息をするように本を読む

初めて読んだ本も、読み返した本も、
ジャンルも著者もおかまいなしの私的読書記録
と、なんだかだらだら日常のことなども

Mei 冥 創刊号

2013-05-31 10:24:52 | 書籍・雑誌
メディアファクトリー

届きました。で、早速読破。
期待通りに面白かった。

改めて気づいたんだけど、私は民俗学的な話は大好きなのだが、
それにしたって『幽』におけるそのジャンルのボリュームはすごい。
それが少ないぶん『Mei冥』は読みやすいのだ。

こんなに狭ーいターゲットに絞り込んで、しかも女子向けなんて
大丈夫なんだろうかと早くも不安がよぎるわけだが、たぶん
私は買いつづけてしまうことだろう。
頑張っていただきたい。
半年先のお楽しみができたので。

特集の「闇を歩く」は、なかなかできない闇の体験が語られ興味深い。
いや、別にやりたくはないです。
あの震災の日、停電によって真の闇になった。
非常灯も街灯も電話ボックスも全て闇。
そしてそれが一番怖かった。
あれが山の中ならどんなに怖いだろう。

子どもの頃遠足で山に行き、夜それを思い出しては身震いした。
いま、この時間のあの場所を思い浮かべてしまうのだ。

怖いってシンプルな感情だから、ちょっとした共通点があると
ストレートに伝わってくる。
そんな共感を得るための一冊ともいえる。

スカーレット

2013-05-30 10:52:07 | 著者名 ら行
アレクサンドラ・リプリー 著

マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』の続編として書かれた。
日本では作家の森瑤子が翻訳を熱望し、話題となった。

『風と共に去りぬ』は未来へ可能性と不安を感じさせて終わる。
スカーレットとレット・バトラーのその後は、読者にとって大変気になることだ。
しかし、著者であるマーガレット・ミッチェルはこれを完結した物語とし、
決して続編を書こうとしないままこの世を去った。

2011年著作権切れを前に、相続人たちは続編を企画した。
これは、望まない形で勝手に続編が書かれることを予防するためでもあり、
『風と共に去りぬ』を愛する人々を失望させないためでもあった。

リプリーが選ばれた理由に、彼女がレット・バトラーと同じチャールストン出身と
いうことも含まれていたという。

本書はひたすらにスカーレットとレットのすれ違いの物語だ。
これほどお互いを求めているのに、あらゆるものがかみあわず、心を閉ざすばかり。
ヨットの事故で心が通ったかに思えたのに、それは思いもかけない妊娠をもたらし、
レットはそれを知らないままに去ってしまう。

そしてスカーレットの成長の物語でもある。
すべてを捧げ尽くしてくれた黒人女性マミーの死。
舞台はアイルランドへと移り、そのパワフルさで成功したスカーレットは、
尊敬を勝ち取り、「ザ・オハラ」と呼ばれるようになる。

大西洋をはさみ繰り広げられる物語は実にドラマティック。
やっぱり『風と共に去りぬ』が好きだけれど、あれだけの作品の重さに負けず
これだけ評価されたというだけのことはある。

小さな貝殻 母・森瑤子と私

2013-05-29 10:56:08 | 著者名 は行
マリア・ブラッキン 著

華やかで美意識の高い女性。
それが作家・森瑤子のイメージだ。
彼女はイギリス人の夫とのあいだにもうけた3人の娘を育て、
早くに世を去った。

著者は森瑤子の次女である。
母の死は彼女が22歳の時だった。

娘としての視点はときに誰よりもシビアである。
母自身は語らなかった家族の真実の姿をくっきりと映し出し、
その実像を残酷なまでに描き出した。

どちらかというと、出来すぎた作りすぎた感じが気になって
あまり熱中できなかった森瑤子の作品だが、それが必死の努力と
大変な苦労の中で維持されていたと知ると、違うものが見えてくる。

妻の成功に複雑な感情を抱く夫。
家族の崩壊を防ぐことも、子育ても、一日の大黒柱の役割も
すべてを負わされていき、重くなる日々。
それを表に出してはいけない、と努力する日々。

なくなったのは胃がんだったけれど、そこに至るまでにしたのは
やはりこんな苦しみの数々だったのだろう。

赤裸々な秘密の暴露、とも言える本書だが、むしろ森瑤子の魅力を
さらに感じた人は多かったのではないだろうか。
お嬢さん3人がそれぞれの幸せを掴んでいることを祈りたい。

庭園の世界史 地上の楽園の三千年

2013-05-28 10:28:42 | 著者名 ま行
ジャック・ブノア・メシャン 著

歴史家であり、トルコ大使の経験もある著者が、そのひろい見識で
世界の庭を語る。

単に各国の庭やその特徴を紹介するに終わらず、庭とは人間の欲求の表現である、
という考えをもとに、庭に秘められた精神性や、国民性まで深く掘り下げている。

特に中国と日本の庭についての章は興味深い。
異文化の人たちから見たアジアの価値観。
とくに大きさに対する概念については、ああそうだなと頷くことが多かった。

中国も日本も現実の広さをさほど意識しない。
広くても狭くても、大切なのはそこに作り上げられる世界だ。
だから、広大な中国では驚く程広い庭があり、手のひらにのるような箱庭もある。

それが日本に来ると、そして中国より狭く変化の激しい土地柄ゆえのはかなさから
さらに独自の価値観を持つ。
鉱物だけで作られた庭、ごく小さいのに何十年もかけて育てられる盆栽。
幼い頃、小さな木や草を大樹にみたてて遊んだ私には共感できることが多く、
自分の中の日本を改めて感じた。

好みなのは地獄の庭ボマルツォ。
やはりダークなものはツボである。
天国を実現したくて発達してきた庭園の文化に、あえて挑んだ闇。
ユニークで、ユーモラスでさえあるこの庭にはぜひ訪れてみたい。

小さな小さなベランダガーデニングしかできない我が家であるが、
十分に夢の世界を堪能できた。

憑依

2013-05-27 10:08:34 | 著者名 や行
吉村達也 著

六本木でであった女性から突然「私には女の子が憑いている」といわれる。
それだけでも十分に驚きなのに、その子を殺したのは自分の父だという。

そんな経験をした岡本龍一は、父を問いただした。
泣きながら二人の殺人を明かした父は、次のターゲットはほかでもない、
その“憑いている”月舘未知子であり、それは変えられない運命だという。

ものすごく怖くて後味がわるい。
それは、この“憑いている”ものが、生霊であることが大きな理由であると思う。
死んでから、あるいは死に気づかずにいるものとは違い、
肉体があり、生活もしているのに他社に絶対的な力を及ぼす生霊。
それは奇妙に生命力にみなぎり、圧倒的な強さをもつ。

そして物理的な肉体の力には限界があるけれど、精神の暴走にはそれがない。

生きている人間は絶対にかなわないのだ。

著者の文章もよく似ていて、ぐいぐいと読者を引き込む強いパワーがある。
夢中で読んでいくうちに、ラストへともつれ込んでいく感じ。
そして後味が悪いっていう。

やはり人間がいちばん怖いのだ。