2018年12月18日 | 昭和16年~19年
「新修倉敷市史・現代(下」)平成13年発行より転記する。

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供出で金属類がなくなる

戦火の拡大とともにさまざまな金属が軍事物資として回収された。

昭和14年4月、味野・琴浦・児島・赤崎・下津井・藤戸の各町役場の鉄門・鉄柵、鉄板などが姿を消した。

昭和16年6月「街の鉱山を掘れ」というポスターが貼られ、町内会・会社・工場が鉄くず・古鉄・銅くずの回収を進めた。9月に鉄と銅の二次回収があり、寺院の梵鐘12個を含む鋼材15トンが回収された。
この回収にそなえて倉敷市役所は同市の構造物内にある鉄と銅の製品を供出台帳に登録したが、中には新渓園の青銅手水鉢釣り灯籠、鶴形山の動物小屋やベンチなど、学校では国旗掲揚台、鉄柵、二宮金次郎や楠木正成の銅像が含まれていた。
やがて郵便ポストも回収され、木製や陶製に変えられた。

昭和18年1月には銅貨や白銅貨をアルミ貨や紙幣と交換。4月からは学童や警察官らの制服のボタン・食器・鉄道の遊休レール、自動車・橋梁・警鐘台・寝台・戸のレール・・・・と、金属類の根こそぎ回収となった。

昭和19年夏から銀が、”航空戦力増強のため”という理由で従来の2倍に値上げして大急ぎで買い上げられた。
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