
当時、グループ会社は、JT本体と約束した一定の評価指標とその目標水準にのっとり経営を行っていました。この目標値を満たしている限り、一定の経営の自由度が確保されており、生み出された資金の使途についても、設備投資を除き、金融商品への投資、預金等について、それぞれの経営陣の裁量に相当程度委ねられていました。つまり、経営管理面での縛りはあるものの、資金管理面での自由度が高かったのです。CMS (キャッシュ・マネジメント・システム)導入によって、これにメスを入れていくことになりました。-----グループ会社との関係を再構築する差し迫ったニーズがもう一つありました。連結決算が導入されたばかりの時期でした。----連結決算作業の早期化であり、その実行が急務の課題だったのです。
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---工程表を作るという発想は、工学部出身で、工場での工事等エンジニアとして仕事をしていた私には、極めて当たり前に思えたのですが、どうも当時の経理部では新鮮に映ったようです。
この作業は、改善のプロセスで使われる、いわゆる見える化でした。なぜ見える化が必要だったのでしょうか。
この見える化とは、連結作業に携わる個々人の頭の中だけにしかない作業を、紙の上で見える形にしてもらうことでした。
[ken]JTって、元々は公社だったのにも関わらず、いち早く国際会計基準や連結決算の徹底を成し遂げていたのですね。改めて驚かされました。それから、私も「工程表」は知っていましたし、時には自分でも作成したこともありますが、その核心は「見える化」であることへの認識は、恥ずかしながらとても薄かったです。