息をするように本を読む

初めて読んだ本も、読み返した本も、
ジャンルも著者もおかまいなしの私的読書記録
と、なんだかだらだら日常のことなども

この子を残して

2013-07-15 10:07:46 | 著者名 な行
永井隆 著

この子を残して――この世をやがて私は去らねばならぬのか!
旧制長崎医科大学で放射線医学の助教授であった著者は、
白血病の診断を受けていた。
そして1945年8月9日に投下された原子爆弾に被爆し、妻を失う。

手もとに残されたのはまだ幼い二人の子ども。
悪化の一方をたどる病状のなか、この子達を残しては死んでも死にきれない、
という苦しい想いを抱きながら、自らが研究してきた放射線に関わる原爆病を
自らの体で経験することになった。

敬虔なクリスチャンである著者は教会再建にも力を尽くした。
しかし、浦上教会で行われた慰霊祭で、原爆を「燔祭」、つまり生贄を神にささげる儀式と
表現したことで物議を醸す。これは現代まで賛否両論ある「浦上燔祭説」となる。
「原爆は長崎ではなく浦上に落ちた」「お諏訪さん(諏訪神社)が原爆から守ってくれた」
と公然と囁かれたこともあるというクリスチャンの立場。
全国でもクリスチャン率が高い長崎ですら、こんな苦しい立場があった。

著者の下の子である茅乃さんは、私の高校の先輩にあたる。
私たちは原爆について学び、反戦教育を受け、「燔祭のうた」を歌った。

燔祭の炎の中に 歌いつつ 白百合乙女 燃えにけるかも

著者が晩年を過ごした「如己堂」は今も残されている。
信者たちの協力で建てられたわずか2畳の建物だ。
腹水がたまり、危険な状況下では、危なくて子どもを近づけられない。
父が眠っていると思い内緒で近寄って「ああ、おとうさんのにおい」とつぶやいた
茅乃さんに対しての言葉が、冒頭の一行である。